第80話 脳みそ喰らいと人喰い悪鬼

火伏は、翼を羽ばたかせた。

正体を現した天狗の飛行能力は高い。あらゆる面で、本州で見られる一般的な鳥類と同等以上の飛翔が可能だ。それを生かし、ホテルの外周を螺旋を描くように飛翔。狙うは表側、4階から本隊を攻撃しているスナイパーだ。

ホテルに張り付くように飛翔している火伏を中から攻撃するのは困難極まる。一度7階まで高度を上げる。そこからカーブを描いて急降下。地上にいくつもの攻撃痕がちらりと見えた。最後の瞬間、翼を大きく広げて破壊された窓に突入。そこに陣取っていた一つ目鬼が驚愕の表情を浮かべているのを、火伏は確かに見た。

ぶつかる瞬間両足を上げて蹴り飛ばす。凄まじい衝撃が火伏を襲った。敵が受けたダメージはそれ以上だろう。吹き飛んで行ったのである。

跪き、着地する火伏が立ち上がるのと一つ目鬼が飛び上がって身構えるのは同時。

火伏は手を掲げ、火の玉を。対する一つ目鬼も全身に雷を招いた。構わない。火炎を投げつける。

それは、雷と空中でぶつかり合うと消滅。妖術は妖術によって受け止めることができるのだ。力量に極端な差があれば力負けすることはあるにしても。

「勝負だ。世に仇為す悪鬼め」

火伏は、錫杖を構えた。


  ◇


扉が、内側から弾け飛んだ。

突入しようとした静流が制止され、クリスティアンの"音"がホテルの入口を破壊したのである。もっとも、それだけではこの破壊力にはならなかったろうが。

クレイモア地雷。遠隔操作あるいはワイヤーに引っかかった相手に対して大量のベアリング弾を投射する凶悪な兵器だ。

「爆弾だ。知らずに踏み入ればやられていたぞ」

「準備万端ってわけやな」

「行くぞ」

すでに表側からはすさまじい戦闘音が響いている。こちらに待ち構えている敵も凶悪に違いない。

踏み込んだクリスティアンと静流は、すぐに足を止めることとなった。例の金髪の少年が立ちふさがっていたからである。幹部の一人"オショシ"であろう。

彼は口を開いた。

「やあ。待っていたよ。昼間はさんざんやってくれたね。僕もお礼をしようと思ってたんだが、こちらから来たのが君たちだったとは運がいい。

みんな殺してあげるよ」

少年に対して攻撃を仕掛けようとしたふたりは、しかし躊躇した。何故ならば敵の足元には縛られたもう一人の少年が跪かされていたからである。

「田代!?」

「知り合いか」

「そうや」

静流はクリスティアンの問いに頷いた。死んだと思っていたが、まさかまだ生きていたとは。

金髪の少年から伸びた何本もの触手は、田代少年に絡みつき、耳や口といった開口部から入り込んでいるように見えた。あまりの異様な状況に、田代少年の目は潤んでいる。救いを求めてこちらを見ていたのだ。

金髪の少年は勝ち誇ったように声を上げた。

「ははは。さあ。どうする?攻撃してみなよ。僕を殺せるものなら殺してみるがいいさ」

「そうさせてもらおう」

「―――!?」

青年妖怪は、躊躇なく正体を現した。ワンドを手に取り、角を伸ばした指揮者の姿を。ソロモンの72魔神が一柱、音楽的な才能を司る地獄の公爵アムドゥスキアスを父に持つ人間とのハーフ。それこそがクリスティアンの本性なのだ。

彼が放った音は少年たちのちょうど中間で炸裂し、そして両者を引き離す。

「爆弾でこちらの耳を潰したつもりだろうが———私は音を司る。聴覚を守る術は心得ているつもりだ。さあ。正体を現すがいい」

その言葉に応じ、立ち上がったのは金髪の少年―――ではない。田代少年だった。全身から伸ばしていた触手を内側に彼は、不敵な笑みを浮かべる。

「あーあ。バレちゃったか。行けると思ったんだけどなあ」

「……田代?」

静流が呆然と呟く。あれは確かに田代の姿をしているが、田代のわけがない。人間ではありえない。やはり彼はもう死んでいるのか。

「やあ。静流。一日ぶりだね。僕に会えなくて寂しかったかい」

「お前……やっぱり田代に成り代わったんか。どないしたんやあいつを」

「ははは。酷いなあ。僕は田代賢介当人だよ。彼の脳を喰い、彼の記憶を持ち、彼の皮を被ってる。ほら。ほぼ本人じゃあないかな」

「―――!」

静流は絶句した。友人のあまりにも惨い最期に吐き気すら覚えていたのである。

「ま、正体がバレちゃあしょうがないよね。続きといこうか。人質作戦の続きをね」

田代の皮を被ったそいつは———脳みそ喰らいブレインイーター"オショシ"は、傍らに転がった金髪の少年を引きずり起こすとバリアーを展開した。金髪の少年をも一緒に包み込んで。

「ほら。僕そっくりだろう。当然だ。着せている皮は僕が普段使ってる本物だからね。宿泊客から適当に似た背格好の子供を見繕って着せてみただけだ。もちろんまだ生きている。どうする?彼を見殺しにするかい」

「!」

クリスティアンは、攻撃の手を止めた。バリアーに音を浸透させて破壊することはできるが、そうすれば人質も死ぬ。どうすれば。

そこで、前に出たのは静流だった。

「俺がやる」

「わかった。気を付けろ」

突進した静流に向けて、バリアーから光線が放たれる。それが突如ねじ曲がった。クリスティアンの妖術によるものだ。生じた隙を突いて、静流は"オショシ"に取り付いた。そのまま両腕で球状のバリアーを

「はっ!またそれか。それでどうにかなるとでも?」

「まあな」

静流はバリアーを柱に押し付けると力を込めた。全身の力を。それはすさまじい負荷をバリアーにかけていく。柱にバリアーがめり込んだ。巨大なエネルギーが逃げ場を失う。

「―――!?」

バリアーにヒビが入る。焦りを感じたオショシが光線を放った。それに貫かれた静流は、しかし全く動じない。撃ち抜かれた脇腹が急速に再生していく。静流が引き出した神力により、治癒力が大幅に増幅されているのだ。

かけられた負荷がやがて、バリアーの限界を超えた。

ぱりん。そんな音を立てて砕け散ったバリアーの内側へと踏み込んだ静流は、オショシの———田代少年の姿をした怪物の首を、鷲掴みとする。

「あ……静流。僕たち、友達だよね……」

「そうやな。友達や。だから―——往生させたるわ!!」

静流は、掴んだ身体を。一度。二度。三度。それが壁や床に激突するたびに絶叫が上がる。回を重ねるごとに弱々しくなっていく。やがて、絶叫が途絶えた段階で、静流は敵の身体を投げ捨てた。

そこに転がっていたのは、引き裂かれてもはや原型を留めなくなった皮。ぐちゃぐちゃに飛び散った脳髄。そして随分と柔らかくなったタコの触手。そういったものだけ。敵の絶命は明らかであった。

強敵を撃破した静流は跪く。傷はほぼ癒えたが、体力の消耗が激しい。精神的な消耗はそれ以上だ。呼吸を整える。神力の回復に努める。

そこへ、クリスティアンがやってきた。

「大丈夫か」

「ああ……平気や」

ふたりは、残された金髪の少年に目を向けた。その皮を慎重にと、中から出てきたのは気絶した日本人らしい男の子。

彼を開いていた部屋に二人して入れる。戦いに巻き込まれないよう祈るしかない。

「行こう」

「そやな」

ふたりは、その場を後にした。


  ◇


「おおおおおおおお!」

強烈な打撃が、天狗に襲い掛かった。

それを為しているのは"オグン"のコードネームを持つ一つ目の悪鬼だ。その正体はブラジル土着の人食い妖怪"ラバトゥチ"。世界の果てからやってきて、ブラジルに住み着いたと言われている。元となったのは侵略者のイメージかもしれないとも。

夜、特に暴風の強いときに人里に現れて牛、馬、猫、犬、そして人の子供を喰うという伝承から、彼は風雷に関する妖力を手に入れた。ブラジルに生きるラバトゥチらの中でも彼は特に雷を好んだ。子供を焼き殺してから食うのが好みだったからだ。

だが、それが今の彼の窮地を作り出していた。

オグンの繰り出す連続攻撃が錫杖で。掌で。足技や翼で受け流されていく。それどころか錫杖の打撃を浴び、投げつけられた火炎で額にやけどを負わされた。雷撃を投げつけたとしても―——

「桑原桑原―――」

またあの呪文だ。雷除けのまじないなのだろう。オグンの放つ雷のことごとくがこの呪文に阻まれ、天狗には届かない。妖術戦では圧倒的に不利。かといって格闘戦でもほぼ互角だ。このままでは押し負ける。

故に、オグンは勝負に出た。錫杖で痛打されるのも構わずタックルを挑み、天狗を抱きかかえて外に飛び出したのである。

「―――!」

豪雨と暴風の中、何発も殴られる。鉤爪が突き立てられる。火炎が叩きつけられる。大丈夫。頑強さではオグンが上回っている。

たちまちのうちにホテルから何百メートルも離れた海上まで飛び出した段階で、ようやくオグンは手を放した。そのまま距離を取る。

「ははっ!!これでてめえの手は封じたぜ。この暴風雨で火炎がまともに飛ばせるか!?」

「ポルトガル語か?何を言っているか分からんが———勝ち誇るにはまだ早いぞ」

「俺の奥の手を見せてやると言ってんだよ……オモルの敵討ちだ。死にやがれ!!」

両腕を天に向けたオグンは、そのまま腕を。上空で荒れ狂っていた大気の塊そのものを

強烈な大気のハンマーが、天狗に襲い掛かった。

対する天狗が放ったのは火炎弾。乗用車程度ならば丸焼きにできる火力は、大気のハンマー相手には小さすぎた。破壊力を多少減少させる程度の用しか為さなかったのである。

天狗は一撃を、まともに喰らった。そのまま落下していく。

「死んだか。―――いや、しぶといな」

海面近くまで落下した天狗は、ぎりぎりのところで態勢を持ち直した。そのまま羽ばたいて高度を回復。こちらに向かって上昇してくる。

しかし今ので分かった。天狗はオグンの攻撃を防ぎきれない。大気のハンマーの破壊力は、ちょっとしたビルくらいならばぺしゃんこにできるほどなのだ。火炎の妖術で威力を抑えたところで何度も喰らえばやがて限界が来る。

オグンは、勝利を確信した。

「くたばりやがれええええええ!」

第二撃が、放たれようとしていた。


  ◇


―――まずいな。

火伏は暴風雨の向こうにいる敵手に、そんな感想を抱いた。

こちらはすでにボロボロだ。先ほどの攻撃は効いた。妖術で軽減したとはいえ、あれを何発も喰らえば助からないだろう。恐らく奴の切り札に違いない。巨大すぎて回避も困難だ。受けるしかない。そのうえで勝利せねばならぬ。

敵との位置関係を確認する。大丈夫。この場所ならば地上に被害は及ばない。後は、間に合うかどうかだ。

敵が第二の大気のハンマーを放とうというタイミングで、火伏も術の準備に取り掛かった。超特急で印を切る。呪文を唱える。

火伏が術を唱え終わるのと、敵が両腕を振り下ろすのは同時。

大気のハンマーが火伏に迫る。回避の余地はない。間に合わない。

そう思えたタイミングで、北の空が光った。分厚い雲を突き抜け、秒速何キロメートルという高速で落下してきたのは、火の玉―——いや、流星であった。

それは大気のハンマーと真正面からぶつかり、爆発。小さな村落程度であれば消してしまえるほどの強烈なエネルギーは、進行方向のすべてを飲み込んだ。そう。オグンをも。

それが嵐にかき消されたとき。後には、何も残っていなかった。今の一撃で消し飛んだのである。火伏が呼んだ天狗の破壊力をまともに浴びて。

「……何とか生き延びた、か」

火伏の呟き。

天狗とは、そもそも天のいぬを指す。流星の爆発音を古代中国では犬の咆哮になぞらえたのだ。それが日本に入ってきたとき、異なる意味に変形して受け入れられた。火伏のような古く力のある天狗が流星を呼ぶ術を心得ているのはそれに起因する。もっとも、現在では天狗流星を落とす術を使えるのは火伏ら日本八大天狗をはじめとする、ごく限られた者だけであろうが。

滑空する。ホテルに戻らねばならない。残る敵は後何体だろうか。奴らを捕らえ、あるいは滅ぼさねばならなかった。世の平穏を守るために火伏は戦っているのだから。

傷ついた天狗は、地上に向けて降下していった。

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