第145話 人を呪わば穴二つ

巨大な刃が、振り下ろされた。

それは法子の背中に増設された副腕の装備。強力な妖怪を殺傷するために備え付けられた凶器である。彼女を改造させたグレイたちは、他の妖怪たちとの戦いに備えて強力な武器をいくつも用意したのである。

本物のヒグマであれば真っ二つにできる威力のそれを、同じくらいの図体がある魔犬は耐え抜いた。分厚い筋肉の層と頑強な骨格、ごわごわした毛皮によって。

大量に出血しながらも無理やり後ろを向いた怪物は、ちょろちょろと火を漏らしていた口で大きく息を吸い込むと、一気に吐き出す。体内にため込んだ膨大な熱エネルギーと共に。

それは、強烈な爆発として放射された。

「―――!」

爆炎をモロに浴びた法子は吹っ飛んだ。その90%以上が機械となった肉体のそこかしこが焦げ、外装から嫌な臭いが立ち込める。

凄まじい破壊力であった。

しかし法子は頑丈だった。その外装だけではない。脳を保護するための脳殻シェル。それを守る頭蓋骨。全身の骨格。人工筋肉。皮下装甲。それらの連なりは何重もの安全装置となって生命を保護していたのである。

即座に立ち直った法子は四つん這いとなると、一気に突っ込んだ。背中から一対の刃を覗かせて。受け止める構えの魔犬。

激突。

真正面からぶつかり合った両者は、凄まじいパワーを発揮した。ほぼ互角の取っ組み合いが行われ、激しく上下が入れ替わる。

それでも、最後には重装甲で守られた法子に勝敗が上がった。力尽き、崩れていく魔犬。

これも、明日には再生しているのだろうが。本体を叩かない限り魔犬は不死であるから。

戦いを制した法子は、立ち上がろうとして体が軋みを上げていることに気が付いた。もう限界だろう。戦闘形態を解除し、人間の姿に戻る。異空間に保管されていた四肢が戻り、動きの自由が返ってくる。

よっこいしょ、と立ち上がった彼女は、動かなくなっている中谷の姿を発見した。噛みつかれ、先ほどの爆炎に巻き込まれたのがトドメとなったのだろうか。

「あ……」

それで、限界だった。今まで抑え込んでいた感情が、堰を切ったように溢れてくる。

「あ……あ……あ……うっ」

跪く。涙が出て来た。感情が制御できない。怖い。恐ろしい。もうだめかと思った。

「うわあああああああん!」

とうとう、法子は泣き出した。


  ◇


法子が目覚めた時、そこは誰かの膝の上だった。

身を起こそうとして、やんわりと止められる。

「え?あれ?」

「あ、部長。目が覚めましたか」

それで相手がだれか分かった。真理だ。そういえば彼女もこちらに向かっていると聞いた気がする。

身を起こすと、そこはどこかのビルらしい一室にあるベッドだった。内装に見覚えがある。真理が連れてきてくれたのか。

「あー……網野?」

「はい。大丈夫ですか」

「うん。……でもめっちゃ怖かった。ここどこ?」

「たまり場の医務室です。部長が気絶してたんで、ひとまず連れ帰ってきました」

「そっか。それであの、中谷って子はどうなった?」

それに、真理は頭を振った。悲しそうに。

「駄目だったか……」

「部長のせいじゃあまりません。彼がああなったのは自分の行いのせいです」

「そりゃまあそうだけど。

じゃあ、犬神の方は?」

「そっちは先生たちが元を断ちに行きました。きっと大丈夫です」

「なら任せるよ……あー。今何時」

「まだ八時前です」

「やべー。怒られちゃうなあ。連絡入れてないから」

「まずいですか」

「まあねー」

そしてしばしの沈黙。

「あのさあ。網野」

「はい」

「むっちゃ怖かった。死ぬかと思った。網野はずっと、あんなのと戦ってたの?」

「そうですね。この十五年。人間やってる間はずっとです」

「凄いなあ。私には無理」

「しょうがないです。部長は普通のひとですから」

「そうかー」

そして法子は起き上がると、告げた。

「じゃあ帰るわ。急がないと九時回っちゃう」

「あ、送りますよ」

「おー。んじゃ頼むよー」

そうして、法子にとっての今日の戦いは終わりを告げた。


  ◇


暗い木々の合間を竜太郎は行く。その後には雛子。すでに太陽の光は失せて久しいが、二人の歩みには揺るぎが無いように見えた。

そして進んだ先。彼らは目的のものを発見した。山の斜面に置かれた小さな墓石代わりの石と、それを守るように丸くなっている魔犬の巨体を。

真理が導き出した犬の生首の在処は、山の奥。中学生が徒歩で行ける限界ギリギリの場所だった。家の庭に埋めれば墓を暴かれる、と伊藤は警戒したのかもしれない。

「ここか」

投石紐を構える竜太郎。それを守るように雛子が前に出、鉈を構える。いつも通りの隊列。

この怪物は滅ぼさなければならない。すでに誕生に関わった人間はすべて死んだ。しかし一度生まれた妖怪は消えることがない。産みだした想いから独り歩きし始めるのだ。こんな怪物が標的もなしにうろつき始めたらどうなるかは、火を見るより明らかだった。だからこの犬神は死ななければならないのだ。例え、年単位のいじめによって被害者の伊藤が蓄積した負の感情の結晶であろうとも。

己の首を守ろうと、魔犬がゆっくり身をもたげた。

投石がそいつに新しい傷口を作る。踏み込んだ雛子の鉈が怪物の体を切り裂く。大きく息を吸い込んだ段階で、雛子と竜太郎は左右別々に離脱。標的を失った火炎がむなしく木々を舐めていく。火炎に幽体を焼く力はなく、そして投石に射程で大きく劣る。もはや勝負は明らかであった。

そうして、魔犬は再び斃れる。

復活してくるまでの隙に雛子が飛び込んだ。竜太郎の援護の下、墓石をどけ、鉈で素早く掘り返す。

そうして出て来たのは、肉がこそげ落ちた犬の頭蓋骨だった。

それを石の上に置き、鉈を振り上げる雛子。

一撃が、頭蓋骨を叩き割った。

「終わりました」

「お疲れ様。じゃあ帰ろうか。雛子ちゃん」

「はい」

用意していた袋に頭蓋骨をしまった二人は、そのまま山を下りていった。

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