第147話 隠し田と案山子
【兵庫県神戸市西区押部谷 隠れ里】
「じー」
3歳児(外見)に見つめられ、雪は頭をぽりぽりと掻いた。
農家の庭でのことである。
ミナの母親はトイレに行っている。ミナのおしっこを済ませたあと、ノドカもトイレを借りたのだ。雪にミナが押し付けられた形である。十四歳で人の親は大変だ。と、漠然と思う。
ミナの格好は帽子に長靴。成長が異常に早いからややだぶだぶのものを着せられている。手には古びた木製のしゃもじ。芋を掘るのに3歳児が金属のシャベルだと危ないからという理由らしい。
「お前、そんなに俺が気になるか」
「なるー」
「そうか」
そこで突然周囲を見回し始めるミナ。子供だけあって予想がつかない。かと思うととてとて。走り出したではないか。3歳の敏捷性は油断ならない。
「というか待てぃ!?」
一瞬の間を経て追いかけ始める雪。追いついた。捕まえようとしてスカる。相手が小さすぎるせいだ。雪も年の割に小柄だが3歳には勝る。早く捕まえなければ。あっちは用水路だ!
何とか追い付いたときには、ミナは用水路を覗き込んでいた。怖すぎる。突然死にに行くのが3歳児であることを実感する雪。
「あ、危ねえ」
後から追いかけてきた静流に捕まえたミナの手を握らせると、雪はため息をついた。
「ヤバすぎるな……」
「ほんまになあ。山中のおっちゃんもぎょうさん連れてくるわけや」
今日の目的は主にミナや子供たちのためのレクリエーションである。たまり場の食堂に野菜を納入している
こうしてみると、ただの田舎にしか見えない。いや、本当に元々この辺は人間の開墾した田んぼだったらしいが。
やがてノドカがトイレから戻ってきた時点で、田守氏と竜太郎は雑談を終え、集まるように促した。
「行くか」「せやなあ」
◇
【兵庫県神戸市西区押部谷 ため池奥の林道】
「この辺一帯は隠し田があったらしい。そこら中にな」
「隠し田?」
「ああ。年貢を収めずに済むように、隠して耕作してた場所だ。山の奥とかな。今でいう脱税だ」
説明しているのは緒方。
ため池の横を抜け、奥の車道を曲がり、木々が生い茂る森に通じる小道を、彼らのグループは進んでいた。
「このため池は江戸時代以前からある。場所が変わってないってことだ。言い伝えでは隠し田がこの奥に隠されていたらしい。小さな社もあったそうだが、今はもう残ってない。隠し田から目を逸らすダミーだったのかもしれん。ここの構造はいわゆる
「妖怪が、住み着いて異界になった……?」
「そういうことだ。ここのため池に妖怪がいたのは事実だ。となれば怪しいのはここより奥ってことだ。
そしてもう一つ。みんなももう知っての通り、釣り人の間の伝説だが、穴場があるらしい。大きな池があると言われている。しかし空撮にも地図にも該当する池はない。
そうだな?晴彦」
「あ、ああ叔父貴。確かに見たんだ。そこで河童に襲われたんだよ」
晴彦、と呼ばれた男は、深く頷いた。そもそも今回のハンティングのきっかけとなったのはこの晴彦が持ち込んだ情報による。それを聞いた緒方は仲間を集め、こうして河童退治にやってきたのだ。
もっとも晴彦自身は仲間ではない。単に緒方の親戚というだけで、妖怪の実在については何も知らないただの人である。つい先日までは。
今は案内人兼撮影担当を仰せつかっていた。
「晴彦が入れたということは我々も入れるはずだ。噂にある通りにやればな。
これから結界破りを実行する。
畑中。槍を。みんなも準備してくれ」
畑中は頷くと、担いでいたバッグから鉈を取り出した。その柄に開いた空洞へこれまた担いでいた棒を差し込み固定。袋槍と呼ばれる、鉈としても使える道具である。
仲間たちも武器を点検し、あるいは連れていた犬の体調を確認。妖怪は強敵だ。
「では行くぞ」
◇
【兵庫県神戸市西区押部谷 隠れ里】
「いもー!」
そう叫んで駆けだしたミナを、ノドカは慌てて止めた。
子育てがこんなに大変だなんて夏休み以前には想像さえしなかった。今のところ成長が異常に早いことと、意識させなければ写真に写らないこと以外ミナは普通の幼児と同じである。特に写真を覚えさせたのは重要だ。この辺の訓練を考案したのは竜太郎である。彼には本当に頭が上がらない。今日もこうして連れてきてくれたし。
「おー。すごいねえ」
「いもー」
一同の横手に広がっているのは様々な畑。区画ごとに違う作物が植わっているのが分かる。結構な面積だが、これを機械や農薬に頼らずにやっているのだからかなり大変そうだ。案山子妖怪田守氏の妖力や、今も数か所で作業中の農夫(やはり妖怪)たちの力がなければ不可能だろう。反対側は田んぼ。こちらも刈り取り前で黄金色に輝いている。
少し歩いた先で、田守氏が畝に入った。緑の葉っぱと蔓でいっぱいだったが、一か所だけ葉っぱが取り除かれた区画がある。
「ここだよ」
田守氏が示したところへ、とてとてと走っていくミナ。こけた。すぐに立ち上がり、何事もなかったかのように芋が埋まっているところまで行く。すでに泥だらけである。
おじさんが教えた通りにミナがしゃもじで掘ると。
「でたー!」
立派な芋の連なりが出て来た。これはデカい。栄養をたっぷりと蓄えた、紅色のサツマイモである。
ノドカは娘の頑張りを、手を叩いて褒めた。
「頑張ったねー」
一方、少年たちが割り当てられたのは違う区画。こっちは試しに田守氏が蔓を引っ張ると、見事に大物のサツマイモが出てくる。14歳ならこれでいいと判断されたらしい。見よう見まねで真似る少年勢。
そんな様子を、竜太郎がタブレットで撮っていた。
「ミナ。こっちを向いて。ほら写らないと」
「うつるー」
とれた芋を両手で抱え、笑顔のミナが撮れた。悪戦苦闘する静流や雪の様子も。
平和な、ごく普通の子供たちの様子に竜太郎もほほえんだ。見えないが、雛子も同様の表情をしているに違いない。
◇
【兵庫県神戸市西区押部谷 隠れ里 上の池】
河童の三吉は、上の池の中で息を潜めていた。
脇腹を撃たれた。妖怪は人間と違って銃で一発撃たれたくらいではそうそう死なないが、やはり痛いものは痛い。体の中に弾が潜り込んでいる。忌々しい。
今いる場所は隠れ里の奥にある上の池。下のため池とは地下水脈を通じて繋がっている。もっとも、ため池の水を抜いても人間には見つけられないが。危うく難を逃れた三吉はしばらく気絶していたのである。迂闊だった。本当なら、里の他の妖怪たちに危険を知らせなければならなかったのだが。
よっこいしょ、と身を起こす。水面から顔を出す。今日は客が来ると案山子の田守の奴が言ってたっけ。
そして彼は、まずいものを見つけた。里とは違う方向からやってくる、武装した人間たちの姿を。結界を破って奴らが侵入してきたのだ!!
隠れるか?いやしかし、そうなればあいつらは里を襲うに違いない。それに池に潜んでいてもいずれ見つかる可能性がある。どちらにせよまずい。
三吉は、決断した。池から飛び出し、里目指して駆け出したのである。
「いたぞ!」「追え!!」
犬の吠え声まで聞こえて来た。まずい。走る。とにかく走る。銃声と共に立ち木の表面が弾けた。奴らは本気だ。助かりたい一心で走った先が一気に開ける。田んぼと畑が並んだ隠れ里だ。仲間の妖怪たちが何人もいる。畑で作業している数名が見えた。助かった!
そう思った瞬間、再び銃声。それとともに三吉は大きく転がる羽目になった。足が撃たれた!
追手は、すぐそこまで来ていた。
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