第144話 犬神の真相

法子は物凄い勢いで全力疾走中だった。たぶん人生で一番くらいに。

振り返れば、ヒグマくらいはありそうな魔犬が追いかけて来ていたから。というかあいつ昨日退治したはずでは!?

何が起きているのか分からなかったが止まるという選択肢はなかった。法子はともかく引きずるように走っているこの中学生が死ぬ。とはいえやっつけることは出来ない。町中でしてガトリングガンを撃ちまくる訳にはいかないからだ。法子には人払いの結界は使えない。助けを呼ぶしかない。

内蔵された電話をかける。いまだに慣れないが文句を言っている場合ではない。数度のコールの後、相手は出た。

『はい、山中です。日高か?』

「そう!せんせー助けて!昨日の犬神に追われてるんです、例の中学生の片方も一緒!」

『なんだって。間違いないのか』

「ほんとほんと、二匹いたのかどうかは知らないけどこれじゃ撃てないよたすけてー!!」

『分かった。すぐ向かう。たまり場にも連絡しておく、昨日の場所でいいか』

「あのへんあのへん、急いでー!」

それで、いったん通話は切れた。

後方では大騒ぎだ。あの化け物が暴れたせいに違いない。帰宅途中の法子もあれで気が付いたのだった。

そして中学生。こいつは力尽きそうだ。やむを得ない。法子は両肩で担ぐ。死なれるよりはマシだ。事情を全部聞かなければ!

裏路地に入る。誰もいないのを確認して両足を。見るからに機械の戦闘用義足の力で一気に跳躍、雑居ビルの屋上まで飛び上がった。標的を逃した魔犬がこちらを見上げている。危なかった。

足を戻し、中学生を投げ捨てる。こいつが犬を殺したのは竜太郎から聞いた。碌でもないやつだが、こうなっては貴重な証人である。

息も絶え絶えな中学生は、呆然と身を起こした。

「え……?た、助かった…?」

「まだだよ。今下であいつがウロウロしてるから。別の人を襲うかもしれない。

だから。話して」

「な……なにを……!?」

「全部。あの犬神に関すること。どうして昨日やっつけたあいつが生き返ってるのかも含めて」

「や……やっつけた?あんたあの妖怪ハンターのおっさんの知り合いか!?」

「そんなとこ。さ。話して。嫌なら無理矢理でも口を割らせるよ」

しばしためらっていた男子中学生は、しまいには観念した。ポツポツと語りだしたのである。


  ◇


薄暗い林の中だった。

住宅街のすぐそばであっても、大人たちの預かり知らぬ闇は広がっている。その中に潜む者たちも。

もっともそれが、人間ではないとは限らない。

瀕死の状態に置かれた犬は、うすぼんやりと目を開けた。

もう長い間何も食べていない。水も飲んでいなかった。生命の危機に瀕している。ここから移動しなかった理由はただ一つ。首から下を埋められていたからである。

彼を埋めたのは、見たことのない人間の少年たち。悪童どもであった。

吠えることもできない。荒縄で乱雑に縛られ、封じられた口では。

できることは、ただ死を待つことだけ。

彼を埋めた人間たちは姿を消していたが、数日で再び戻ってきた。彼を取り囲んで何やら話し込んでいる。邪悪な相談なのだろう。犬である彼には理解ができなかったが。

「伊藤、来るかな」「来るよ絶対。大事な犬なんだぜ」「どんな顔するだろ」「楽しみ」

やがて、悪童たちの待っていた者がやってきた。随分と慌てた様子できたのは、やはり一人の少年。しかし犬にとっては特別な人間だった。

飼い主である。助けてくれるに違いない。

期待に目を輝かせた犬だったが、それは裏切られることになる。

「ぽ―——ポチ!」

少年の叫びを、悪童たちは嗤う。

「こいつポチだってよ。ははは!ダセえ名前!」「恥ずかしくないのかよお前!」

嘲笑された少年はひるむが、それでも言い返す。

「そ、そんなのいいだろ。ポチを返せよ」

「やなこった。伊藤。お前、俺たちに命令できる立場だと思ってんのぉ?」

悪童のひとりが前に出た。そのまま少年に顔を近づける。

「そんなに返してほしいなら、頼み方ってもんがあるだろ」

「……この通り。ポチを返して!」

少年はとうとう土下座した。それを見てまた嗤う悪童たち。

「ぎゃははははは!こいつ犬コロのために土下座までしてやがんの!どうするよ!」

悪童たちはにやにや笑い、そして少年に告げた。

「いいぜ。そこまで言うなら返してやっても」

「ほ―——ほんと?」

「ああ。ただし頭だけな」

「え?」

少年は言われたことが理解できなかった。それはそうだ。犬の頭だけとは?

そんな疑問も、すぐに氷解することになる。差し出されたのこぎりによって。

「え―——そんな。できないよ」

「できないよ。じゃねえよ。やれって言ったらやるんだよ。それとも何か。犬の次はお前の妹を連れてきて埋めてやろうか」

「ひっ」

少年は、表情を引きつらせた。頬にのこぎりの刃を当てられたからである。

滴り落ちる血の一滴。

悪童たちは少年を取り囲むと、無理やり引きずり起こした。更にはその手にのこぎりを握らせる。そうして、犬の前まで連れて来たのである。

「あ……あ……」

のこぎりの刃が、犬の首に当てられた。

「やめろ……やめて……お願いだから……」

もちろん、少年の言うことを聞く人間などここにはいない。人間と呼ぶにふさわしい者など、少年以外にはいなかったのだから。

「やめてええええええええええええええ!」

雑木林に、悲鳴が響き渡った。


  ◇


「伊藤のやつが死んだのはそれからしばらくしてからだ。警察は事故だって言ってたけど、俺たちは自殺だと思ってた。ひょっとしたらそれも違っててて、あの犬神?にやられたのかも知れないけど」

そうして、中谷の語りは終わった。

それを聞き終えた法子の浮かべていたのは嫌悪の表情。無理もない。胸糞の悪い話であったから。

年単位のいじめの果てが、これだった。あの魔犬を産みだすのに必要なだけの怨念の出所は、ここまでのいじめを受け続けた伊藤に違いない。その最後の一押しとしての犬神の儀式。

制御されていない呪いは術者に跳ね返る。伊藤自身が真っ先に魔犬に襲われた可能性は高そうだった。まさしく人を呪わば穴二つなのだ。

「なあ。全部話した、俺は助かるのか?助かるって言ってくれ」

「正直分かんない。

せんせーはどう思います?」

法子に話しかけられたハンズフリー設定のはややあって返答を返す。向こうでは移動中の竜太郎たちが話を聞いていたはずだ。

『犬の死体はどうなったか聞いてくれ』

「だ、そうだけど」

「し……死体なら、首から下はそこの山に埋めた。首から上は伊藤が持って行ってわからない。ほんとだ、嘘は言わない!」

『なるほどな。恐らくその首が奴の本体だ。それを破壊しない限り、犬神は死なないんだろう。なんとかして見つけ出す必要がある』

「うわ……家にあったらいいけど、手がかりなかったらめっちゃ大変じゃないですか」

『網野にも連絡がついた。今こっちに向かってる。彼女ならその伊藤のGPSの記録をたどって位置は推定出来るはずだ』

「んじゃ、それまで持ちこたえなきゃですねー。

……ゲッ」

法子が淑女にあるまじき声を出してしまったのも無理のないことだったろう。何しろヒグマほどある魔犬が、屋上まで登ってきたのだから。

「マジか……

せんせー、あいつが上がってきました」

返答を待たず横っ飛びする。そこを走り抜けていく魔犬。あんなものを喰らえば機械でできている今の法子も無事で済むかは分からない。

そしてもちろん、ただの男子中学生が喰らえば確実に無事では済まなかった。

「ぎゃあ!?」

見れば中谷が噛みつかれ、そのまま連れて行かれようとしている。ここから落ちたらそれだけで即死だ。

法子は決断した。ここなら人もいない。法子自身が望まない限りはカメラがあっても写らない。外装を呼ぶ。四肢が換装され、胴体が装甲に包まれる。顔がバイサーに隠れ、背中に副腕が接続される。たちまちのうちに全備重量五百キログラムの戦闘形態を取った法子は犬神にタックル。組み付いたまま副腕を展開し、ブレードを振り下ろした。


―――GYYYYYYYAAAAAAAAA!?


怪物が絶叫し、中谷が離される。その隙を逃さず相手を引きずる法子。

ビルの屋上で、人外の格闘戦が始まった。

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