第50話 悪党とスマートフォン
こんこん。
駅員室で成り行きを見守っていた雛子は、スマートフォンからしたノックに視線を落とした。
「……真理さん?」
『こんにちは。大変だったね』
画面いっぱいにこちらを覗き込んでいるのは真理。急いで出てきたのか、ジャージ姿に眼鏡である。この状況だとどうやら向こうにもこちらが見えているようだ。雛子がスマートフォンを扱えることと無関係ではあるまい。
『直接こっちに来たの。ああ、通信じゃなくてこのスマートフォンの中にいる』
真理の説明に、雛子は相手の素性を思い出した。彼女は電子生命が実体化したもののはずである。通信回線に潜り込んで移動したり、スマートフォンの中に入るくらいはお手の物だろう。
『ちょっと出ていかない方がいいかな、これは』
「そうですね、見られちゃいます」
スマートフォンそのものは雛子の力で透明化しているが、そこから真理が出てきたら人目について仕方がないだろう。今いるのは駅員室なのだから。
『とりあえず問題の妖怪は?』
「あ、これです」
『預かるわ。貸して。あ、画面に近づけたらいいから』
雛子は、投石紐でぐるぐる巻きにした小鬼を画面に近づける。すると、たちまち小鬼は無数のデータに分解されて吸い込まれていった。一瞬後には、画面内の真理の手の中に小鬼がぶら下げられている。天地逆さまで。
『とりあえずこいつを送ってくる。そしたら先生のこと助けましょ』
「はい」
真理は、ひとまず踵を返した。
◇
「当番弁護士を呼んでください」
竜太郎は、駅員室でそう要求した。
状況は理解している。リュックに入り込んでいた妖怪が逃げるために妖術で周囲の人間を操った。雛子がそれを捕まえた。事態の半分はもう解決しているのだ。
だから残り半分をどうやって切り抜けるか。それが問題だ。
雛子はそばにいるはずだ。今はコミュニティに連絡を取っているだろう。彼女にスマートフォンやその他の見られてはまずい荷物は預けたから大丈夫。後で警察が来てもどさくさの混乱でなくなったと思わせておける。だから今、自分がやるべきことは助けを信じること。
「僕はやってません。やったというなら身体検査をしてくれればいい。痴漢をしたというなら、体に被害者の衣類の繊維がついているはずだ。警察が来たら被害者ともども調べてください」
「しかしなあ。山中さん。あなたがやった瞬間を見たと被害者は言ってるんですよ」
「勘違いかもしれない。知ってますか?人間が知覚している外界はほとんどが想像なんです。五感で感じ取ってるのは1割でしかない。それに客観的な証拠はたくさんあった方がいいでしょう」
「いやでも、あなたが犯人なんでしょう?言い逃れをしようとしたってそうはいきませんよ」
しかし、応対する駅員たちは頑迷である。被害者を名乗る女性や竜太郎を取り押さえた人間たちは妖術で惑わされたからで説明がつくが、どうしてこれほど聞き分けがないのだろうか、彼らは。
妖怪よりこちらの方がファンタジーだな。などと思いながらも、竜太郎はまじめに応対を繰り返す。
「それを決めるのはあなたではない。だから当番弁護士を呼んでくださいと言ってるんです」
「そう言って逃げる気だろう」
「どうやって逃げるというんですか。名前も住所も勤務先も伝えましたよ。免許証見ましたよね」
いつまで続くんだ。などと考えながら、竜太郎は押し問答を続けた。
◇
>>『役割分担を決めよう。雛子は竜太郎についててくれ。もう一人、ええと真理さんに聞いたんだが、被害者の女性を追跡できるそうだ。スマートフォンにマーキングするなりなんなりで。
byファントマ』
雛子は、スマートフォンに書き込まれたメッセージにびっくりした。何故ならば、千代子のアカウントからファントマのメッセージが出てきたからである。
「ファントマさん、今どこですか」
>>『旧居留地にいる。ここのたまり場だよ。君たちにはハガキの件で迷惑をかけたからね。お詫びをしようと思って直接来たんだけど、サプライズにせずに連絡をしておけばよかったな。入れ違いにならずに済んだ。
まあ旧交を温めるのは後にしよう。さっきの提案だけど』
「あ……はい。よろしくお願いします」
>>『よし。善は急げだ。真理さんにはまたそっちに行ってもらった。そっちのスマートフォンを踏み台にして被害者女性のスマートフォンに』
>>『もう移ったわ』
>>『早いな。心強い。これでボクらは、被害者女性、竜太郎の双方の当事者の場所と状況が正確に把握できるわけだ』
間を開けて、こんなメッセージが出る。
>>『まあなんとかしてみせよう。先日のおわびにね』
◇
中野良子は愉快だった。これからとれる慰謝料がどれくらいか楽しみだったからである。
就職してからは、痴漢の罪を人におっかぶせるのはやめていた。学生時代の遊びだったのだ。しかし今日、なぜか急にまたやりたくなった。目についた中年男性に痴漢された!と主張しただけで、周囲の馬鹿な人間たちはそれを信じた。たちまちのうちに中年男性がボコボコに殴り倒されて行くのは痛快ですらあった。自分は悲劇のヒロインでいられる。これほど楽しい遊びはない。
雛子たちは勘違いしていた。小鬼の妖術によって中野良子が竜太郎に痴漢の罪を着せたのは事実だが、そもそも小鬼が中野良子を選んだのは邪悪な人間だったからである。過去に何人もの男を冤罪で破滅させていたのだ。
こんな人物であったから、小鬼の妖術による行動も自分の意志だと勘違いしていた。まあほぼ本人の欲求だったわけだが。
そんな彼女は、駅の別室で警察から聴取を受けているときも呑気だった。何も問題は起きないと過去の経験から確信していたのである。
もちろん彼女は、己のスマートフォンに侵入してきた者について何も気が付いていなかったし、不可視の幽霊が財布の中身を見て身元を確認していった。という事実も知らなかった。
『あんたまたヤバイことやってんの?』
「えー?いいじゃん。面白し」
『こうやって電話で話すのも危ないって。言ってるじゃん、証拠になるから』
通話相手は否定的だ。昔からのツレである。あちらも以前は一緒に危ないことをしていたというのに、どうしてこう臆病になったのか。
『最近はこういうのだんだん厳しくなってきてるからやめろって言ったでしょ』
「誰が調べるっていうの。もう家だし。警察は被害者のスマホなんて確認しないって」
『ああだからそういうの電話で言うな。やめなきゃ絶交だかんね』
「あー。分かりましたよ。しょーがないなあもう」
ツレはお冠のようだ。この辺で区切るのがよかろう。
「じゃあね」
『はいはい。あんた、足元すくわれないように気を付けなさい。わきが甘いんだから』
「へいへい」
そうして、通話は途切れた。
玄関を開ける。家に上がる。室内を見回す。ごく普通の賃貸の一室だ。良子しか住んでいない。あまり綺麗とは言えない環境だが不自由はしていなかった。
「あー。また仕事だあ」
明日の仕事を心配しつつ、良子はスマホを置いた。シャワーを浴びよう。
彼女は、最後まで気が付くことがなかった。スマートフォンの中で話を全て立ち聞きしていた存在がいたことに。
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