第51話 因果応報
【旧居留地東洋海事ビルヂング】
「最低だな」
真理からの報告を聞いた皆の正直な感想である。
たまり場でタブレットを囲んでいるのは常連たち。そこで流された録音に、皆が眉をしかめていたのである。山中竜太郎に無実の罪を着せたという女の無邪気な通話記録に。
『これ、まだこの人が妖術で操られてる……ってわけじゃなさそうなんですが』
タブレット内から顔を出している真理の問いに、千代子は頷いた。
「ええ。あなたがさっき連れてきた天邪鬼の力は、人の邪心を強くするものよ。元々持ってる邪悪な心をより大きくするの。邪悪な人間の方が操りやすいと言えるわね」
『最低ですねそれ。どうします?』
「この通話をそのまま警察に持っていけたら一番早いんだけど」
もちろんそういうわけにはいかない。録音の出所が問題となるだろう。何とかして自然な形で自白させるしかない。
『あの。素朴な疑問なんですけど、こういう場合って先生はどうなるんですか?』
「そうだな。その辺は応対した警察官によるとしか言いようがない。微物検査やDNA検査をすれば山中が無罪なのは明らかだが、それでもしつこく有罪にしようとする警察もいる。彼らの目的は究極的には犯罪者を捕まえることじゃなくて、犯罪者を捕まえたという実績を上げることだからだ。本当に有罪かどうかより有罪にできるかどうかの方が大事なんだな」
真理に答えたのは火伏。人間社会で長く暮らしてきた妖怪は警察の行動についても詳しい。
「こういう場合警察は半ば脅しの取り調べを仕掛けてくる。『やった』と自白させるのが目的だ。本当にやったという物証がなくても自白があれば有罪にできるからな。警察のやり口は本当にえげつない。これに耐えられる人間はほとんどいないほどだ。もっとも、認めるまでは出さないと脅しても、留置は48時間だ。加えて送検後の拘留20日も耐えきれば不起訴になる可能性は高くなる」
『無茶苦茶じゃないですか。そんなに長い間……』
「彼ならどれほど厳しい取り調べを受けても耐えられる。妖怪と戦うならば警察に捕まった時のことも考えていただろう。ろくな武器もなしに妖怪と互角に戦える男だぞ。彼を信じろ」
『はい』
皆は、今後の算段を始めた。
◇
「ふぁ……」
竜太郎は周囲を見回した。留置場内の房である。ここに放り込まれたのは初めてだが、やろうと思えば簡単に逃げ出せるだろう。これまでに培ってきた技術はそれを可能にする。もちろんやらないが。竜太郎の敵は人間に仇為す妖怪であって警察ではない。
雛子はひとまず帰らせた。拘留場所が変更される心配はおそらくないだろうし、ここからは長期戦が想定される。彼女にはしっかり休んでもらいたかった。
それにしてもひどい目に遭った。周囲の乗客にボコボコに殴られた。体の弱い人なら死んでいただろう。おかげでどこでも眠れるはずの竜太郎が眠れない。とはいえ、彼らも妖怪に操られた被害者だ。寛大な心で竜太郎は許した。もっとも、話を聞かない駅員たちやそれ以上に酷い警察官たちには辟易したが。彼らは疑ってかかるとこちらの言うことを一切信じないのだ。当番弁護士も結局呼ばれていない。本来ならば警察に捕まった場合、一回だけ無料で弁護士を呼び相談する機会があるのだった。下手人の小鬼は雛子が捕まえたから彼らは操られていないはずなのだが。さすがに明日には弁護士が来ると信じたい。
最悪でも3週間耐えれば出られる可能性は高いことを、竜太郎は知っていた。火伏が言っていた通り、警察に捕まる危険を想定していたからである。妖怪ハンターは一歩間違えれば犯罪となるような。いや、実際に法的には犯罪となることも多数行う仕事だ。そもそも法律が妖怪の存在を想定していないのだから仕方ないが。今までが運がよかっただけで、これからも何度も捕まるかもしれない。心配はひとつだけ。生業のことだ。時間勤務の非常勤講師にも有給はあるから冤罪で捕まったことを伝え、有休を費やす必要がある。校長や教頭は先日の一件で真理を助けたことに感銘を受けていたから、きっと竜太郎の無実を信じてくれるだろう。連絡を入れるのは他の仕事もか。首が切られる仕事もあるかもしれない。今月来月は大きな収入減となるだろう。ダメージがあるとすればこの辺である。
こつこつ。
足音が聞こえ、竜太郎は顔をあげた。巡回の警官だ。
彼は鉄格子の前に止まると、こちらに顔を寄せて手招き。
「?」
怪訝な顔をした竜太郎は、鉄格子のそばまで近寄った。
「やあ。ボクだ」
聞き覚えのある声に、竜太郎は相手の顔を何度も見返した。普通の若い警察官である。知らない顔をした彼は、しかし女性の声を出していた。こんな真似ができるのは———
「―――ファントマか。どうして」
「しー。静かに。困ってると聞いてね。ハガキの件で迷惑をかけたから、助けに来た。なるべく早く君をここから出す。もちろん合法的な手段でだ」
「助かる」
「必要なことは何かあるかな」
「そうだな。仕事場に休むって連絡を入れたい」
「わかった。やっておこう。
じゃあひとまずは退散するよ。みんな君のことを気にしていた」
「ありがとう」
ファントマが扮する警官は、そのまま他の房を見回りながら去っていった。見事な変装である。やっぱりバリバリとマスクを剝がしたらいつものあの少女の顔になるのだろうか。
などと考えながら、竜太郎は房の奥に戻った。体力を温存しなければならない。
疲れ切った竜太郎は、やがて眠りに就いた。
◇
【兵庫県神戸市阪急三宮駅北 神戸東門街】
「そんでさあ。そのおっさんボコボコに殴られてんの。面白いったらないってあれ」
狭い座敷席だった。
コロナ禍では考えられなかった密度で若い男女が十人弱も集まっている。いわゆる合コンである。三宮駅の北側にある安い飲み屋の一室だった。
皆酒がかなり入っている。自分が何を言っているかもよくわかっていない者がいるだろう。そのひとりである中野良子も、ツレから言うなといいつけられていたことをべらべらと喋っていた。
「きゃはははは。きっとあのおじさんも泣きながら慰謝料払ってくるんだよお。かわいそうだよねえ。なあんも悪いことしてないのに、あたしが「このひと痴漢です!」って言っただけでとっ捕まってさ。こわあいお巡りさんたちに囲まれて、今日も「吐け!お前がやったんだろ!」って言われてるんだろうなあ」
「良子ちゃんも悪いやつだなあ。慰謝料もらったらどーすんのー?おごってくんないー?」
「やだー。あんたも痴漢したっていいつけてやるぞー?」
「あはは、こわいこわい」
悪行の暴露にも誰も動じない。そういう"ヤンチャ"な集団なのだ。類は友を呼ぶという奴である。横のつながりは緩やかで、入れ替わりもそれなりにあるグループではあった。
中野良子が隣の男としゃべっている間にも、周囲には写真を撮影したり酒を一気飲みしたり、芸をやったりしている者も並んでいる。
そして、動画を撮影している者も。
もちろん誰も気にしない。みんな好き勝手にしゃべり、遊んでいるのだから。
やがて撮影をやめた一人は、SNSに撮ったばかりの動画をコメント付きでアップすると、隅に置かれていたバッグにそっとスマホをしまい込む。持ち主に気取られないように。それが済んだ彼は、自分もおしゃべりに加わった。
最後まで、撮影者のことに誰も気付かなかった。
◇
スマホの発信音で目が覚めた中野良子は、布団から手を伸ばした。鳴っているスマートフォンを手に取る。時間を確認。まだ朝だ。今日は休みだからゆっくり寝ようと思っていたのだが。
通話相手はツレだった。電話に出る。
『良子!あんた何やったの!?』
「うん……どーしたの朝っぱらから」
『SNSに出てる!あんたがしゃべってるとこ!ヤバイって。あんたが何やったか全部しゃべってる動画が拡散されてる!!』
「動画……?」
『ああもう!URL送るから一度切るよ!』
切られた。
スマホの画面をのぞき込んだ中野良子は、DMで送られてきたURLをタップ。そこにアップされていたのはすでに何千と拡散されたことが示された動画である。映っているのは———
「あたし?」
そこには中野良子の罪の告白の一部始終が上げられていた。すべてだ。電車で見かけた男性に冤罪を着せたことの。
「あー……消さなきゃ……」
昨日の合コンに来ていた誰かのアカウントだろう。誰だったか分からない。とりあえず連絡を取る。相手が反応するまでどれだけの時間がかかるか分からないが、消せばきっと何とかなるに違いない。
彼女は気付いていなかった。すでに多数の人間が問題の動画を見ていたことを。もう魚拓が取られ、今更動画を消しても手遅れだということを。
中野良子は、最後の瞬間まで気が付かなかった。虚偽告訴罪で警察に事情を聴取されるに至るまで。
◇
竜太郎は、久しぶりの外の光を眩しく感じた。
背後を振り返る。四階建ての警察署がそびえたっていた。一週間もあそこにいたのだ。酷い目に遭った。
だが、もう解放された。冤罪が証明されたからである。警察官たちは「疑いが晴れたと思うなよ」と脅してきたが。
敷地の外と内。その境界線で、見覚えのある少女が待っていた。
「やあ。時間がかかってしまったが大丈夫だったかい」
「助かったよ、ファントマ。おかげで出られた。雛子ちゃんは?」
「一緒にいる」
「そうか。心配をかけた」
ファントマの指した方に目を向ける竜太郎。皆にはどれだけ感謝してもし足りない。今回の件で何人ものひとが竜太郎の無実を晴らすために走り回ったのだから。
「すっごく、心配しました」
「そうか。ごめん」
雛子に謝りつつ、竜太郎はふたりに並んだ。家に帰るのだ。知人や職場にも連絡を入れねばならない。明日からまた日常が始まるのだから。
三人は、警察署を後にした。
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