第90話 追いかけてきた過去

【北城大付属高校】


真理がそれに気が付いたのは、部長の頭越しに見えたポスターの絵が動いていたからだった。描かれている人物はものすごい動きで吹き出しの中を指している。他の部員が目にしたら不味い。

「うーん。どうした網野ー?」

「あ、いえ、なんでもないですから」

不審そうな部長を迂回してポスターを見る。何でも『大至急!職員室前!!』と書かれている。七瀬初音の仕業に違いないことを理解した真理は、腰を浮かせた。

「すいません、職員室に用事あるの忘れてました!」

「そうかー。怒られてこいよー」

部長らの見送りを背にして、真理は走った。あれは相当に緊急なのだろう。急がねば。

そうしてたどり着いた先、職員室前で、真理は見覚えのある顔が並んでいるのを発見する。

竜太郎。安住詩月。そして———東慎一!?

思わず身構えた真理の眼前で、彼は立ち上がった。かと思うと飛びついてくる!

「おお……このにおい間違いねぇ。闇の女帝だ!!」

「……へ?ちょ、くっつくな、離れなさいって!?」

なんだこれは!?

混乱する真理だったが、とりあえずこいつが東慎一ではないのだけは分かった。もしそうでなかったら竜太郎がとっくの昔にボコボコにして警察に突き出しているだろう。

というか闇の女帝!?

昔の記憶が蘇る。真理がまだ生まれたばかりのころ、コンピュータワールドで暴れまわっていた時代に使っていた呼び名でまた呼ばれるとは。

「それ、昔の名前……っていうかあんた、ひょっとしてゴンザ!?」

「やった!闇の女帝を見つけたぞ!これで助かった!!」

「ああああ!その名前で呼ぶなぁ!!先生が聞いてる!!見てる!!離れろって!!」

頑張って押し返す。何とか引き剥がしたところで、真理は、視線を感じた。

竜太郎が、しみじみという。

「そうか。闇の女帝というのは網野のことだったか」

「………あああ……お、終わった……」

昔の名前を知られて思わず頭を抱える真理。恥ずかしいにも程がある。少なくとも女子高生が名乗るには正気を投げ捨てる必要があるくらいには。

こうして。かつてコンピュータワールドでその人ありと謳われた大悪党にして現女子高生、闇の女帝は足元から崩れ落ちた。


  ◇


「事情は分かったわ。助けに行くのは賛成だけど……」

事情を聴いた真理は、頭痛をこらえながら言った。先生や詩月、七瀬初音にまで昔の悪さをしていた頃の名前がバレた。これはしばらく引きずりそうだ。

そんな真理の内心を知ってか知らずか、勝手に盛り上がるゴンザ。「これで勝ったも同然だ!」とか叫んでいる。

大丈夫かこいつは。などと思う真理。まあ昔からこういう奴だったが。ゴンザは平たく言えば正義の味方のマスコットである。彼の相棒のΣシグマ=トリニティと真理は、かつて幾度となく激闘を繰り広げたものだった。最終的に真理が敗北を喫し、命と引き換えに二度と悪事をしないことを誓って戦いは終わる。十五年も前のことだ。今でもコンピュータワールドの古老に聞けば当時の話を知ることができるだろう。真理にとっては若気の至りという奴である。

そんな彼女の内心を知ってか知らずか。

「よし。善は急げだぁ!」

ゴンザが立ち上がると、急に手前の扉を開いた。中は会議室のはずのそこは、なぜか下りの階段がぽっかりと開いている。

「へ?ちょ、今から!?」

「さぁ。行こうぜ闇の女帝!」

いきなり手を掴まれる。引っ張られる。連れていかれる。いやいやいや。

あれよあれよ。という間に、階段の中に連れ込まれていく真理。ゴンザが操っているのは屈強な東慎一の肉体だ。逆らえない。

置いてけぼりを喰らった竜太郎は、ぽかん。としていたが。

やがて意を決したか、彼も階段へと踏み込んだ。

後に残されたのは安住詩月と―——

『行く気?』

詩月にそう尋ねてきたのは、ポスターの絵。いや、それを介して話しかけてきている絵の妖怪、だったか。

「あ、はい」

『普通の人間が行ってどうにかなるものじゃあないわよ』

「でも……核ミサイルとか言ってましたし……」

『……はぁ。分かったわ。じゃあ、手を出して。ポスターに手を当てて』

「え?こうですか」

詩月がポスターに手を当てると、熱が流し込まれる感覚がした。しかしそれも一瞬。

「……これは?」

『絵を描き込んだ。私の分身。それがあればあなたを守ってあげられるから』

見れば、掌に少女をデフォルメしたマンガ絵が描かれているではないか。油性のペンで描いたものだろうか。そこから吹き出してセリフが浮かび上がっているのだ。

『念のために聞くけど、ほんとに行くのね』

「はい」

『分かった。気を付けて』

それで、警告は最後だった。詩月は荷物を掴むと、扉の中に入っていく。

その姿が廊下から完全に見えなくなると同時に、扉は勝手に締まり、そして人払いの効力は失せていた。廊下に人通りが戻る。

誰も、そこに開いた異空間への扉に気付くことはなかった。


  ◇


【コンピュータワールドと物質世界の狭間 秘密基地】


そこは、秘密基地だった。

まるで子供の夢が丸ごと現実になったかのような半地下の空間である。壁には一台の年代物のパソコンを中心にラックが据え付けられ、所狭しと様々な電子機器が無秩序に接続されている。古いものは90年代、新しいものは今年のモデルだ。様々な機器を増設し続けた結果こうなったのだろうことは容易に想像がついた。

中央の作業台には様々な工具や図面が散らばり、部屋の隅にはおもちゃ箱や冷蔵庫、奥には給湯室やトイレ、シャワーもあるようだった。必要なら何日でも籠って作業できるだろう。

だが、最も目を引いたものがある。

「……人間?」

明らかにこの空間の最重要機器であろう、古ぼけたパソコン。その前に突っ伏しているのは、人間に見えた。彼の体に広がり、覆い尽くしているのはノイズであろうか。まるでプログラムが実体化したような印象を受ける何かがパソコンのモニターからあふれ出し、包み込んでいたのである。

「ゴンザ。あれは何。ここはどこなの」

「ここは秘密基地だぁ。シグマ=トリニティのなぁ」

「!こんなところにあったの……」

シグマ=トリニティ。巨大なスーパーロボット型の電子怪獣を操り、悪ある所に現れて戦いを挑む正体不明にして無敵の電子妖怪である。本名かどうかも分からない。Σシグマ=トリニティとはあくまでもロボットの名前で、本体は別にいるとも。

「あんた、ずっとあいつと一緒にいたんだ」

「そりゃあなあ。長い付き合いだよぉ」

「そっか。それで、そこの人は?」

「あれはパイロットだぁ。トリニティの本体はそこのパソコンだぁよ。それにふたりの人間が力を貸すことでシグマ=トリニティが完成するんだぁ。やられちまって、あのざまだけどなぁ」

「そんなからくりだったのね……まって。一人しかいないけど」

「一人欠員が出ててなぁ。この十五年でパイロットは何人も入れ替わってるよぉ。間の悪いことだぁ」

「なるほど……」

ふたりが話し込んでいると、入口の階段を男が降りてきた。竜太郎である。

「やれやれ。これは凄いな。どこにでも出入り口を開けるのか」

竜太郎は中を見回し、そして真理たちの方へと視線を向ける。

「先生。来ちゃったんですか」

「あんな話を聞いてこないわけにもいかないだろう」

「まあ先生なら大丈夫だと思いますけど」

「それでどうする?」

「あー。ゴンザ。トリニティはまだ助かるのね?」

「もちろんだぁ。パソコンを修理して、ウィルスを取り除いて、気絶してるパイロットを手当てして、欠員を補充すれば」

「うわ。めっちゃたいへんそう。というかこのウィルスやばいなあ。

……先生。来て早々悪いんですけど、あのウイルス引っぺがして貰えませんか。私たちがやると大変なんで」

「ウィルス?あのパソコンの画面から出てる奴か」

竜太郎が慎重に、パイロットを覆い尽くしているものに近寄っていく。

「はい。普通の人間には影響はないはずです。あくまでもコンピュータウィルスですから」

「彼には影響してるように見えるが」

「彼は、そこのパソコンと同調してたからやられたんだと思います」

「なるほど。分かった」

そこまで確認すると、躊躇なくべりべりべり。とウィルスを引きはがし始める竜太郎。こういう時は頼りになる。

「で、これはどこに捨てたらいいんだ」

「あー。ゴミ袋にでも詰めて燃えるゴミに出して貰えれば……」

「コンピュータウィルスって燃えるゴミだったのか……」

そうこうしているうちに、また一人降りてきた。今度は詩月である。

「あー。あのー……」

「君まで来たのか」

「は、はい。心配で……」

竜太郎は思案すると、詩月に仕事を与えることにした。せっかくいるのに使わないのはもったいない。

「安住。すまんが戻ってゴミ袋を取ってきてくれないか。燃えるゴミの奴を」

「え、ゴミ袋ですか」

「ああ。これを掃除しないと始まらないらしい」

「わ、分かりました」

覚悟を決めていたろうに、すぐに戻っていく羽目となる詩月。

竜太郎はウィルスに向き直ると、袖をまくった。大掃除の時間だ。

こうして、秘密基地での戦いの第一ラウンドが始まった。

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