第111話 梅田ダンジョン

梅田。大阪府大阪市北区に広がる西日本有数の繁華街でありオフィス街である。現在の行政上の範囲は梅田一丁目から三丁目までだが、実際にはそれ以外の範囲も含めた巨大な面積を含む。かつての湿地帯であり、水運との接続のためにねじ曲がった鉄道が敷設されたこともあってその地域は複雑怪奇な構造を備える。接続する駅だけでも七つもあるのだ。「梅田駅で待っている」といえば梅田の名が付いた5つの内のどの駅のどの改札か分からないというのは地元民にとっても常識であった。

その、地上より上の部分。JR大阪駅の長大なエスカレーターを疾走する二組のペアの姿があった。一方は雛子とノドカ。通行人を透過していく二人は速度そのものは遅いにしても実際の移動はかなり早い。

追ってくる男女のペアは驚異的な運動能力を持ってこそいたものの、通行人を突っ切るというわけにはいかない。なかなか追いつけないでいる。

追跡者の一人マテウスは、その事実に焦りを覚えていた。

「ちっ!」

エスカレータから外れる。飛び上がる。アクロバティックな跳躍で看板を蹴り飛ばし、台を踏みつけ踊り場に着地。女たちを追いかけようとする。後に続く溶岩虎。

そこへ騒ぎを聞きつけたか、警備員が立ちふさがろうとするが。

「―――!!」

マテウスの命令一つで引き下がっていく警備員。よほど強い目的意識がなければこの男の術に抗するのは難しい。

とはいえこの半天使の力にも限度というものがあった。あまりに人が多すぎる。人払いの術はもう行使しているが、物理的に退去させるのが不可能なほどにひとが溢れていては効果は限定的にならざるを得ない。この術の効力はあくまでも人間の心理に働きかけるにとどまるからだ。

ルクア大阪を抜け、陸橋を走り抜けて阪急梅田駅方面に向かうふたりの少女。左手にはヨドバシ梅田が見える。このままでは追いつくことができない。

横を見れば、銃を取り出そうとする溶岩虎の姿。

「ダメだ!人が多すぎる、巻き込むな!」

「は、はい!!」

同じ理由で、翼を出して空を飛ぶことも不可能だ。溶岩虎が正体を現すことも。彼女の本来の力であれば、陸橋ごと破壊して少女たちを墜落死させることさえ不可能ではない。

銃を禁じられた溶岩虎は、橋の手すりの上に飛び乗って疾走。人の波に邪魔されないルートを走る彼女は早い。行けるか。

車道の上を渡り切り、陸橋の右脇の階段から下に降りようとする少女たちへと、溶岩虎の変じた乙女はとびかかる。

そこで、追われている少女の一人。フードを被った幽霊は振り返りつつも取り出した装置を向けると、溶岩虎へ

閃光が迸る。それをまともに受けた溶岩虎は反対側の手すりに激突してバウンドすると、その向こう、『新梅田食堂街』と書かれた看板にめり込んだ。使い捨てカメラの閃光で目をやられたのだ!

マテウスがたどり着いたとき、少女たちはすでに先へと進んでいた。速度を殺さず、身を起こした溶岩虎に命じる。

「来い!」

マテウスは階段を駆け下りた。


  ◇


【梅田地下街】


雛子は、息が切れ始めていた。負傷が痛む。さっきは本当に危なかった。奴に掴まれたら一巻の終わりだ。何しろあの女は体が溶岩でできているのだから。途中の売店で手に入れた使い捨てカメラが無かったらもう終わっていたに違いない。

隣のノドカを見る。こちらも力尽きそうだ。それはそうだろう。妊婦なのだから。本来はこんな運動など御法度である。しかし逃げねば殺される。

ふたりが迷い込んだのは梅田の地下。別名を梅田ダンジョン。増改築が行われた複雑怪奇な構造であり、湿地帯を埋め立てた(だから"埋田うめだ")関係上工事が延々と続いている。地下街にも関わらず坂があり、地下1階にいたと思えばいつの間にか2階3階に迷い込む。分岐の多くは直角ではない。数か月もあれば通れる道が変わる。といった多様な要因によって地元民ですらその全貌を正確に把握するのは困難だ。

だから彼女たちがここに迷い込んだのは逃走に有利という意味でチャンスであったが、同時にピンチでもあった。

何故ならば、彼女たちの前方に立ちふさがったのは行き止まりだったからである。

「―――!」

周囲に逃げ込める店舗を探す。駄目だ。どれも飲食店。中は行き止まりに違いない。逃げ場は……!!

その時だった。壁の隙間からにゅるっと顔を出した、着物を着た動物が声をかけてきたのは。狸か?

「こっちこっち。お嬢さん方、追われとるんじゃろう」

「!?」

「ほら急げ、追いつかれるぞい」

わずかに迷い、雛子は決断を下した。今ノドカを守るには、この相手を信じるよりほかはない。

雛子は、まずノドカの手を掴んだ。次に相手の手を。手のやけどが痛む。引っ張られる。にゅるりと隙間に吸い込まれる。

ふたりの追跡者がたどり着いたとき、行き止まりに少女たちの姿はなかった。


  ◇


【梅田ダンジョン】


闇の中を、提灯の光だけが照らしていた。

先頭を歩いているのは着物を着た二足歩行の獣。当人曰く狸らしいがあまり現実の狸とは似ていない。人間の想像上の狸であろう。

「ここは梅田ダンジョン。人間たちが地下街を面白半分にそう呼んでる間に、本当に実在しない区画が出来ちまったんじゃよ。わしみたいな妖怪が何匹も住み着いておる。居心地がよくてのう。時折迷い込んでくるネズミやゴキブリを我慢できるのなら、じゃが」

後に続くのは雛子とノドカである。二人はおっかなびっくり、この地下空間を歩いていた。

そんな彼女らが付いてこられるようにだろうか、ゆっくりと狸は進んでいる。

「おじいさんは、ずっと昔から暮らしてるの……?」

「はっはっは。まさか。せいぜいここ数十年ってとこじゃなあ。この空間も元はそんなに広くはなかった。年を追うごとに大きくなって、ついには元の地下街より広くなってしもうた。今じゃあ誰も全貌を把握できておらん。わしらは人間の残飯や不要になった道具なんかをくすねて暮らしておるんじゃよ。その代わりと言っちゃあなんじゃが、迷い込んだ人間を助けて外に連れ出してやったりの」

先ほども食料の調達に出て雛子とノドカに出くわしたのだという。彼の片手にはタッパーやスープ用の魔法瓶がいくつも入ったトートバックが下げられている。この辺だけ妙に現代的っぽい。ちなみに提灯は前方でふらふらと浮遊していたりする。

「ま、実はの。お前さんたちを見かけたら助けてやってくれと知らせが来たんじゃよ」

「誰からですか……?」

「魔女様じゃ。何百年も前から大阪で暮らして居る。世界中を旅して最後にこの地にたどり着いたお方でのう。名前を聞いても"魔女"としか答えんので、いつしか悪天候の魔女などと呼ばれておる。きっとどこか遠くの国の古い、尊い神様なんじゃろうて」

雛子も、名前だけは聞いたことがあった。梅田のコミュニティのまとめ役のはず。

「大阪はもともと商売の町でなあ。住んでいる人間もそろばん勘定が得意じゃからか合理的というか。そのせいもあってこの地の妖怪は荒事があまり得意ではないのじゃ。

あのお方がおらんかったら外から来た悪い奴らで大変なことになっとる」

「偉い人なんですね」

「ほんまになあ」

そうやってしゃべりながらどれほど歩いただろうか。やがて二人と一匹の前方に、一見だけ灯りが付いた店舗が見えてきた。

「あそこがわしらの家じゃよ」

そうして、狸の老人はすたすたと店舗に向かっていった。二人も後に続く。

「「おじゃましまあす……」」

近づくと、向かい合った二つの店舗を改造して作った家屋のようだった。向かって左側の店舗はコンクリート打ちっぱなしの床に排水設備とバスタブと水道があり、風呂場なのだろうことが伺える。なるほど、誰も通らない地下街の隠れ里で風呂を見えないように作らねばならない道理はない。

反対側、電気のついた方の店舗は昭和を思わせる佇まいだった。こちらも床はコンクリート打ちっぱなしで、左右には様々な工具や作業台が置かれている。奥は一段高くなっており、靴を脱いで上がるのが前提なのだろう。地下街だというのに雨戸と障子で中と外が区切られている。明らかな生活臭が、ここにはあった。この狸のお爺さんは、優れた工作能力を持っているに違いない。

「おおい。婆さん。今帰ったぞ。お客さんじゃ」

奥からどたどたと足音が近づいてくるのを待つ間に、狸は振り返って笑った。

「ようこそ、梅田ダンジョンへ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る