第五章 座敷わらし編

第121話 見えない子供

海の見える、美しい立地だった。

その存在は、この土地が好きだった。ここに住む人間たちのことも。だから長らく守ってきた。災害が来れば教え、疫病を退け、飢饉も追い払った。しかしその力にも限界が来た。近代化に伴う過疎化の波には勝てぬ。

それに抗うため、土地のものが客人まろうどを呼び寄せたのはよい案だと思った。実際効果はあり、客人の力もあって地域は少しずつにぎわいを取り戻していたのだ。

だが、土地の者が欲を出した。それがよくなかった。

ここに根を張るはずだった客人を追い出し、富を独占しようとしたのだ。

だからここの人間たちを見限った。その存在は故郷を出ることを決意したのだ。

行き先は決めてある。客人のところに身を寄せるつもりであった。

こうして、その存在は———座敷童ざしきわらしは旅に出た。


  ◇


【兵庫県神戸市灘区原田通1丁目】


「ただいまー。……ってあれ?」

安住詩月は怪訝な顔をした。何故ならば自宅兼喫茶店の、道路に面した大きな窓の前に子供が立っていたからである。それも一人で。

彼はじーっと、店内を見ていた。

「ねえ。ボク。どうしたの?一人?お母さんは?」

相手に目線の高さを合わせ、子供に話書ける詩月。

相手はこちらをジーっと見返すと、やがてすたすた。どこかへ行ってしまった。

「……?」

大丈夫かなあ。と思いつつもそれを見送り、家に入る詩月。暑い。何しろ八月上旬である。

喫茶店の中は涼しかった。母の初音がやっている喫茶店兼ギャラリーである。絵がたくさんかかっている。

「あら、おかえりなさい。詩月さん」

「こんにちは、中田さん。お母さんは?」

「奥にいますよ」

アルバイトの女性に手を振り、住居側へと入る。そういえばさっきの子供は彼女を見つめていたのでは。

そんな気付きを得ながら、詩月は荷物を下ろした。

「ただいま。お母さん」

「あら、おかえり詩月」

そこでは、年配だが詩月によく似た女性。母が、大きなタブレットを前に頭を悩ませていた。

また何か描いているのだろうか。

詩月は母の描く絵が好きだった。引き込まれる。まるで魔法のように。

それが、本当に人間を引き寄せる力を持っている、と知ったのは先月の下旬のことだ。悪の妖怪(そう、妖怪だ!)との死闘をきっかけに知ったのだった。自分の母が人間ではないということ。元は絵の妖怪であり、人間と肉体を交換した元妖怪なのだということを。

そのことを知った今も、親子の仲はそんなに悪化はしていない、と思う。妖怪と人間は内面においてほとんど差がないという実例を先にたくさん見たからかもしれない。

「今日は何描いてるの」

「いろいろ」

「そっか」

自室に戻り着替える。エプロンを付けて表に出た。客はまばら。中田は飾られている絵の一つを見つめていた。海辺の喫茶店を描いたものだろうか。

「中田さん。気になります?」

「え?ああ。そうね。ちょっと前まで私、あんな感じの海辺でお店をしてたから」

「お店ですか」

「そ。いろいろあって、大家さんに出てけっていわれちゃってね」

それで神戸に帰ってきたの。と、中田は苦笑。そこへコーヒーを飲み終えた客が会計にやってきて、会話は中断となる。

中田が会計をしている間に、詩月はテーブルの片付けをこなした。

そうこうしているうちに、先ほどの子供のことを詩月は忘れていた。


  ◇


中田がアパートに帰った時点では、まだ太陽は完全に沈んではいなかった。部屋に入り鍵をかける。室内はあまりものがない。神戸に戻ってくる前にほとんど処分してしまった。荷物を置き、台所へ。夕食はカレーだ。最近は材料がどんどん高騰して困る。今年で値上がりは何度目だったろうか。これが自然災害ならまだあきらめもつくが隣国のやらかしのせいである。迷惑な話だ。

こんこん。

カレールーを入れる直前、玄関がノックされる。

火を止めてドアまで行き、のぞき穴で見る。―――いない。

しかしまたこんこん。

チェーンをかける。慎重に開けると、小さな子供がいた。Tシャツにハーフパンツに靴を履いた普通の男の子だ。

「……?」

見覚えがない。誰だろう?

ひとまずチェーンを外して扉を開ける。そして中田は尋ねた。

「こんばんは。どうしたの?」

返答とばかりに、ぎゅっと抱き着かれた。

「ちょ、ちょっと」

困った。とりあえず撫でてやり、そして立ち上がる。そうだ。スマホだ。警察を呼ぼう。子供がひとりでいるのだから。

110番する。警察はすぐに出た。事情を話す。知らない子供が家の前にいること。親が見当たらないこと。住所。警官がすぐ来るらしい。

ため息をつき、膝を曲げて視線を子供の高さに合わせる。

「ねえ、ボク。もうすぐお巡りさんが来るから、お母さんを探してもらいましょ。いい?」

男の子は返事の代わりに、またぎゅっ。

困り果てた中田は、しばし待った。きっとすぐに警察は来るはずだから。

ややあって、期待通りにアパートの階下にパトカーが止まった。お巡りさんだ。声をかける。

「すいませーん。こっちです」

「はい。今行きますねー」

ふたり、警察官が上がってきた。この暑いのにごくろうなことだ。プロテクター?よくわからないが防具を制服のシャツの上から着込んでいる。人のよさそうなおじさんと若い兄ちゃんのコンビである。

「はいはい。お待たせしましたよ。それで、問題の子というのはどちらですか」

「あー。この子です」

中田は正直に、子供を指した。それに対して警官たちは怪訝な顔をする。

「はて。どちらに……?」

「え?ですからここですってば」

子供が真横にいるのを中田は再度確認。どう見ても普通の子供が、ここに立っている。見落とすか普通?

不幸なことに、現在の状況は普通ではなかった。中田には認識できている子供の姿が、警察官たちには明らかに見えていなかったのである。

「???あの、中田さん。ええと。大丈夫ですか。ひょっとして救急車を呼んだ方がよろしいでしょうか?」

警官たちに心配されてしまったが、中田にとっては警官たちこそ救急車が必要だった。これは何なのだ。

しばし問答を繰り返し、疲れ切った中田は諦めた。

「もういいです……何なのよもう」

そういって部屋に引っ込んだ中田を見た警官たちも、同じことを考えそして帰っていった。


  ◇


「おいしい?」

中田の言葉に、子供は頷いた。

結局子供は中田の家の中に入れた。外に放置するわけにもいかないからである。警官を呼んであのありさまなのだから誘拐だのなんだの言われる筋合いはない。

夏用の茣蓙ござの上に置いた丸テーブルをはさみ、子供と中田は向かい合っていた。

福神漬けを自分のカレー皿にもとりわけ、中田は夕食を開始。なお自宅で作るときは中田は肉や野菜を炒めない。玉ねぎから順に鍋に放り込んでぐつぐつ煮て、最後にルーを入れて完成だ。その方が楽だし。

「ねえ。あなた、どこからきたの」

問に、子供は無言で答えた。方向を指さしたのである。

「あっちかー。じゃあ、名前は?」

今度は返答はない。子供はカレーを食べるので一生懸命である。

「お母さんかお父さん、探さないとねー。困ったねえ」

首を傾げる子供。どうしたものか。喋らない。

やがて二人は夕食を食べ終える。皿を持ち、てくてくとシンクまで運ぶ子供をえらいなあと思いながら、中田は二人分の食器を洗う。

「あー。着替えどうしよ。お風呂、入るよね?」

子供はこくこく。頷いた。

しょうがない。二人で風呂に入ろう。洗濯機を回し、今夜は子供には自分のTシャツを着せる。これだ。

どうするかを決意した中田は、それをすべて実行した。

そうして、アパートの一室に座敷童がとどまったまま、夜も更けていった。


  ◇


中田は悪夢を見ていた。

何年も暮らした場所の夢。地域おこしのために招かれ、尽力した場所での。事業はそれなりにうまくいき、軌道に乗ったがそこで土地の者が欲を出した。中田を追い出して事業を奪ったのだ。役所を抱き込んで。神戸に帰ってきたのもそれが事情だった。

人間の悪意というものを、中田は思い知っていた。

うなされる彼女の頭を、優しく撫でる手。それは一緒のタオルケットにくるまっていた子供である。

しばしそれが続き、そして中田の寝顔は安らかになっていった。

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