第149話 捕虜
畑中は息をついた。ようやく強敵を下したからである。とはいえたった一人相手にここまで手こずるとは。
この段階で、相手が先ほど挨拶を交わした親子連れの父親だということに気が付いた。
「あなたは……。さっきの?」
「そのようだ。どいてくれるかな」
「そうしたいところだけど、そういうわけにはいかない。あなたは私たちを妨害したんだから」
「やれやれ。最近の若い人は血の気が多すぎて困る」
後ろから仲間が追いかけて来た。火炎瓶担当の遠藤。高校野球で鍛えた投擲力と脚力は彼の強力な武器だ。犬使いの黒木は、先ほど攻撃を喰らったか頭を振り、ふらふらになりながら森から出てくる。そして彼のドーベルマン、彦丸。
「おいおい。そのおっちゃんかあ?緒方さんと撃ちあってたの」
「そうみたいよ。とんでもない腕前だった。タイマンだったら私も負けてたわ。槍が、タオルと素手相手でね」
「マジかよ」
遠藤がオーバーアクションで驚きを表現する。
上の方からは決着がついたと見て、緒方がやってくる。晴彦も。これで全員だった。
畑の一角で、男を囲む。
改めて槍を拾った畑中は切っ先を突きつける。仲間たちが彼を地面に座らせ、両腕を頭の後ろに組ませる。彼は抵抗しなかった。
「検めろ。特に武器を見落とすな」
緒方の指示で、遠藤が男のポケットを探った。出てきたのは数個の石ころと財布。ハンカチ。サツマイモのかけら。車や家の鍵。小さい、スーパーでダンボール単位で売っていそうな缶コーヒー。それくらいだ。
「山中竜太郎……?」
免許証を検めた黒木が相手の名前を明らかにした。しかし分かったのは名前と住所だけだ。免許証には職業欄はない。保険証(※)は国民健康保険だった。
「武器がないぞ。こいつ、どこに隠した」
「やめとけ遠藤。その人の武器はそっちに落ちてる。後、腕にも巻いてるな」
「そっちって……紐しか落ちてないっすよ、緒方さん」
「その紐だよ。
「マジっすか……」
山中竜太郎に向けて、畏怖の視線を向ける一同。黒木が紐を拾い、しげしげと観察する。
「それで、どうしますか緒方さん」
「まあ、まずは尋問ってところだな。
山中さん。あんたは何者だい?」
「非常勤の教師ですよ。他にも色々アルバイトはしてますが。今日ここにいる理由はあなたもご存知のはずだ、緒方さん」
「ただの教師が、ライフルと撃ち合えたと?投石器で?」
「ええ。その紐はペルーで遊牧民が使ってるやつです。調べて編み上げました。河原で何年も練習した結果ですよ」
「それが事実だとして、なぜ俺たちを撃った?」
その問いに対して、竜太郎は初めて表情を険しくした。
「その言葉、そっくりそのまま返しますよ。緒方さん。貴方はハンターのはずだ。なのに何故、人間のいる方に銃を撃ったんですか?僕は子供たちを避難させ、囮となるために撃ち返した」
「あんたには見えなかったのか。あの河童が」
「見えました。しかし今は猟期ではない。そもそも狩猟が許可された生物の中に河童はいない。有害鳥獣の駆除も河童では役所が許可を出さないでしょう」
山中竜太郎の言葉に激昂したのは遠藤。
「なんだと。あんた、緒方さんに助けられたのが分からないってのか。あのまま河童に襲われたらあんたたち死んでたかもしれないんだぞ!」
「黙れ。君は、僕が河童ごときを相手に後れを取ると本気で思っているのか?
そもそも僕は緒方さんと話している。君とじゃない。」
「うっ……!」
山中竜太郎は跪き、両腕を頭の後ろに組んでいる。もはや脅威にはならない。にもかかわらず遠藤は気圧された。一瞬だけ放たれたすさまじい殺気によって。
間に入ったのは緒方。
「山中さん。自分の立場はわきまえた方がいい。俺たちもあんたたちを助けようとしてのことだ。思わぬ反撃を喰らって泡を喰ったがね」
「そもそもあの河童が僕たちを襲おうとしたというあなた方の主張も正しいのかどうか、僕には判断材料がない。彼は人間に襲われて逃げていただけかもしれない。違いますか」
「なるほど。道理だな。
しかしあの河童が人を襲い、傷付けていたとしたらどうだ」
「関係ない。繰り返しますが、貴方は僕たちに向けて銃を撃った。誰かに当たっていたらどうするつもりでしたか。あの時点での僕たちの脅威は河童ではない、あなたの銃です。判断材料はそれだけしかない。履き違えてはいけない。そして妖怪の罪は問えないが人間のそれは問える。
そちらのお二人もだ。お嬢さん。その槍は獣を仕留めるためのもののはず。人間を串刺しにするのは現代では許されない。そしてそっちの君。火炎瓶はれっきとした違法な武器だ。所持も製造も、ましてや使うのも許されない。見ろ。あそこの畑を。軽油とガソリンのカクテルが染み込んだ。もう野菜を育てるのには使えない。土をまるごと取り替えるのがどれほど大変なことか。
緒方さん。僕も水木しげるは好きでした。彼の本は何冊も読んだ。人を殺す河童の話もあった。だがそれはあくまでも日本古来の幻想としてであって、現実に人を襲う河童がいたからと言ってそれだけで銃で撃ち殺していいわけではない。人間に危害を加えたのであれば、手順を守るべきだ。熊やイノシシ相手にやるように。あるいは―——人間の犯罪者に対して行うように」
「それが、あの河童を助けた理由かい」
「正解です。
それで、僕をどうします?あなた方も警察に通報されては困るはずだ。殺しますか。もしそのつもりがあるのなら、あなた方は生きて帰る事はできない」
この時点で畑中は、己が虎の目の前に立っているという事実に気がついた。一瞬でも隙を見せれば全員が殺される。もはや投石器すらこいつには不要なのだ。何しろ手が届く範囲に緒方もいる。それがわかって挑発しているのだ!
山中竜太郎の言葉に怒った黒木が拳を握りしめた。それを振りかざそうとする前に畑中は叫ぶ。
「やめて!殺されるよ。この人はこの体勢からでも私達を皆殺しにできる。やってないのはその必要がないから。
違いますか、山中さん」
山中竜太郎は答えない。ただ、満足そうに微笑むだけだ。まるで、出来の良い生徒を見た教師のように。
格が違いすぎる。
もっとも、それを理解できたのは畑中の他にはドーベルマンの彦丸だけのようだった。今まで見たことがないほどに警戒している。緒方でさえ、畑中の言葉を過剰な警戒と受け取っているのに。
「おいおい畑中。いくらなんでもビビり過ぎだろう。彼がとてつもなく腕の立つ男なのは俺も認めるが」
「……」
「この男は河童を助けた。人を襲ったヤツをな。そこのところははっきりさせなきゃならん」
「どうしますか」
「ひとまず縛り上げる。河童をしとめるまでの間な。解放するにしてもそれからだ。
みんなもそれでいいか?」
緒方の言葉に、仲間たちも同意する。
「よし。じゃあロープを用意してくれ。河童の追跡を再開する。今度は人間が巻き込まれないよう気を付けるぞ。彼の言う通りにな」
※健康保険証はマイナ保険証へ移行し、2024年12月2日から従来の健康保険証は新規発行されなくなりました。なお本エピソードの時期は2023年の秋ごろのため、従来の健康保険証も存続しています。
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