第84話 決着
「よう静流。やったな」
静流はひざまずいた。倒れている建御名方を助け起こすべく、そうしたのである。すぐにそれが不可能なことも、悟っていたが。
建御名方の体は半ば崩れつつあったからである。
「おっちゃん……」
「一番厄介な奴は倒しておいたぜ。悪いが俺はここで退場だ。後は何とかできるな?」
「うん……」
静流は、傍らに倒れている甲冑の男へ視線を落とした。背中から翼が生えている。天使だろうか。こいつが敵の首領なのだろう。でなければ、建御名方と相討ちになるわけがない。
「さ。ノドカを助けに行ってやれ。お前のことを待ってる。俺に構うな」
「おっちゃん……」
「行け。俺の最期なんか見るな。大丈夫だ。俺は死なねえ。また百年ほど寝るだけのことだよ。な」
建御名方の言に従い、静流は立ち上がる。最後に師を一瞥した彼は、一言だけ告げた。
「ありがとう」、と。
そうして去っていく少年の背を見送ると、建御名方は瞼を閉じる。やがて彼の原型を留めていた最後の部位までもが塩と化すと、豪雨に打たれるままに溶け、流れていく。
そうして、武神は地上より去っていった。自らの眷属である水と一体になって。
◇
【ホテル最上階 スイートルーム】
戦いの音が止んでいた。
ノドカは入口の前に立ち、勝者の訪れを待つ。長い時間ではないだろう。現れるのは誰だろうか。静流?エシュ?マステマ?それとも、警察署で助けようとしてくれた男の人たち?
やがて扉を開けて入ってきたのは、そのいずれでもなかった。
額に角を備え、もとは豪奢だったのだろうボロボロな服を身に着けた、緩いウェーブの黒髪の青年が、扉を開けて入ってきたのである。
「君が藤森ノドカか」
良く響く、美しい声だった。
青年に対してノドカは頷く。
「ええ。あなたは」
「警察署でシズルを助けた者のひとりだ。クリスティアンと呼んでくれ。彼と一緒に君を助けに来た」
「静流は……無事なんですか?」
「彼は落ちた。下の階で、
「!」
「気休めしか言えないが、きっと無事だ。他の仲間も下で戦っている。さあ。ここから出よう」
「はい」
ノドカはクリスティアンに従い、部屋を出た。
◇
【ホテル ロビー】
「……生きてる」
竜太郎は呟いた。
そこかしこでは仲間の妖怪たちもひっくり返り、あるいは柱にもたれかかってダウンしているが生きてはいるようだった。恐らく、全員が。
まさに奇跡だった。
「雛子ちゃん。大丈夫かい」
「はい……なんとか生きてます。竜太郎さんは」
「同じだよ。もう一歩も歩けないけどね」
外での戦闘音が止んでしばらくたつ。決着がついたのだろう。マステマが倒されたか、あるいは武神―――建御名方がやられたか。どちらが生き残ったにせよ、無事では済まないに違いない。もしマステマが生き延びたとして、今の自分たちを殺すだけの余力はないはずだ。
助けを呼ばねばならなかったが。
そこで入ってきたのは、静流だった。彼は死屍累々になっている妖怪たちを見て絶句。
そこへ、竜太郎は声をかけた。
「やあ。外はどうなったかな」
「あ……終わったわ。終わってしもうた。相討ちや。建御名方のおっちゃんが……おっちゃんが……」
それで十分だった。マステマが斃れたということが分かれば。
先ほど助けに現れた武神は、間違いなく昨夜竜太郎を襲った男だった。やはりあれが建御名方だったか。
酷い目に遭わされたが、命を救われた。
「そうか。他の敵は?」
「人間に化けてたタコみたいな奴と、狼男はやっつけた。後はわからへん。あ、上の階にクリスティアンの兄ちゃんはおるけど無事なはずや」
「わかった。十分だ。よく頑張った」
竜太郎と雛子が倒した騎士、そしてマステマを含めればこれで四体。
「じゃあ、後1体。残ってるのはラバトゥチか」
「そいつは倒したよ。たった今な」
今度答えたのは入口から入ってきた天狗。火伏である。
「ということは、終わりましたか」
「たぶんな。人払いが消えかけてる。かけ直したら救援を呼ぼう。みんなボロボロだからな」
「ええ」
そして火伏は、静流に告げた。
「さあ坊主。お姫様を迎えに行ってやれ。もうクリスティアンが助け出した後かもしれんがな」
「そやな……行ってくるわ」
奥の階段へと向かった静流を見送り、残された火伏は竜太郎の横へと腰かけた。天狗の姿のまま。よく見るとこちらもズタボロだ。
「やれやれ。酷い目にあった」
「こっちもです。建御名方神が来なければ全滅でした」
「だろうな。あいつが相討ちになるような相手じゃあそうなる」
「とんでもないですね」
「あんなのが、世界中見渡せば結構ゴロゴロしてる。それでもこの世界の均衡がとれているのは、何千年もの間人間と衝突し続けて学んだからだ。人類を敵に回すのは恐ろしいとな。人間が勝ち取ったんだよ。この世界は」
「そういうものですか」
「ああ。そうだ」
やがて火伏はよっこいしょ、と立ち上がった。突入部隊では彼は最も軽傷な一人だ。コミュニティに連絡し、応援をよこしてもらわねばならない。負傷者の収容。破壊されたホテルの修復。情報の隠蔽。やるべきことは幾らでもある。
「じゃあ俺は応援を呼んでくる。動けるようになるまで休んでいてくれ」
「はい」
そうして、火伏はホテルから出ていった。
◇
【ホテル前広場】
豪雨が打ち付ける中。エシュはまだ生きていた。静流が仕留めたと誤解していたのも無理はない。頭蓋は砕け、首はねじ曲がり、その生命の炎が今にも絶えようとしていたのは確かだったからである。もはや何もできない。
彼は、腕を伸ばした。そちらで倒れ伏しているであろう、主に対して。主は敵神と相討ちとなったのであろう。あの凄まじい神気の消失。そして、主君が健在であれば己を助けるはずだがその気配が全くない。という二つの点から、この
2000年も生きていれば、死は怖くない。獣人は現在でもメジャーな概念だ。どうせいつか蘇る。主君の死も、これで二度目だ。乗り越えられない挫折ではない。ただ、それでも悔しかった。主マステマの望みが叶わなかったことが。蘇った主は、またやり直そうとするのだろうか。それとも諦める?分からない。エシュに―——この
それにしても。
ノドカ=藤森の宣言の通りになったな。と思うと、口元が緩む。世間知らずな小娘の大言壮語だと思っていたが、勝負の半分は彼女の勝ちだ。残り半分。生まれてくる赤子を正しい道へと導くということを達成して初めて、彼女の勝利は完璧なものとなる。簡単ではなかろう。どれほどの苦難が彼女の先行きに待っているか想像もつかない。だが、彼女ならやり遂げるだろう。そう思うと、敗北も悪くないと思えた。この
実の父同然に慕っていた。2000年前、市場で拾われて以来マステマに仕えてきた理由はそれだけのこと。とはいえ、今になって思う。誤った道に進もうとする主君を止めなくてよかったのか、と。あの娘と出会ったからこそこう思うようになったのかもしれぬ。
まだまだ名残惜しいが、もう時間のようだった。
まあよい。続きは蘇ってからとしよう。主君が蘇るまで、考える時間はたっぷりある。
こうして、2000年の時を生きた
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます