第91話 どこでも扉の怪
【北城大付属高校裏手 ゴミ捨て場前】
ガチャリ。と、校舎の裏手のガラスの扉が開いた。その向こうは何故か地下に続く暗い階段である。
そこから出てきた安住詩月は、パンパンに膨れ上がったゴミ袋を両手に持ってゴミ捨て場に運ぶ。
「おー。ごくろうさん」
「あ、こんにちは」
初老の教師に会釈するとゴミを捨て、素早く戻っていく詩月。彼女の方に視線を向けた教師だったが、校舎の出入り口の異常に気が付くことはなかった。小さな人払いがかけられていたからである。
ドアが閉まる。正常に戻る。また開いて詩月がゴミ袋を捨てに来る。そのサイクルを、教師はボーっと眺める。
やがて。
「お、終わった……」
最後のゴミを捨てた詩月が帰っていくと、もう出入口が異空間に繋がることはない。
初老の教師は、最後まで異常に気付かなかった。
◇
がちゃ。
突然開いた扉からあまり見慣れない(見慣れている者もいる)中年の教師が入ってきたのを見て、天文学部の面々はぎょっとした。
「すまん。網野の荷物はどれだ?」
「あー。それです」
「ありがとう」
素早く真理の荷物をまとめると、運んでいく教師。なんだなんだ。
「網野は今日はもう戻ってこないから」
「あー。分かりました」
それだけやり取りをすると、教師は来た時同様扉の向こうの異空間に消えていった。もちろん誰も気が付かない。
しばし呆然としていた一同は、やがてもともとの作業に戻った。
◇
【兵庫県神戸市灘区 オフィスビル】
遅い昼食を取ろうとした
『もしもしお母さん!?』
「あらあら。どうしたの、真理ちゃん」
『あのね―——シグマ=トリニティ覚えてる?』
「まあ。懐かしい名前。彼がどうしたの?」
『あいつ、死にかけてる。それで助けを求めてきたの。お母さんの手も貸して』
「私の?どれくらいまずい状況なの?」
『激ヤバ。下手すると何万人も死ぬ』
「……分かった。準備するわ。どうすればいい?」
『ゴンザを迎えに送るからついてって』
「了解」
それで通話は終わりだった。
仕事をしている場合ではない。バッグに最低限の荷物を詰め込む。よっこいしょと立ち上がる。開きかけた弁当箱を包みなおし、仕舞う。食べる時間はあるだろうか。
傍らの秘書に声をかける。
「佐伯さん。ちょっと用事ができたから今日はこれで帰るわ」
「わかりました。娘さんですか?」
「そんなとこ。じゃあ後はお願いね」
「はい、社長」
そうこうしているうちに、部屋の扉が開くとがっしりとした男が突然入ってきた。
「えーと。闇の女帝……じゃなかった、真理に言われて迎えに来たんだけどもぉ。お母さんってどっちだぁ?」
事前の連絡がなければ明らかに不審者な彼に対して、圭子はにこやかに答える。
「私よ。あなた、ゴンザね。懐かしい。こうして直接会うのは初めてかしら」
「おー。あんたかぁ。んじゃあ行こうかぁ」
「ええ」
そうして圭子は、ゴンザに手を引かれながら扉の向こうに消えていく。
その様子をぽかん。と見送る秘書の佐伯。
扉が閉まり、正常な時空間が戻ってくる。
「……」
秘書は、無言で仕事に戻った。
◇
【秘密基地】
「典型的なスパゲティ配線ねえ」
網野圭子は、壁一面に詰め込まれた複雑怪奇な構造体を見上げた。これを直すのは骨だ。とはいえ事情を聴いた以上はやらねばならない。核兵器を搭載した原子力潜水艦がどこの馬の骨とも知れぬ妖怪の支配下にあるのだ。急いで何とかしなければ夜も寝られない。
「お母さん、何とかなりそう?」
「たぶん、ね。恐らく元々のパソコンだけじゃあパワーが足りなくなったから増設に増設を繰り返したんでしょうけど」
真理に答えながら修理手順を考える。あのパソコンは相当な年代物だ。大事にされているうちに命が宿ったのだろう。とはいえ技術の進歩についてくためには妖力だけでは無理だったに違いない。圭子にも妖怪に関する知識は人並以上にあった。
室内には他に真理の先輩にあたる女子高生。屈強な男性(例の東慎一を操っているらしい)の姿をしたゴンザ。簡易ベッドに寝かされている、小学校高学年くらいの男の子。そして。
「買ってきたぞ」
「すいません先生。雑用させちゃって」
食料や飲み物をたっぷり詰め込んだ袋を手に、男性教師が入ってくる。圭子は彼に見覚えがあった。以前学校が襲われたときに応戦し、真理を救ってくれた山中という教師だ。投石の達人で十を超える数の妖怪を倒してきた凄腕ハンターだと聞いている。
「先生、こんにちは。先日はどうも」
「あ、お母さんですか。これはどうもお世話になっています。
それと先日は紹介している時間がありませんでしたが、こちらは助手の小宮山雛子です」
「よろしくお願いします」
「あらあら。あなたの話も聞いているわあ。娘を助けてくれたそうね」
不審者のような恰好の女の子も一緒だった。フード付きの上着にレギンスを履き、狐面で顔を隠している。彼女も確か妖怪だったはず。
ぺこぺこと社交辞令合戦が済み、一同はパソコンに向き直った。
「じゃあ分担を決めるわ。お母さんが修理している間に、私が近場の電子妖怪に声をかけて集めてくる。頭数が揃ったら早速殴り込むの。トリニティの修理が間に合わなくても手は打たなきゃ」
「そうね。ええと、ゴンザ?トリニティにはパイロットが二人、必要なのよね?」
「そうだぁ。トリニティ自身と二人、合わせて三位一体になった
「そう。じゃあ、あの子は無理そうだから……」
圭子は簡易ベッドに寝かされている少年を見る。気絶している彼が、現在のパイロットらしい。伝統的に代々人間の子供がパイロットとなるのだとか。一人は大学進学と共に東京に出たため、現在欠員中らしい。
「先生と、ええとそちらはお名前は?」
「あー、安住詩月、です」
「そう。詩月さん、ね。とりあえず二人、これでパイロットは確保できた。完璧だわ」
「え、私ですか」
「平気よ。こちらの先生は凄い妖怪ハンターなんだから」
「はあ……」
パチン。と手を打った圭子は、宣言した。
「さあ。では、原子力潜水艦奪還作戦、開始しましょ」
◇
あれよあれよという間に事態が進展していく様子に、詩月は半ば置いてけぼりとなっていた。どうしよう。パイロットとか言われてる。スマホに付けるアンテナも配られた。何でも、これを付けた機器同士は異空間であっても通信できるとかなんとか。
ひとまず掌を見る。そこに描かれた落書きは自分を守ってくれるそうなのだが。そういえばこれ後で消えるんだろうか?
などと思っていると、落書きが喋った。吹き出しにセリフが浮き上がる。
『大丈夫?』
「あー。大丈夫だとは思います。まさかゴミ捨てさせられるとは思わなかったですけど」
『その程度で済みそうでよかったわ。妖怪絡みの事件じゃあ、死人が出ることも珍しくないから』
「そうなんですか?」
『あの子も、危うく死ぬところだった』
言われて、簡易ベッドを見る。そこに寝かされた少年は、この部屋に詩月が入ってきたとき得体のしれないウィルスに包まれて気絶していたのだ。確かに死にかねない状況だったのは分かる。
『いざとなったら先生を頼りなさい。彼が一番、この中にいる中では経験豊富よ。間違いなく』
「そんなに……」
『まあ、あなたの出番が来る前に終わることを祈るわ。応援を集めるって言ってるし』
こんなふうにふたりで話している間にも、秘密基地内では皆が作業に入っていた。だから、ガタゴトという音がした時、詩月はそれが作業の音だとばかり思ったのも仕方のないことだったろう。
それが違うと分ったのは、ゴンザが階段の方を不審そうに見に行ったから。
「うーん?なんかおかしいなあ……」
言いかけた彼の言葉は、中断を余儀なくされる。上からなだれ込んで来た、2メートルもあるクリスタルの昆虫によって。
「うぎゃあ!?」
一番近い位置にいたゴンザは跳ね飛ばされると作業台に激突。目を回した彼から、長い耳を持った狸と兎のあいの子みたいな小動物が転がり出てきたではないか。それは、おもちゃ箱をひっくり返して止まる。
―――え?何?
皆が浮足立つ中、いち早く竜太郎がボディバックに手を突っ込みつつ紐を構えた。その横を雛子が突進し———
衝撃音。
雛子が振るった見えない何かが、昆虫の頭部に食い込んだ。凄まじい破壊力に晒されたクリスタルの構造はひび割れ、そして粉々に砕け散る。かと思えばその亡骸は消えていった。
「―――次が来るぞ。敵襲だ!!」
竜太郎の叫び。
昆虫は、一体ではなかった。同様の怪物が何体も、階段からあふれ出ようとしていたのである。
同時に彼の手から石礫が投げつけられ、別の昆虫が砕け散る。凄まじい破壊力だ。
詩月が呆然としている間に、戦いが始まった。
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