第53話 競馬場と妖精
「事の起こりは先月半ばです。うちに強盗が入りましてね。父が背中から刺されました。その現場を目撃した私は犯人にタックルを仕掛けたんです。逃げられましたが。すぐに雨が降り始めたのを覚えています。父はその後何日も生死の境をさまよったんですが、とうとう亡くなりました。警察も犯人を捜して動いていますが、まだ見つかっていません。慌ただしかったですよ。通夜。葬式。銀行口座とか役所の手続きとか。それでたちまちのうちに日々が過ぎていきました。
それが落ち着いたある日気付いたんです。父が襲われたのは書斎だったんですが、調査は終わっていました。それで、片付けている最中に日記帳が落ちていることに気が付いたんです。はい。犯人が盗もうとしていた代物です。強盗にタックルしたのは私でしたから間違いありません。犯人が落としたんですね。警察は持っていきませんでした。気付かなかったのか、指紋を取りおえてそのままにしたのかまでは分かりませんでしたが。
拾い上げてパラパラめくりました。ええ。それは普通の日記のように見えました。仕事のこと。家のこと。日々のこと。いろいろと書かれていた。ですが一つだけ異常なことがありました。それは最後のページです。それはその日。日記を見つけたまさにその日付でした。そこに書かれていた内容はこうです。「父さんが書斎で殺された。私はこの日記帳を代わりに引き継いでいきたいと思う」と。筆跡もよく見れば父と違っていました。それは私の字だったんです!
それからも奇妙なことは続きました。日記は毎日のように更新されていた。新しい記述が書き込まれているんです。私が書いたという体で。それはやがて加速し、どんどん先のことまで書かれるようになった。未来のことが書かれる日記だったんです。しかもその内容は私が興味を持っていたことや、記録するべきだと考えるだろうことばかりだった。明日の株価が知りたいと思えばそう書き込まれたんです。もちろん、正しい内容が。事実に気が付いたときには血の気が引きましたよ。その価値がどれほどのものか、当然分かりました。簡単に億万長者になれるでしょう。人を殺してでも欲しがる人間もいるだろうということも。
今日ここに来たのは、日記帳に書かれていなかったからです。急に明日のことが書かれなくなった。混乱した私は、もっと直近のことを思い浮かべました。するとこう書かれた。「どこに逃げても駄目だ。きっと殺される。父もそうだったんだ」と。私はこれを読んだ時気が付いたんです。父亡き後、これは私の日記帳だ。私が死んだあとのことは書かれない。だから父も、この日記があったにも関わらず殺されました。日記を奪おうとする者にやられたんです。日記帳は持ち主の死を防ぐ力はない。私は先がないことを知り、絶望しました。
それでも私はあきらめが悪かった。だから、せめて人目の多い場所にいようと思ったんです。そうすれば身を守れるから。
山中さん。あなたが不思議な力を持っていることは分かっています。それで先ほどは助けてくれたんでしょう?
お願いします。どうかその力で、私を助けてください」
◇
【兵庫県西宮市仁川 阪神競馬場メインスタンド7階喫茶店内】
「なるほど」
話を聞き終えた竜太郎は、深く頷いた。
四人掛けのテーブル席の対面に座っているのは先ほど助けた男。
「鈴木さん。あなたは妖怪の実在を信じますか」
「妖怪……ですか?」
「僕や仲間がそう呼んでいるだけで、人によっては定義は異なりますけどね。この世にはたくさんの不思議なものがある。神。悪魔。天使。精霊。巨人。小人。幽霊。都市伝説。魔法。そういったものを総称して、僕たちは妖怪と呼んでいます」
「ああ。そういう意味なら、信じます。この日記帳や、さっきの出来事がその証拠だ」
「あなたの推察とは異なり、僕自身には不思議な力はありません。ただ、それらに関する知識はあるし今までにも何度も遭遇はしてきました。中には僕に力を貸してくれるものもいます。先ほどあなたを助けたのは彼女です。僕自身にも見えませんけど。僕の守護霊みたいに思ってくれればいいかな」
鈴木は、竜太郎が示した方に目を向けた。もちろん彼には雛子は見えなかったわけだが。
「かなり差し迫った状況なのは間違いないようだ。日記帳を拝見しても?」
「ええ。どうぞ」
パラパラと、竜太郎は受け取った日記をめくった。普通の記述に見える。毎日書き込まれ、最初の記述は三十年ほど前のものだ。―――三十年?
「これは……」
「ええ。見た目とページ数が合いません。これも不思議なことなんですが、三十年間毎日書き込まれ続けているんですよ」
「明らかに尋常な品物ではなさそうだ。何かこれ自体に手がかりが書かれてもよさそうなものですが」
「ええ。見ての通り、最初の頃の記述が塗りつぶされています。たぶん父が消したんでしょう。何か隠さなければならないことが書き込まれたんだ」
「ふうむ」
竜太郎は頭をかいた。手がかりが少なすぎる。正体を推察するためには材料が足りなかった。別方向のアプローチが必要だろう。
「お父さんを殺した相手には何か心当たりは?」
「さっぱりです。うちは裕福でしたが、強盗はその日記帳以外何も手を付けていませんでした。明らかに日記の価値を知っていた人物でしょう」
「タックルをしたとおっしゃいましたが、その時はあなたにも姿が見えていましたか」
「もちろん。外套を着ていました。帽子も」
「先ほどあなたを襲った男も外套を着ていました。しかし透明だった。この違いはなんなんでしょうね」
「わかりません」
「……」
しばし悩んだ竜太郎は、コーヒーを一口。そこにミルクを垂らして、それが混ざり合う光景をしばし眺める。
やがて彼は、一つの仮説を作り上げた。
「なるほど。返り血かもしれません」
「返り血?」
「ええ。聞いた限りでは、お父さんを強盗が刺した後、あなたが発見した。今回はあなたを刺す前で、透明だった。もし透明の秘密が外套にあり、外套が魔法の品物だったと仮定しましょう。西洋の妖精は血を嫌う者もいます。それが妖精の魔法によるものだったとするなら、前回見えていて今回は透明だった理屈は通る。血を浴びたことで外套の魔法が破れたんだ。血は後でふき取ったんでしょう。いや。悪天候だったというなら、雨で流れ落ちたのかな。犯人自身が妖精である可能性は低いと思います。魔法の力は細心の注意を払って行使されるべきものだ。この軽率さを見る限り、妖精の魔法の道具を使っただけのただの人間の犯行の方が可能性は高いとは思いますね。あくまでも仮説ですが」
「なるほど」
「犯人の狙いが日記帳であるということは、日記帳も透明な外套と同じ種類の魔法の道具の可能性が高い。素性が分かれば、強盗犯の正体もわかるかもしれない。
こういうのに詳しい知り合いが三宮にいます。どうしますか。よければ、すぐにでも向かいますか」
「は……はい。よろしくお願いします!」
鈴木は、深々と頭を下げた。
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