第89話 尋ね人と少女

【北城大付属高校 職員室】


「また人身事故か」

帰る直前だった竜太郎は、スマホを見て呟いた。JR神戸線が止まったらしい。しばらく帰れそうにない。

昼の学校でのことである。授業のみを受け持つ竜太郎の1学期の勤務は今日で終わりだった。夏休み期間は通例他の仕事をしているが、今年に限っては違った。以前の小鬼騒ぎで予定していた仕事が吹っ飛び、先日の天使との戦いの後始末も大変だったせいだ。まあ以前競馬で当てた資金がある。今年の夏は仕事をしなくても大丈夫だろう。税金が怖いので節約が必要だが。

今日はたまり場で昼食を取ろうと思っていた竜太郎は思案。電車が復旧するまで冷房の効いた職員室で過ごすのがよかろう。引き出しの非常食を取り出す。これも夏休みに向けて整理してあるので残りが少ないが問題ない。どうせ今日で最後である。と思ったが、飲み物が足りない。仕方ない。食堂前の自販機に向かう。

それにしても外は暑い。部活棟は外壁の修理工事の真っ最中だ。作業員は大変だろう。元々予定されていたとはいえ。それ以外にも以前、東慎一に破壊された(というか東慎一を倒すために竜太郎と真理が破壊したのだが)いくつかの教室の修復が本格的に始まる。こっちも夏休み一杯かかるとかなんとか。迷惑な話である。

生徒たちが帰る様子に目をやり、自販機前にたどり着く。小銭を入れてジュースを買う。それを持って職員室に戻ろうとした矢先。

校門で、見覚えのある生徒に見覚えのある男が話しかけているのが目に入った。

片方は2年の安住詩月。七瀬初音のの娘である。まあそれはいい。問題はもう一方。あれは———東慎一!?なぜここにいる!?

反射的に投石紐を取り出した竜太郎は、すんでのところで手を止めた。あの無防備な様子からすればここからでも殺すのは容易だ―——ほんの50メートル先に缶ジュースを投げつければいいだけなのだから。だがどうも様子がおかしい。ひょっとして別人、他人の空似か?そもそもあの男は警察に逮捕されているのだから。

確認せねばならなかった。生徒の生命がかかっていたから。

竜太郎は、校門に向かった。


  ◇


【北城大付属高校前 通学路】


校門から出た安住詩月は困惑していた。何故ならば謎の男性に呼び止められたからである。

「あー。そこのあんた。すまねえ。ちょっと聞きたいことがあるんだけども」

「はあ」

相手は見覚えのない三十代?くらいの男性である。先日の学校襲撃事件の時詩月も居合わせたが、何しろ速やかに避難したので侵入してきた不審者を目の当たりにしていない。ほとんどの生徒がそうだろう。なので相手がその不審者だ。という事実に彼女は気が付かなかった。

この暑いのに長袖長ズボンで帽子もかぶっていない男性。暑そうだが、全然そんなそぶりを見せない男性は質問を口にした。

「俺っち、人を探してるんだ」

「ひとですか」

「ああ。闇の女帝っていうんだけどよぉ」

「……はい?」

謎の名前が出てきた。聞き間違いだろうか。あるいはハンドルネームか何か?

「や……闇?女帝???」

「ああ。あんたから彼女の気配がかすかだがするんだよ……きっと前に何かで関わったことがあるんだ。俺っちの鼻は効くから間違いねぇ」

やばい。何を言っているのかわからないが変な人だ。

思わず詩月が後ずさった時だった。その男性の頭からぴょこん。と耳が飛び出したのは。

……獣耳?

更に、尻尾がびよんと延びる。なんだこれは。コスプレだろうか。

明らかに作り物には見えないそれに、詩月の視線は釘付けとなった。

「……あ」

男性は詩月の視線に気づいたか、慌てて頭の耳を手で隠した。抑え込むようにすると、消える。

もっとも、頭隠して尻隠さず。尻尾はそのままだったが。

「しっぽ。出てますよ」

「あー。ありがとよぉ」

素早く手で押さえ込み、尻尾を消す男性。何なんだこれは。

よくわからないが、変質者とは違う方向性で変なのは詩月にも分かった。

「とりあえず、学校でひとを探すなら職員室に行ったらどうですか」

「あー。なるほどなあ。そういうのがあるんだな。すまねえなぁ。物質世界リアルワールドは久しぶりなもんで」

「はあ」

とりあえず来た道を戻り、校門の内側に入ると指をさして教える。

「あっちが事務室。そこで入れてもらってから、職員室に行ったらいいと思います」

「そうかぁ。ありがとなぁ」

話はそれで終わりかけたところで、誰かが駆けてきた。すごい剣幕で。

振り向くと、たぶん先生だろう。見覚えが微妙にある。誰だっけ。

「安住。大丈夫か」

「あー。はい。なんかよくわかんないんですけど、この人が誰かを探してる。って」

「誰か?」

説明された先生は、男性の方を向いた。険しい表情だ。うーん?

「……お前、やはり東しん―——」

「あー!」

男性が突然大声を出すと、先生に対して顔を寄せた。近い。

「あんたからぷんぷんにおうぞ!妖怪のにおいがいっぱいだ!!探してるにおいも!!俺っちの鼻は騙せねえそ!」

「ちょ、お前―——東慎一じゃあ、ないのか?」

「?俺っちはそんな名前じゃあないぞぉ。ゴンザってんだ。この兄ちゃんはちょうどよかったから中に入ってるだけだぁ」

「……分かった。話を聞こう。場所を変えた方がいいな―——ちょっとこっちに来い」

何を言っているのかは詩月には分からなかったが、先生には男性の言っていることが分かるようだった。それにしても―——妖怪?

疑問に思った詩月は、先生に問いかける。

「先生。あの」

「ああ。安住。もう帰っていいぞ」

「いえ。質問あるんですけど。この人、さっきネコミミみたいなのと尻尾が生えてたんですが。コスプレとかじゃなくてどう見ても体から生えてる奴」

「……見間違いじゃあなく?」

「はい」

先生は、額に手を当てて考え込んだ。頭が痛そうだ。

「……見られたのか……分かった。一緒に来なさい」

詩月はこくり、と頷いた。


  ◇


【北城大付属高校 職員室前廊下】


北城大付属高校の職員室は廊下を進んだ先にある。建物の端なのだ。その手前には渡り廊下に繋がる階段もあり、廊下を進めば会議室や進路指導室、科目ごとの作業部屋もあった。そして、それらの前には長机と椅子も。主に生徒指導や勉強、教員の作業などに使うものだが。

その一つに腰かけた竜太郎は、自称ゴンザと詩月に椅子を勧めると壁に貼り付けられたポスターを叩いた。

「七瀬さん。聞こえるか?人払いを頼む。あと、網野を呼んでくれないか」

謎の行動に疑問符を浮かべた詩月は、次の瞬間ギョッとした。ポスターに描かれた絵がからである。これは!?

見ている間にも、、文章が作られていく。

『何事?―――そこにいるのは東慎一?それに詩月まで』

「僕も状況がよく呑み込めていないが、こいつは恐らく東慎一じゃあない。別の妖怪だ。さっき話してみた感じではそうだ。安住はこいつが人間じゃない部分を見たらしいから連れてきた。これから聞き取りをするから、七瀬さんも聞いていてくれないか」

『分かった。網野さんはちょっと待って。彼女の視界に適当なものがないから』

「了解。その間に彼から話を聞いておこう。

えーと。安住。大丈夫か」

そういわれても、詩月は目を白黒させるばかり。

彼女は、以前の騒ぎを覚えていないのだ。正確に言えば、美術室であった出来事を夢だと思っていたのだった。もちろん美術室の絵画が意思を持ち、学校中の絵を通して自分をずっと見ていたなど思いもよらない。

「あの。先生、これ何なんですか」

「一言で説明するならそうだな。妖怪だ」

「……はい?」

「妖怪。超自然的なものの総称として僕は使ってる。天使。悪魔。怪異。幽霊。都市伝説。神。なんでもござれだ。今僕が話していたのは美術室にいる生きている絵画だ。ああ。彼女は人間に友好的だから心配しなくていい。特に危険はない」

「はあ……」

辛うじて頷きこそしたが、詩月は納得していないようだった。まあそれはそうだ。いきなり妖怪の実在を真顔で伝えられても困る。いくら目の前に明確な証拠があるとはいえ。

「だがまあ、危険な奴もいる。こいつが大丈夫かどうか、今から確かめる」

そして竜太郎は、ゴンザに向き直った。

「で、お前は何者だ。ゴンザといったか」

「ああ。俺っちは"ゴンザレス"。略してゴンザだぁ。これでも電子妖怪だぁよ」

「電子妖怪……コンピュータネットワーク上に生息している種族だな。それがなぜ、僕たちを襲った男の体に宿って訪れた?」

「あぁ。そうだったんかぁ。それは悪いことしたなぁ。俺っちは闇の女帝を探しに来たんだぁよ。助けてもらわなきゃならねぇ」

「闇の女帝?何者だ」

「十五年前、コンピュータワールドを去って物質世界リアルワールドに移り住んだ大妖怪だぁ。昔俺っちの相棒と何度も戦ったライバルなんだぞぉ」

「ふむ。その闇の女帝というのも電子妖怪だな?網野に聞いたらわかるかもしれないな……

それで、助けを必要としているということだが、何があった」

「それがなぁ。今釜山プサンにいる、アメリカの戦略原子力潜水艦の中のコンピュータワールドになぁ。悪い妖怪がいるんだぁ」

「……!!」

「そいつを見つけた俺っちと相棒が挑んだんだがぁ、歯が立たなくてなぁ。相棒を置き去りにして助けを呼びに来たんだぁ。まずいだろぉ?」

「なるほどな。事態が急を要するのは理解した。そいつを倒すために援軍として、"闇の女帝"という人物を探している。そういうことか」

「話が早くて助かったぁ。あんた、人間なのにいい奴だぁなぁ」

「まだ分からんぞ。話の真偽を確認しないといけない。それをできる者がこの学校にいる。彼女が来るまで待っていてもらおうか。

……で、安住。大丈夫か」

「あー。なんかヤバそうな単語が聞こえてきたような」

「気にするな。どうせ人間にはどうしようもない」

「いや、気になりますから。無茶苦茶」

スケールがいきなりでかくなった話に、詩月の頭は許容限界を超えつつあった。どうすればいいのだろう、これ。

混乱する少女を置いてけぼりにして、事態は進行しつつあった。

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