第82話 致命的な一撃

「クソ。これ以上は保たないぞ!!」

クリスティアンは起き上がりながら敵の方を向いた。すでに狼男の突撃を何度も受けている。相手が早すぎた。音波の層で身を守るので精一杯で、反撃など不可能。それでもやられていないのは、頑強な静流が盾となっているからだ。もっとも、彼の能力でも時間の問題であろうが。

妖怪同士の戦いは相性の面が極めて大きい。同等の総合力を持っていても、相性が悪ければ一方的に撃破されることもあるのだ。

「……なあ。クリスティアンの兄ちゃん」

「なんだ」

「あいつのスピード、封じられへんかな」

「封じる……どうやって。いや。手はあるか」

ふと思いついた方法を、クリスティアンは素早く検討する。行けるか。分からない。分からないが、やらねばやられる。瞬時に背後に回り込む敵が相手では逃げることも不可能だ。

「いいだろう。やってやろう」

「頼むで」

ふたりして廊下の先を見据える。そこで構える狼男の姿を。姿勢が低くなり、筋肉が膨れ上がる。力を蓄えたと見た時点で、クリスティアンは音を放った。

廊下の天井の裏を走る、消火装置の給水機構目がけて。

強烈な音を伝えられた管はそこかしこから亀裂を生じ、一斉にシャワーを降らせた。通常の速度ならともかく、ドップラー効果で音の攻撃が無効化されるほどの速さで走れば目を開けてはいられないだろう。

そこへ、狼男は突っ込んだ。目を閉じて。

「―――!?」

反射的に転がったクリスティアンのいた場所を強力な爪が薙いでいく。動き出す直前の位置をそのまま正確に狙ってきたのである。この狼男は。それで足りるのだろう。時速400kmの突撃に対してふたりの動きはあまりに遅い。

「―――くそ。あかんか」

やはり身を守った静流も立ち上がる。このままではじり貧だ。やられてしまうだろう。

それに対するクリスティアンの返答は、否定。

「いいや。もう一度だ。次こそタイミングを合わせるぞ」

「わかった」

ふたりは、再度身構えた。


  ◇


「おおおおおおおおお!!」

竜太郎は、残された力を振り絞った。

剣を受け流す。切り結ぶ。後退する。敵は天使マステマ。強い。昨日の武神と実力は同等だろう。もしも武神と戦った経験がなければ、もう竜太郎は屈服していたかもしれない。天使と、ここまで自分が戦えるとは。

仲間の妖怪たちあってのことだった。その多くはすでに天使の剣に倒れ、術で氷漬けとなり、両足を破壊されて転がっていたが。もはや満足に戦えているのは竜太郎のみ。それももう後数歩で終わりだ。後退する先がない。剣を鉈で受ける。壁に背中がぶつかる。鉈が払われる。

もうおしまいだ。これで決着がつくだろう。だから、竜太郎は叫んだ。

「雛子ちゃん!!」

叫ぶのと同時に、竜太郎の胸から。背後の壁もろとも透過してきた幽体のそれは、先ほど雛子が奪った騎士の亡霊のものだ。

必殺の一撃は、天使の兜の隙間―――右目を、正確に狙って貫いた。そのまま柄まで押し込まれていく。

壁の向こうに潜んでいた雛子が放った、一撃だった。このために竜太郎は接近戦を挑み、後退し、雄叫びを上げ、そして壁まで追いつめられたのだ。マステマをこの場所まで誘導しつつ、壁の裏にいる雛子に自分の位置を教えるために。もちろんそうしなければ、仲間の妖怪たちが皆殺しにされていたから。という理由もあったにせよ。

力を使い果たした竜太郎は、敵手の最期を呆然と見つめていた。

「―――そうか。オシュマレは、そなたらに敗れたのだな」

さすがというべきか、天使は目から脳までを貫かれてもまだ喋るだけの力があるようだった。己に致命傷を与えた二人の敵―——ひとりは壁の裏側だが―——を、残された目でじっと見つめていたのである。

「そなたらはオシュマレの剣を奪い、私に挑んだのだな。そして私を挑発し、ここまでおびき寄せ、そして私に気付かれぬままに一撃を放ったのだな。賞賛に値する。見事である。私はそなたらを祝福しよう。

その健闘が敗北に終わったとはいえ、そなたらの偉業は何ら色あせることはない」

竜太郎は、天使の言に違和感を覚えていた。いや。今だに敵手を貫いている剣に対して。分からない。疲労のあまり思考が定まらない。視界が朧気で、何か重要なものを見落としているような。

「惜しむべきは、重要な最後の攻撃にオシュマレの剣を使ったことだ。あの者は真の騎士であった。主君と定めた者に対して、騎士の剣が向けられることはない。例え剣が奪われ、持ち主が死していようとも。

恐らくは、そこな亡霊の気配を隠すために得物を持ち替えたのであろうが」

マステマの右目を貫いていたはずの剣が、崩れていく。まるで自らの行いを恥じているかのように。

そうして、無傷のままの右目が姿を現した。雛子が突き出した剣は、敵を傷つけることを拒否したのだ。

「あ———」

今度こそ、竜太郎は崩れ落ちた。もはや力は残っていない。この相手を殺す手段は潰えた。皆殺しとなるだろう。

「逃げろ、雛子ちゃん……」

「いいや。逃さぬ」

。壁の中にいた雛子がこちら側にはじき出され、床に転がったのである。天使の言霊の威力によって。

その姿は見えない。しかし雛子が震え、まともに立ち上がることもできないのは明らかだった。天使の霊力に押さえつけられているのだ。

「やめろ……!彼女は殺さないでくれ。殺すなら僕だけにしろ」

「心配はいらぬ。その娘が真に死することはない。我ら、人の想いより生まれし者は不死であるが故に。私が与えられるのはかりそめの死のみである。もっとも、そなたにとってそれは永遠の別れと同義であろうが」

マステマは、視線を雛子に向ける。

「やめろおおおおおおおおおおおお!」

竜太郎が絶叫する中。天使の剣が、振り上げられた。


  ◇


エシュは勝利を確信していた。二千年の時を生きてきたこの狼男の戦闘経験は膨大である。生半可な対策はすべて食い破ってきたのだ。消火装置で水を降らせた程度で封じることはできぬ。

敵の位置を確認する。運動エネルギーを全身のバネに蓄える。敵は為す術もないだろう。

動き出そうとした刹那。閉じようとした視界の中で、敵が再び音を放った。無駄なことを。いや、あれは!?

突撃とタイミングを合わせて敵が放った音は、床を破砕。そこに敷かれていた絨毯を引きちぎり、跳ね上げたのである。エシュの進路に対して。

常ならば切り裂いて突破するところだが、消火装置の放水の中ではそれは不可能だ。目を開けてはいられないのだから。

結果として、エシュは絨毯に真正面から突っ込むこととなった。全身が包み込まれる。この速度では衝撃も相当なものだ。バランスが崩れる。身動きが取れないまま宙を舞う。

そこで、待ち構えていた敵に激突した。

ぶつかり合ったエシュと敵手は勢いそのままに廊下を転がり、バウンドし、吹っ飛んでいく。それは何十メートルもの移動を伴った上でようやく止まったのである。

ダメージを負ったエシュは絨毯を引き千切り、ようやく自由の身となった。手遅れだったが。

強烈な音が狼男の全身を打ち据えた。さらにはその隙に乗じたもう一人の敵が、エシュをがっしりと捕まえたのである。

「もう逃がさへんぞ」

「くっ―——!」

振り払おうとして失敗。その隙に静流がエシュを投げ飛ばそうとする。抵抗する。力でも狼男の方が上回っているのだ。そこで、"音"がエシュの脳を揺さぶった。前後不覚。敵に密着する。これで迂闊に音は使えなくなるはずだ。組打ちの技術でもエシュが上回っている。静流は防戦一方だ。勝てる。

そう思ったタイミングで、静流はエシュの体を抱き上げた。そのまま窓の方へと突進する。ここは地上十四階。外に投げ落とす気―――いや違う!

組み合うままに、静流は狼男もろとも窓から飛び出した。


  ◇


マステマは、剣を振り上げた。足元に倒れているのは少女の姿をした霊魂。負傷し、聖威に打ちひしがれ、震えることしかできない無力な存在だ。それがマステマの命を奪いかけた。長い生涯でマステマは知っていた。何者が相手であっても決して油断するべきではない。例えそれが自らと比較してちっぽけな相手であったとしても。

だから、情け容赦なく剣は振り下ろされる。

そうなるはずだった。

それが実現しなかったのは、マステマの胴体に強烈な打撃が突き込まれたからである。

「―――!?」

拳の衝撃を横手から喰らったマステマは五メートルも吹き飛び、まだ破壊されていなかった調度に激突して止まる。彼は即座に姿勢を立て直し、攻撃の主を探した。

探し物は、すぐに見つかった。ホテルの入口から侵入してきたのは一人の男。

―――いつの間に!!

そいつは一見、日本人のようにみえた。ざんばら髪の壮年で、上着を羽織った屈強な男だ。しかしその本性がただの人間ではないことは明らかだ。

そいつは口を開いた。

「よう。派手にやってるじゃねえか。俺も入れてくれよ」

日本語であったが、マステマには正確に意味を聞き取れた。天使は神の伝令である。聞き取った言葉を理解できぬことはない。それが例え、知らぬ言語であっても。

同様に、マステマの言葉の意味は相手に伝わるはずだ。例え何語で話そうとも。彼はそうした。

「そなたは———この国の神か」

「正解だ。建御名方神と呼べ。異国のカミよ」

「私は神ではない。神に仕える者でしかない」

「同じだよ。俺たちからすりゃあな。より強い神の下に位置しているって意味じゃあな」

「ふむ。まあよい。その点については譲歩しよう。

それで何用だ。そなたも私に戦いを挑むということか」

「正解だ。頼まれちまったからなあ。乗りかかった船、でもある。だがまあ、先にやるべきことを片付けるとしようか」

建御名方は、髪の毛の束を取り出した。それは空中に浮かび上がり、光と共に消えていく。

そして。

「う……これは……?」

奇跡が、起きていた。マステマの術によって塩の塊と化していたぬいぐるみの妖怪が元通りになっていたのである。最初に折れ、切断された足はそのままだったが。生きてさえいれば、その程度はいずれは元に戻る。

彼だけではなかった。倒れ伏し、重傷を負い、あるいは生命を失っていたはずの者さえもが身を震わせて蘇ったのだ。少なくとも、死なない程度までは回復した上で。

「死んだ人間がいなくて助かったぜ。妖怪と違って生き返らねえからな」

建御名方の力をもってしても死んだ人間を生き返らせることはできない。神にとっても、死はあくまでも死なのだ。妖怪は不死だからこそ蘇ったともいえる。あるいは、本来数十年かかる復活を著しく早めただけと言い換えてもよいだろう。

それでも、奇跡には違いなかった。

敵の力を警戒したマステマが向き直る。こやつを倒さなければ勝ち目はないということを、彼は察していたのである。

剣を鞘に納め、代わりに弓を。矢をつがえる。引き絞る。

矢が、放たれた。最新鋭の戦車さえも一撃で消滅させる威力を備えた天使の矢が。

対する武神はただ、首を傾げたのみ。

音速の十数倍で飛翔した矢は、建御名方に命中する。―――まさしくその瞬間に。しばしその場にとどまった後、落下する。むなしく響く矢じりの金属音。

これこそが、武神の持つ霊力の一端であった。世界中、どこの国の戦士も神に祈る。矢傷を負いませんように。敵の弾が当たりませんように。

だから。その加護を授ける神が、飛び道具を受け付けぬ力を備えていても何ら不思議ではない。特に建御名方は徒手での戦いに秀でた神だ。武装を携えずに戦う彼は矢除けの霊力も別格であった。

とはいえ、マステマほどの天使の矢を難なく防ぎきるとは。

「―――!?」

「気の短い奴だな。覚えておけ。これが俺の矢除けの神力だ。なまかな飛び道具なんざ当たらねえぞ。そこに転がってる人間の石礫なら別だがな」

マステマは振り向き、そこに力尽きているヒトの男を見た。武神が語るように、この男の投石ならば高位の神の神力さえも打ち破ることができるに違いない。

「この男は何者なのだ」

「さあな。たまにいるんだよ。そういう人間は。お前だって長く生きているなら似たようなのに会ったことくらいあるだろ」

「そなたの言う通りだ。ヒトは時たま、驚くべき可能性を見せる」

「見解の一致が得られてうれしい限りってやつだ。

さて。やり合う前に名前を聞いておかねえとな。

名乗れ。異国のカミよ」

「よかろう。

我が名はマステマ。悪霊の軍勢を率い、人を試す使命を主より与えられし天使である。

建御名方神タケミナカタノカミよ。いざ勝負」

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