第115話 仇討ち

溶岩虎は口を開いた。竜太郎に答えるためにではない。最大の攻撃を放つために。

強烈な溶岩弾が発射される。

まさしくその瞬間を狙って、500ミリリットルのペットボトルが喉の奥に飛び込んだ。竜太郎が左手で保持していたもう一つの投石紐から放たれたそれは、立て続けに投げつけられた右の石礫によって潰れて中身を巻き散らす。ペットボトルのめり込んだ溶岩弾に対して。

大爆発が起こった。


―――GGGGGGGYYYYYAAAAAAAAAAAAA!?


喉から噴出したのは溶岩弾ではなくその爆風。破壊力の多くが口腔外へと逃げたものの、それでも無視できないエネルギーが溶岩虎の体内をズタズタにする。もはや溶岩弾を放つことは不可能なほどの大ダメージを受けたのだ。

それで終わりではない。

恐るべき速度で回り込んでくる竜太郎に対し、溶岩虎は追随しようとした。それがまずかった。飛来した閃光弾が空中で炸裂し、両目の視力を喪失したからである。

「――――!?」

もはや頼れるのは聴覚のみ。こちらに急接近してくる足音へと、前脚を振り下ろし。

叩き潰した薄い板の手ごたえに、それが何らかの音響機械であることを溶岩虎は悟った。手遅れであったが。

真正面から投じられたふたつの石礫が、溶岩虎の双眸を突き破る。眼球ごと破壊されてはもはやこの戦闘中の視力の回復は望めない。


―――GGGGGUUUUUOOOOOOOOOO!!


視力を失った溶岩虎は敵に向けて突進する。体格差は歴然だ。押しつぶすことさえできればまだ勝機はある。押しつぶすことさえ、できれば。

もちろんそうはならなかった。竜太郎は驚異的な跳躍力で、天井に開いた穴から上階へと逃れたからである。

高所を取った彼は、背中に縛り付けた武装を手に取った。すでに紐を巻き付けられたそれを構え、必殺の一撃を繰り出す最後の準備を始める。もし溶岩虎がその様子を見ることができたならばとっさに逃れることを思いついたに違いない。しかし不可能だった。視力を失った彼女には。

溶岩虎が壁に体当たりし、地下の構造を破壊しようとする間に準備のすべては整った。後は武器を投じるだけで事足りる。

竜太郎はそれを、力いっぱいに投じた。破壊された柱から手に入れた鉄骨をそのまま使った即席の槍。槍投げ器を巻き付けた、それを。

最大の攻撃は、溶岩虎の脇腹を上から貫いた。

溶岩虎の動きは急速に鈍っていく。まだその生命の炎が尽きるまでは時間がかかるだろうが、しかし大した問題ではない。もはや溶岩虎は反撃する力など残っていなかった。遠くから地道になぶり殺しにすればいい。竜太郎には嗜虐的な趣味はなかったが、そうせねば相手を倒せないのであればやるまでのこと。

投石紐を振り回し、石礫を投じる。それは溶岩虎の毛皮にめり込むと小さいながらもダメージを与えた。二発目。三発。直撃するたびに溶岩虎の巨体は震える。どちらが強者かは明らかだった。

そうして五発目を撃ち込もうとしたとき。

溶岩虎の体が縮んだ。先ほど取っていたような裸身の女の姿へと戻っていく。脇腹は鉄骨で貫かれ、両目は潰れ、喉が焼かれ、幾つもの惨い傷跡が体に刻まれた無惨な有様ではあったが。

「………ぅ…………て…」

床に倒れ伏し、うわごとのように呟きながら腕を伸ばす女体。

それを竜太郎は、冷たい瞳で見下ろした。彼と親しい者はその表情に驚くことだろう。それは、普段の彼からは考えられないほど酷薄なものだったから。

「……ゆるし……て……ごめんなさい……」

「何だ。今更しゃべるのか。それも命乞いを。だがもう遅い。お前は死ぬ。僕が殺すからだ」

情け容赦なく、六発目が撃ち込まれた。溶岩虎から変じた乙女の肢体に、またひとつ傷が増える。

「…知らな……った……」

「知らなかった?何をだ」

「……ひとを殺すのは許されない……ということを……」

「ようやく学んだのか。よかったな。次に生まれた時には誰も殺さないように生きるがいい。だが今回は諦めろ。僕の家族の仇というだけじゃあない。お前たちは火伏さんを撃った。何の罪もない女の子を殺そうとした。僕の助手を傷つけた。犬神さんを———僕の命の恩人を殺した!!お前を生かせば、また誰かが殺される。違うか!?」

「―――勝手に殺さないで……」

その声に、竜太郎は視線を彷徨わせた。そんな馬鹿な。彼女は殺されたのではなかったのか。だから溶岩虎は先に進もうとしていたのでは。

だが、声の主は生きていた。溶岩虎が、殺すのをやめていたから。

下階の奥からゆっくりと這ってきたのは、人間の姿の犬神千尋。着衣を失った姿は無惨そのものといっていい有様だったが、しかし彼女はすぐさま生命を失うようには見えない。

「犬神さん。無事だったんですね」

「無事、とも言い切れないけれど。生きてはいる。そこの虎が、とどめを刺すのを躊躇したから」

ふたりの視線が、倒れ伏す溶岩虎へと向けられる。

「溶岩虎。答えろ。どうして犬神さんを殺さなかった」

「……ご主人様に、教えられました……人を殺しては、いけない。と……」

「そうか」

竜太郎は、手の中の投石紐を見た。次いで溶岩虎。最後に千尋を。

大きく深呼吸する。この六年間を振り返る。自分がどうしてきたか。どうしたかったのか。どうするべきなのか。

ここで溶岩虎を殺しても、誰も竜太郎を責めることはないだろう。だが、それは自己満足に過ぎない。妖怪を真に殺す力は竜太郎にはない。溶岩虎をここで殺しても数十年で蘇るのだから。

それに、あの日。妖怪との戦いを始めた日、彼が神前に誓ったのは人に仇為す妖怪百匹を退治する、ということ。もはや人に仇を為さない妖怪を滅ぼすことは含まれてはいない。

だから確認する。こいつがもう、本当に人を殺さないのかどうかを。

「なら、お前のご主人様とは何者だ。お前たちの目的は何なんだ。答えろ」

竜太郎の問いが、地下空間に響く。その返答が発されるまで、わずかな間があった。

「……ご主人様について…わたくしが知っていることは多くありません……

名をマテウスということ……わたくしより遥かに強いということ……そして、腹違いの兄弟が生まれるのを阻止しに来たということ……」

「―――何?」

「ご主人様はおっしゃいました……あの娘を殺さねば、何十万という人が死ぬだろうと……父の尻ぬぐいをせねばならないのだと……」

「―――なんてこった。つまりそいつは、マステマの子ということか」

竜太郎と千尋は、今回の事件が何のために起きたのかを完璧に理解した。マステマの子供はネフィリムを誕生させる過程で何人も生まれたと、二人はノドカを通じて知っていたのである。そのうちの一人が来日し、ネフィリムを滅ぼすためにノドカを襲ったのだ。巨大な災厄から、人々を守ろうとして。

―――止めなければ。

竜太郎の内に浮かんだのはそんなこと。

正しい目的のために、間違った手段を取らせてはならない。

彼は上階より飛び降りると、千尋の側に駆け寄った。Tシャツの上に羽織っていた長袖のシャツのボタンを外して脱ぎ、千尋の裸身に羽織らせる。

「今はこんなものしかなくて申し訳ないですが。動けますか」

「ちょっと無理ね」

「分かりました。背負います。ちょっとだけ待っててください」

竜太郎は、倒れ伏している溶岩虎を一瞥すると、その腹を貫いている鉄骨を抜いた。苦痛で小さく悲鳴を上げる彼女に、告げる。

「いいだろう、溶岩虎。お前は犬神さんを生かした。だから僕も一回だけお前を生かそう。だがもしまた人間に危害を加えてみろ。今度こそお前を殺してやる。ここで祈っているがいい。お前の主人がこれ以上人を傷つけずに済むように」

「……はい」

千尋を背負った竜太郎は、素早くその場から去っていく。

後に残された溶岩虎は、生まれて初めて神に祈った。主人の無事を。

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