第83話 鉄と石

【兵庫県神戸市中央区ハーバーランド ホテル敷地内】


ホテルの壁面が、吹き飛んだ。

そこから飛び出してきたのは二柱の超越者。一方は甲冑をまとって翼を広げた天使マステマであり、もう一方はざんばら髪の武神建御名方である。

マステマの二刀が振るわれる。その切っ先の速度は音速をも超える。対する建御名方の武器はその肉体そのもの。剣に対して徒手空拳はリーチであまりに不利と思われたがそれは違った。

建御名方は踏み込む。拳を突き出す。その衝撃は、振り下ろされようとしていた天使の剣まで伝わり、軌道を捻じ曲げる。さらにはもう一方の拳の一撃が天使の顎をかすめた。それは直接触れることなく、数歩の距離を開けてなお届いているのだ。

遠当て。力の最適な伝導を奥義とする神の相撲の真骨頂ともいえるわざ。武神ともなれば、離れた相手であっても打撃を直接伝えることができるのだ。先ほどロビーで玄関からマステマに当てた一撃もこれである。

とはいえほぼ同格の相手に対しては"押す"ことしかできない。ダメージを与えるにはどうしても踏み込まねばならぬ。さらに言えば天使の甲冑や翼は強固だ。建御名方自身の肉体のように。

―――投げるしかない。

あるいは関節を極めるか、締め技か。どれを選ぶにせよ、勝利のためには密着することが不可欠だった。

対するマステマも攻めあぐねていた。今は凌いでいるが、剣の間合いより内側に入り込まれればあまりに不利。かといって距離を置こうとも弓は効かぬ。塩化の呪いもはじき返された。方法を思案する。弱点を探らねば。

剣を振るう。拳が。建御名方の足踏みでマステマの足元が吹き飛んだ。天使の聖なることばが武神に絡みついた。一撃ごとに衝撃波が走り、大気が切り裂かれ、豪雨が吹き散らかされて雨のない空間が生まれる。余波で街灯が砕け、電柱が切断され、マンホールが爆砕、乗用車が消し飛ぶ。今、二柱の戦いに近寄ることは死を意味していた。

「建御名方―――タケミナカタよ。そなたは奇妙な神だ。大国主神の子でありながら古事記に系譜が見られず、日本書紀に至っては記載すらない。それは、そなたが国譲り神話に挿入された存在であるからだ」

マステマは一撃を受け止める。反撃を繰り出す。軌道を逸らされる。その繰り返しだ。構わない。時間を稼ぐことができるのであれば。言霊を紡ぐ時間を。

言葉を発する。そうすることで付随する知識がマステマ自身の内から湧き出してくる。卓越した霊視の力は、眼前の敵神に関する知識を引き出すことさえ可能とするのだ。ましてや最高の手がかりが目の前にいる。建御名方自身の存在と、その名前。

「建御名方よ。そなたの原型は諏訪の古い自然神であろう。本性は蛇神であるはずだ。それが敗者としての属性が付与されるのと同時に人格神に変化した。古代朝廷による統合と征服の過程で変質した結果、建御名方という神が誕生したのだ」

飛び上がる。頭上から攻め立てる。無手の敵手の方が小回りが利く。こざかしい。

「千引の大岩を持ち上げたそなたに対する剣神建御雷の勝利は『石に対する鉄の勝利』を表し、また狩猟神であるそなたに対する雷神、すなわち農耕神でもある建御雷の勝利は『狩猟文明に対する農耕文明の勝利』をも意味すると解釈できる」

「―――へっ。それがどうした!」

建御名方の攻めが激しくなった。焦っている。マステマにとっては予想の範疇だ。良い兆候だった。

「私の前に立つそなたは、主君によって遣わされた征服者に敗北するという属性を付与された神だ。そして我が名は敵意マステマ。主の意に従い、人間を試す者であると同時に悪霊を捕縛するものであり、異教の神々を支配するものでもあり、それはすなわち残酷な征服者でもあるということだ。この戦いが始まった時、すでにそなたの敗北は運命づけられていたのだ」

言霊が完成する。これまでの言葉が剣に刻み込まれた。天使のことばはただの音声の連なりではない。発された言葉はすでに現実なのだ。

だから。

「建御名方。そなたは我が鉄の剣の前に敗北する運命である。同じく鉄の神である、建御雷に敗北したように!!」

マステマは踏み込んだ。二刀が同時に振り下ろされる。それは建御名方の防御をいとも簡単に打ち破り、両肩に食い込んだのである。

「―――おおおおおおおおおおおおおお!」

「!?」

剣が両肩を完全に切断しようとした刹那、建御名方は身を捻り、強烈な蹴りを繰り出した。それはマステマの腹部を真横から襲い、そして凄まじい破壊力を発揮する。直撃を受けたマステマは、十メートル以上も吹き飛ばされたのだ。

相打ちであった。―――いや。

ゆっくりと身を起こす、マステマ。対する建御名方は両手で剣を抜くと投げ捨て、そして踏み砕く。

一見して重傷を負った建御名方が不利と見えたが、マステマも武装を失い腹を強く蹴られた。甲冑に守られたとはいえ。

戦いはまだ終わってはいない。各々が身構える。建御名方は足技主体に。対するマステマは組打ちに応じる姿勢である。

両者がにらみ合う。次に動いたときが、勝敗の決する時だろう。

その瞬間を、天使と武神は待った。


  ◇


【ホテル敷地内 上空】


「――――!?」

豪雨の中、もみ合うふたりが落下していた。

静流とエシュである。

相手の胴体にしっかりしがみついている格好の静流に対し、エシュはそれを引きはがそうと必死だった。身一つなら着地できる高度だからだ。

「お前は———死ぬ気か!?」

「いいや。死ぬのはお前だけや」

静流は稽古の場面を思い出していた。建御名方がたやすく十メートルも飛び上がり、そして無事に着地していた光景を。今落下している高さはそれを何倍も上回るが、やることは一緒だ。無事に着地する。これだけ。敵はそのための緩衝材だ。相手を倒せて無事に着地できて一石二鳥というわけだ。

もちろんそのためには、地上に激突するまでの間この狼男ライカンスロープを組み技で圧倒し続けねばならない、ということでもあるが。問題ない。40メートルの距離を落下するのに必要な時間は、わずか3秒なのだから。

もはや何かをする暇もなく、地表が迫る。エシュの頭を下に向けたまま。

そうして、二人は地面と激突した。


  ◇


強烈な衝撃が走った。

それが何に起因するか気にする暇もなく、天使マステマ武神タケミナカタは動き出す。建御名方の蹴り技を凌ぎつつ組み付くことができればマステマの勝ち。その前に蹴りで致命傷を与えることができれば建御名方の勝ち。そういう勝負。

そんな、マステマの予想を裏切る形で戦いは推移した。建御名方は上半身を前に出し、姿勢を大きく下げたのである。両足を広げて。

マステマが対処する暇はなかった。

そのまま突進した建御名方はと、マステマの体を、突進の運動エネルギーまで注ぎ込んでのである。地面目がけて。

相撲の神による投げが、完璧に決まった瞬間であった。

「ぐはぁっ!?」

その衝撃による破壊の余波で、マステマを中心とした地面が半径二十メートルもの範囲で陥没するに至った。もちろん致命傷である。

強敵を下した建御名方は牙を収め、首を元通りの人並の長さとすると、虫の息で倒れている敵を見下ろした。

「両腕を奪ったからと油断したな。俺は古事記以前からの蛇神でもあるんだぜ。腕なしで投げる方法くらい、心得てる」

「……無念。しかしそなたももう、助からぬ」

「だろうな」

建御名方は、己の両腕を見た。投げ飛ばす瞬間に行われた、マステマ最後の反撃の結果を。

切断されかけた両腕は、肩から塩の塊と化していた。やがてずるり。と落下する。そしてそれだけではない。塩化は傷口から広がり、胸板を侵食しつつあったのである。

「言霊で切り裂いた傷口に、呪詛を流し込みやがったか」

「……左様。そなたの強靭な肉体を破壊するにはこれしかないと考えた。組み付いてそれを行うつもりであったが、このざまだ」

「畜生め。結局建御雷の奴が言った通りになりやがったか」

建御名方は、その場に腰を下ろした。もう立っているのも億劫だ。

「なあ。お前、なんで娘をさらった」

「……失った者たちへの愛故に」

「そうか。

じゃあ、あれはどっちが勝ったと思う?」

建御名方は、視線を別の方向へと向けながら天使に尋ねた。そちらには、先ほどホテルの上階から落下してきた二者がいるはずなのだ。豪雨で姿がはっきりと見えないが。

相手からの返事を待つも、来ない。

「おい?

……死にやがったか」

再び建御名方がマステマに視線を戻した時、すでに敵手は息絶えていた。

仕方がない。建御名方は、目を凝らして自分で確かめることとした。落下してきた者が誰なのかを。

やがて、雨の中立ち上がったのは、見覚えのある少年。

静流であった。

「……あいつ、勝ちやがったか。やったな」

駆け寄ってくる教え子の姿を目に焼き付け、建御名方の体は横倒しになった。

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