第76話 出陣

「静流ー。田代君ってあんたの同級生?」

「へ?そうやけどどないしたん」

「お母さんから連絡。見て」

静流は姉のスマホをまじまじと見た。そういえば自分の奴は電源が切れていた。兵庫署の騒動で壊れてしまったのを妖怪たちが術でたちまち直してくれたのだが、電源が切れた状態で渡されてそのままだ。忘れていたのである。

メッセンジャーアプリで、母の連絡が来ていた。保護者同士の連絡網で田代少年の母親が聞いてきたらしい。「うちの息子がどこに行ったか知りませんか」と。朝から出かけて帰ってこないのだ。

「田代、行方不明なんか」

「そうみたい。兵庫署の奴に巻き込まれたのかも。心配」

「そうやな……」

静流は姉に頷きつつも、別のことを考えていた。確かに田代もあのスーパーに出かけていた可能性はあるが、あの時の騒ぎで実際に被害が出たのは静流とノドカ以外の人間が他にいなかった駐車場の戦いと、そして兵庫署の中だけである。にもかかわらず行方不明。このタイミングで。

むくむくと、静流の中で嫌な仮説が起き上がりつつあった。

自分のスマホを取り出す。電源を入れる。あの飲食店でもらった名刺を取り出す。番号を確認。かける。

しばしの間をあけて、相手は出た。

『はい。東洋海事ビルヂング。文江です』

「あ。天乃静流言うもんですけど。火伏のおっちゃんおります?」

『火伏さん?ちょっと待って。―――今出てる。ええと、あなた兵庫署で保護された子?』

出た相手は女性だった。まあそれはどうでもいい。相手に伝わるのであれば。

「そやで。伝えて欲しいことがあるんや。俺の学校の同級生が行方不明になった。敵となんか関係あるんちゃうかと思って」

『分かった。伝えてみる。ええと、その電話に折り返しかけたらいい?』

「ええで」

『了解。じゃあ一度切るから』

通話は途切れた。

後は待つしかない。しかし、その間にも静流の嫌な予感はどんどん大きくなっていく。田代はもう生きてはいないのではないかという予感が。

静流は、田代の無事を祈った。


  ◇


廃工場は酷い有様だった。

崩れた機械やスクラップの山が散乱し、何人もの負傷者がひっくり返っている。死ぬほどの怪我人はいないにしても。

竜太郎はしばし、殺した道化師人形の亡骸を見下ろした。これも数時間後には崩れて痕跡すら残さないだろう。やがて彼は視線を外した。

「雛子ちゃん。無事か」

「はい。なんとか」

雛子が姿を表した。昨夜からのライダースーツだがヘルメットがないので、いつかの首なしライダーのような有り様だ。竜太郎は彼女に手を貸し助け起こす。高所から落ちた割にはダメージは小さそうに見えた。

周囲を見回す。近くの怪我人に手を貸さねばならない。

「黒崎さん。大丈夫ですか」

「一応生きてはいるよ。いてて」

最初に投げ飛ばされたスポーツマン風の青年をふたりして助け起こす。彼のダメージはそれほどではなさそうだ。外には治癒の術が使える妖怪も待機しているから深刻な事態にはならないだろう。

動ける負傷者は外に移動し、無事な者たちでの捜索が始まった。

バックアップで外にいたも者も何人か入ってくる。とはいえ、この惨状では何か手がかりがあったとしても期待薄だろう。

振り出しに戻ったか。

皆がそう思った頃、クリスティアンが声を上げた。

「静かに。動かないでくれ」

皆が従い、激しい雨音だけがしばしの間場を支配する。

やがて、クリスティアンは歩き出すと工場の隅の方で跪いた。

「誰かこの、残骸の下を見てくれないか。何か動いている」

「あ、わたしが」

雛子が立候補し、ライト片手に顔を。幽霊はこういう時便利だ。ものを動かさずに中を見られる。

そうして発見したのは、小さな種だった。コンクリートの上にも関わらず芽が出ている。どころかそれは急速に成長し、伸び、くね。と曲がったのだ。

顔を残骸から引き抜いた雛子は、見たままを皆に伝える。

「確かノドカという娘は植物を操る力があったな。彼女が残したのか?」

「可能性はある。何にせよ貴重な手がかりだ。

雛子ちゃん。それ、傷つけないように取り出せる?」

「やってみます」

もう一回。今度は竜太郎が横からライトで照らす中で、雛子は芽をそっと摘み上げた。まん丸い種からは根が出ていない。おかしな発芽だと言えた。

「これは……」

雛子の掌の上に乗った芽は、おかしな挙動をした。指で突かれてもまるで方位磁石のように一方向をずっと指しているのである。どう考えても自然の植物ではない。

「間違いない。これは僕たちに残された手がかりだ。こいつの向いている方向を割り出そう。三角測量すればすぐに正確な地点は割り出せるはずだ。地図を」

竜太郎の言葉に、周囲が慌ただしくなり始めた。タブレットが用意され、自動車が工場に横づけされる。急がねばならない。ノドカのかけた妖術がいつまでも保つものとは限らないのだから。

「行こう」


  ◇


「もしもし。俺だ、火伏だ。坊主。何があった」

『同級生がいなくなってん。今朝から。田代っていう奴やねんけど、家を出かけて、そのまま帰ってけえへんかった。このタイミングやろ?おかしいと思って。

なあ。火伏のおっちゃん。人間に成り代わる妖怪とかおるん?』

「―――いる。人間を喰ってそいつに化けるとかな。記憶もそっくりコピーして家族にも分からない、という奴は実在する」

火伏は静流の問いに正直に答えた。今乗用車の運転席だ。先ほど文江からのメッセージに気が付き、すぐに静流へかけたのである。工場内ではコミュニティのメンバーたちが捜索の最中だ。

『じゃあ、俺が最初車で轢いてきたやつらをやっつけた後、すぐに田代が食われて成り代わられてても俺は気が付かへんかった可能性、あるん?』

「ある。そして、それが可能な妖怪が連中の中にいたとして。奴らがそれをやらない理由はちょっと思いつかない。人間の手下とはいえ、自動車で轢いた相手に撃退された以上は調べようと思うだろうからな」

火伏は思い出した。ブラジルから姿を消したという幹部の中に、人間の皮を被って成り代わるという噂がある妖怪がいたことを。恐らくそいつだろう。

少しだけ思案。結論は、すぐ出た。

「坊主。ノドカの居場所がこれから分かるかもしれない。来るか?」

『行く!』

「即答したな。ただし。その田代?だったか。その子の姿をした敵が出てくるかもしれない。そいつと出会った時、殺せるか?それができないなら連れていけない」

『……それでも行く。約束したんや。ノドカとも、建御名方のおっちゃんとも。ノドカを守るって』

「いい覚悟だ。準備ができたらすぐ迎えに行く。待ってろ」

『分かった』

通話を切ったところで、廃工場から合図。車を付けろと言っている。何か見つけたようだ。

火伏は、エンジンをかけた。


  ◇


―――ごめんな姉ちゃん。

静流は、そっと玄関を開いた。音を立てないように外に出る。閉める。

屋外は今も豪雨だ。すでに夜になりつつある。停電に備えてもう夕食は取った。姉は早めに布団にもぐって眠っている。母は夜勤だ。看護師だから今日は忙しいに違いない。

誰にも知らせることなく、静流はこれから戦いに行く。死ぬかもしれないが。それでも、ノドカを守ると約束したのだ。

行かなくてはならなかった。

雨合羽を着込んだ中学生は、共同住宅を後にした。

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