第135話 アインヘリアル

【コンピュータワールドと物質世界の狭間 シグマ=トリニティの秘密基地】


『なるほどな。確かに不思議な事案だ』

梅田から帰ってきた颯太たちの報告に、シグマ=トリニティは考え込んだ。

半地下の秘密基地でのこと。秘密基地と言っても大きめの倉庫のような場所だ。子供の遊び場でもある。簡易ベッドやシャワーにトイレ、冷蔵庫もあり籠城もできないことはないが。ある意味ではこの空間そのものがシグマ=トリニティであり、その壁際の真ん中に据え付けられたパソコンは心臓部と言えよう。

室内にいるのはほかに颯太と詩月。詩月の掌にくっついている七瀬初音。そして作業机の上でうん、と伸びをしているゴンザである。

「あれ絶対お化けかなんかだよ。動きからして変だったし」

『200人中の201番目か。似たような怪談はたくさんあるな。例えば"スクエア"』

トリニティはコンピュータの妖怪としては長い時を生きて来た。ただのパソコンだった時期を含めれば三十年近くにはなる。妖怪についての知識もそれなりにあった。そんな彼が語ったのはこうだ。

『ある山岳部の5人が雪山で遭難した。一人が死に、その遺体を背負って歩いたところ何とか山小屋にたどり着く。しかしそこには暖房はない。眠れば残る四人も寒さで死ぬだろう。遺体を中央に置いた彼らは知恵を絞り、四隅の壁に手をつくこととした。一人目が隣まで行って2人目の方を叩く。1人目はその場で壁に手をつき、叩かれた方は次の隅に行って肩を叩く。その繰り返しで朝まで持ちこたえようとしたわけだな。彼らは一晩中これをやり通し、生き残った。

だが、後で四人は気が付いた。1人目が移動したら、そこには誰もいなくなる。4人目は肩を叩くことができない。本当は5人必要だったんだ。じゃあその5人目は何者だったのだろうか』

話に、黙り込む颯太。代わりに詩月が疑問を口にする。

「……幽霊、ってことですか?」

『そこまでは分からない。有名な怪談の例にもれず、この話には色んなバージョンがあるから。ただ、そう考える余地はある』

「あんな沢山の人がいるのに、幽霊が出るんですか……?」

『君たちはある意味で普通の人間ではないからね。私と直接的につながりがあるし、何度も妖怪と関わってきた。普通の人間が気付かないことでも気が付いたんだろう』

「それはそうですけど」

『不思議ではあるが、人気ゲームの十年ぶりの新作の試遊会場だ。そのような怪現象が起きるだけの余地はある。深刻に考える必要は今のところはない。別に被害があったわけではないしね。心配なら、梅田のコミュニティにこういうことがあったと連絡だけは入れておこう。ヨドバシ梅田ともなれば、彼らのお膝下だ。君たちの安全に関しては、いざとなればここに逃げ込んでくればいい。私とゴンザが君たちを守る』

「はい」

『さ。もう夜だ。君たちは帰った方がいい』

「おやすみなさい」「じゃあ、お休み、トリニティ。それにゴンザ」

「おう。お休みー」

『おやすみ』

そうして詩月と颯太は階段を昇っていった。この空間が元々あった家はすでに物質世界では取り壊され、この地下室だけがこの世とコンピュータワールドの狭間に取り残されている。物理的な位置が不安定であるが故に、どこの扉にでも出入り口の扉を繋ぐことができた。それを通じてふたりは帰っていったのだ。

それを見送ったトリニティは、相棒に語り掛ける。

『ゴンザ。今の話、どう思う』

「どうって言われてもなぁ。それこそ今のところは何とも言えねえよぉ」

『確かにな。しかし興味深くはある。ゲームをやるために現れた幽霊、か……』

トリニティが思索に入ったのを見計らい、ゴンザが作業机から飛び降りる。この兎と狸を掛け合わせたような姿の妖怪はあくびをすると、シャワーに向かった。綺麗好きなのだ。ちなみに滅茶苦茶長い二本の耳と、やはり長い尻尾を駆使して人間以上に器用な真似ができた。

人間のいなくなった地下室に、シャワーの音だけが響く。

それから2週間ほど。ゲームの発売日までは、何事もない日々が続いていった。


  ◇


>>『うわ、事前ダウンロードできてねえ』

>>『起動できませんだとぉ』

>>『よーしってSteam再起したらアンパックでわろてる タバコでも吸って待つべ』

SNS上は、まるで祭りのようだった。

日が変わった瞬間。午前0時に集った猛者たちは、一斉に事前ダウンロード済みのゲームを起動したのである。あるものはゲーム機で。あるものはハイスペックなゲーミングマシンで。今時店舗に並んで物理メディアを買わなくてもゲームはできる!というわけだ。もちろん、不具合もこういう場合は付き物である。

そんな阿鼻叫喚を眺めている初老の男もまた、猛者たちの同類だった。自分も十年待った。そして運よく生き延びることができた。今日は年休を取り、思う存分に闘争本能を満たすことができる。

解凍が順調に進む様子が表示されたモニターを見て思う。

この十年あまり、駄目かと思うことも何度もあった。家が燃えた時。会社が倒産したとき。コロナにやられた時。ガンが見つかった時。いずれも危なかった。だがまだ生きている。たぶん、後半年くらいは生きていられるだろう。死ぬ前にこのゲームを存分にやり尽くすことができる。素晴らしい。

男にとって、死は近いものだった。人は日々死んでいく。一方でゲームや小説、映画。様々な作品も新作や続編が次々と発売され、発表される。それらは互いの事情など斟酌してはくれない。社会という巨大な怪物は時の流れなどものともしないが、個々人は別だ。やりたいことに手が届かず死ぬなどこの世界では当たり前なのだ。

こんな時、男は世の無常を感じた。このゲームの世界観も、過去作同様死が身近な無常に満ちた世界だ。現実と同じように。男が惹かれるのもそこにあるのかもしれない。

やがて、解凍が終わりゲームをプレイ可能となる。

男はゲームパッドを手に取った。スタート。迫力に満ちたオープニングが始まった。期待に違わぬクオリティ。重苦しい世界。芸術的なまでに美しい砲火。高速で失われていく生命。素晴らしい。自分はこの世界にやってきたかったのだ。

チュートリアルが始まる。NPCの指示に従い、巨大構造物メガストラクチャーから脱出。カタパルトから打ち出される。市街地での戦闘をこなす。過去作からかなり変わった操作性。まだチュートリアルでは複雑な要素はできない。早く試したい。高難易度の敵にあっさり撃破され、機体を組み替えて再挑戦するのがこのゲームの醍醐味だ。死にゲーの所以である。先を急ぐ。ボスの巨大なヘリコプター型兵器に挑む。射撃がほとんど効いていない。どうすればいい。考えている間に撃破されてしまった。直前からリトライ。考えろ。考えろ。ヒントはもう与えられているはずた。考えろ。またやられた。リトライ。死と再生を繰り返す。ここでは生と死は等価なのだ。まるで神話に出てくるアインヘリアルのようだ。何度も死に、何度も生き返り、何度も挑んだ果て。

ボスが爆発。粉々に消し飛ぶ。

一体どれほどの時間がかかっただろうか。

メッセージが浮かび上がる。今までの傾向とは違う。きっとストーリー上重要に違いない。

それは、こう言っていた。

『この先に進む覚悟はあるか』

もちろん、男はそのつもりだった。頷く。

同意は為された。

画面の中に引きずり込まれる。機体の中に飲み込まれる。生と死が無限に繰り返される世界へと。

ゲームパッドが落下する。

>>『7時間遅れで現場入り。と思ったら解凍中でウケる』

転がっていたスマートフォンに浮かび上がったメッセージは、SNS上の仲間のもの。

それを読む者は、この部屋にはいなかった。

男は、この世から姿を消していた。

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