第114話 復讐者と仇

【梅田ダンジョン】


溶岩虎はわずかに腰を落とした。対峙するのはこちらが落としたククリナイフを手にする少年。構えは素人だがその身を循環する霊気は尋常ではない。神仙の類かもしれぬ。常ならば慎重に挑むところだが、そうもいかぬ事情がある。

踏み込む。体を沈み込ませる。。人間態のままネコ科特有のしなやかさを発揮し、少年の脇を抜けて女を襲おうとしたところで。

「おらぁ!!」

ククリが振り上げられた。横っ飛びに回避する溶岩虎。速度が殺され、迂回に失敗する。まずい。女は1分だけ稼げと言った。時間を与えれば状況が悪化する可能性が高い。

だから溶岩虎は、正体を現すことにした。

体が膨れ上がる。服が弾け飛ぶ。全身が溶融する。骨格が歪む。赤熱した毛皮が体を覆い尽くす。

たちまちのうちに溶岩虎は、可憐な乙女からその名通りの巨大な猛獣と化していた。その巨体は乗用車を優に超え、天井につかえそうだ。

前脚を。少年が飛び下がる。生じた隙で大きく息を吸い込む。

溶岩虎は、口腔内に集中した溶岩を

口から吐き出された灼熱の溶岩弾。その狙いは少年の向こうに退避した男女であった。

彼らが隠れた柱に直撃した溶岩弾は、そのエネルギーを解放する。

大爆発が起こった。

柱が吹き飛ぶ。店舗の壁が消し飛んだ。ガラス片が銃弾の速度で拡散し、床が崩落。下の階までぶち抜かれる。凄まじい破壊力であった。吐き出された溶岩弾の爆発は、半径十メートル以上を優に吹き飛ばしたのだから。民家の二軒や三軒、一発で消滅させられるに違いない。もちろん、その直撃を受けた男女も。

爆風に吹き飛ばされた少年へと向き直る。残るは彼だけだ。壁にめり込み、全身に破片が刺さって瀕死に見える少年。内臓という内臓も破裂し、骨という骨は砕けているはずだ。だがまだ信じがたいことに生きている。それどころか急速に治癒しているのである。恐るべき生命力といえた。あの分ではほんの数十秒で復活するに違いない。だが問題ない。それだけあればとどめを刺すには十分だ。

―――そして、1分が経過した。

溶岩虎の足元が、突如として。真下から巨大な山犬によって。

十トンの質量とアフリカゾウ並みの巨体は、巨大化した溶岩虎すら優に上回る。その圧倒的なパワーと全身の毛に絡みついた粉塵やコンクリート片を断熱材とし、山犬の頭は溶岩虎の胴体を、天井でのである。

凄まじい破壊力。

大ダメージを受けた溶岩虎はすぐに投げ落とされると、崩落した床の淵にひっかかる。

そこへ、口が焼けるのも構わず山犬がと、溶岩虎は下階に


  ◇


ようやく傷が回復した静流は身を起こした。ククリナイフを掴み、崩落した床まで進んで下の死闘を目の当たりとする。

そこでは想像を絶する格闘戦が繰り広げられていた。体格に勝る山犬と、溶岩の高熱それ自体を武器とする虎の一騎打ちである。まるで大型のトレーラーやダンプトラックが横転するかのようなダイナミックなぶつかり合い。いかに建御名方から学んだ神力を操る術があっても、静流ではとても加勢できる状況ではない。

彼は下階を見渡すが、竜太郎の姿は見えなかった。今戦っている山犬は犬神千尋であろう。彼女は1分だけ稼げと言っていた。恐らく治癒の術を竜太郎に施すために。時間は稼ぎ、彼女は静流を救った。ならば竜太郎の姿は見えなくとも大丈夫のはずだ。

静流は、握りしめたままの左手を開いた。そこにあったのは奇跡的に無事だった芽。これがあればノドカのところにたどり着ける。腰から下げていた灯りのカンテラは壊れたが、虎の体の溶岩は発光している。見える。幸いなことにリュックに入れていたスマホは無事だ。ライトをつける。

もう一度下を見下ろす。山犬と目が合った。彼女は一言だけ叫ぶと、敵に向かって体当たりを敢行する。

その一言とは、「行け」

静流は、千尋の言葉に従った。


  ◇


―――ああ。これは死ぬな。

竜太郎は己の死を確信していた。女に喉と手を焼かれた。特に喉が致命傷だ。走馬灯のようにこれまでの思い出が流れては消え去っていく。息が苦しい。喉が焼ける。駄目だ。この状況で挽回できる方法はない。

そのはずだったが、苦痛は急速に引いていった。首をやさしく撫でる?いや、舐める者の存在によって。

うっすらと目を開ける。まだはっきりと見えない。だが、女性の額らしいのは分かった。首に頭をうずめ、火傷を舐めて唾液を塗り込んでいるのだ。まるで野生動物が、怪我をした同胞を癒そうとするかのように。

首の苦痛がかなり軽くなった段階で、今度は両手のひらが優しく舐められる。溶岩のような敵の腕に張り付き、皮膚が丸ごと剥がされたはずのそこからも、たちまちのうちに苦痛が引いていった。

ようやく、何が起きているかが理解できてくる。これは犬神千尋がもつ妖術のひとつ。癒しの術だ。以前にも世話になったことがあった。驚くべきパワーによって、竜太郎の生命は安全域まで回復しつつあったのである。

助かるか。

そう思えた瞬間、意識が飛んだ。凄まじい衝撃に襲われて。

次に意識を取り戻した時、どれほどの時間が経っていたかは分からない。しかし犬神千尋は健在で、そして火傷の痛みそのものはだいぶマシになっていた。

治療を終えた彼女は竜太郎を抱えてどこかに素早く安置すると、去っていく。敵に向かっていったに違いない。

どんどん苦痛は回復しつつあったが、まだ完全ではない。竜太郎は待った。傷が癒え、再び戦えるようになる瞬間を。


  ◇


犬神千尋は急速に消耗しつつあった。敵があまりにも厄介だったからである。こちらの攻撃手段は巨体を生かした格闘のみだが、相手は全身が高温の溶岩でできているのだ。ぶつかり合うたびにこちらにダメージが蓄積されていく。すでに千尋の口は焼けただれ、体のそこかしこの毛皮は燃え尽きて地肌が露わとなり、片目が焼かれている。だが間合いを取れば敵はたちまちあの、溶岩弾を撃ってくるだろう。いかに十トンの千尋といえどもあんなものの直撃を喰らえば無事では済まない。接近戦を続けるよりほかはない。

―――決着を急がねば。

敵が飛び下がる。そこに。全力の体当たりで敵を押しつぶしてくれる!!

必殺の攻撃は、しかし空を切った。敵がからである。人間の女の姿に戻って裸身を晒した敵は、千尋の脚の間に滑り込んで突進をやり過ごしたのだ!

致命的な隙。振り返ろうとした千尋は、見た。再び溶岩の虎の姿を取って、口から強烈な妖術を放とうとする敵の姿を。

回避の余地はなかった。溶岩弾が、放たれる。

それは旋回途中の千尋の左後肢に直撃すると、炸裂。吹き飛ばした。


  ◇


巨大な山犬が、倒れ伏していた。

後ろ足を失ったそやつはやがて体を縮ませると、裸身の女の姿となった。全身は火傷と傷だらけで、左足が付け根から失われているのがあまりにも痛々しい。力尽き、気を失った山犬に対してとどめを刺そうとして、溶岩虎は思いとどまった。主人の言葉を思い出したからである。

人を殺してはいけない。

妖怪は人ではない。しかし人の姿を取り、人のように考え、人に寄り添う者もいる。眼前の山犬もそのひとりなのだろう。今から思えば、前回自分を封じた者たちも。主人は言っていた。「私は人間の味方だ」と。人間の味方もきっと殺してはいけないに違いない。人間と同様に。

幸い、山犬はもはや脅威ではない。あの様子ではすぐに回復することも不可能だろう。

溶岩虎は、振り上げた前脚をそっと下ろした。そして敵に背を向けると進むべき道を探したのである。たくさんの柱が立っている広場まで前進する。主人の匂いを探す。溶岩虎の嗅覚は本物の虎同様に鋭敏だ。すぐ見つかるに違いない。

そうして、進むべき道を見出した時だった。

男が、立ちはだかったのは。

そいつは、こちらに問いかけた。

「お前は阿蘇の溶岩虎……そうだな?」

ちっぽけな人間。年の頃は四十代だろうか?ボディバッグと固定式のライトを身に着け、右手には石をたばさんだ紐。先ほど喉を焼きつぶしたはずのそいつは健在に見える。喉の周りが多少変色してはいるが。癒えたのか。

男が放つのは凄まじいまでの殺気。向けられただけで常人ならば心臓が止まるだろう。先ほど倒した時とは桁の違うそれに、溶岩虎は気圧された。

「僕の名は山中竜太郎。六年前、お前と僕は出会っている。よく覚えてる。その時僕は赤い乗用車に、家族と共に乗っていた。年老いた両親。姉。弟。みんな死んだ。お前が殺したんだ。

お前を殺すことを目標に、僕は自分を鍛え上げた。それが可能だと確信した日、初めて妖怪を狩ることを決意したんだ。いつかお前と再会したときのために。

そんな日は来ないと先日知った。お前が阿蘇の地下深くに封じられたと知らせが届いたからだ。それでいいと思った。お前を倒すのが僕である必要はない。だがお前はこうやって蘇り、僕の前に立ちふさがった。ならば、僕が倒してはいけない道理はない。そうだろう?」

溶岩虎は後ずさった。勝てないと悟ったからである。もはや奇襲は通じぬ。正面からのぶつかり合いでこの男を殺すことは不可能だ。

こいつは、溶岩虎より強いのだから。

―――人を殺しては、いけない。より大きな禍を避けるため、やむを得ない場合を除いては。

溶岩虎はあまりに殺しすぎた。巨大な災いそのものと言っていい。だから過去に何度も殺されてきたし、今また殺されるのだ。この男に。

溶岩虎の罪そのものと言ってもいい男は構える。それに応じて溶岩虎も身構えたが、生き延びる方法が全く思いつかない。

「何か言ってみろ。さあ。お前は人間の言葉を話せるんだろう?ちゃんと知っている。お前のことは調べ尽くした。さっきは後れを取ったが、お前が溶岩虎だと分った以上、殺す方法は無数にあるんだ。

どうした。怖いのか。僕のことが。こんなちっぽけな人間風情が怖いのか。なのにあの時はみんなを殺したのか!?何か言ってみろ、この化け物め!!」

男の絶叫が、地下空間に響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る