第47話 悪い子と約束

「なんなのあれ!」

真理は全力疾走していた。背中にゆうきを背負って。小さくて助かった。真理の筋力は成人男性よりやや上程度でしかない。

後ろから音もなくついてくるのはシーツを被った袋の男。遅いが着実についてくる。逃げ回る真理たちをどうするつもりなのか。やはりあの手にした袋に詰め込んでしまうのだろうか。ヤバイ。不幸中の幸いは、今のところ他の人間には目もくれていないというところか。真っ暗な夜の病院では起きている者はいないが、そちらを襲われていればたちまち大惨事だ。

いや。

「―――誰も、起きてこない?」

階段を下りる。昼間には大勢の患者でごった返していたロビーも今は静かだ。静かすぎる。警備員や看護師すらいないとは。

玄関にたどり着く。ガラスの自動ドアは開く気配がない。アクセスして開こうとして失敗する。通常の電子機器であれば真理に支配できないはずはないのだが。

ドアを諦めた真理は体ごと振り返った。そこには、袋の男が追いついてきている。

真理は、覚悟を決めた。

「止まれ!あんた何者なの」

「―――」

袋の男は、無言。ただ手を伸ばしたのみ。ゆうきに対してだろうか。

「この子を渡せって?できるわけないでしょう。あんたが何なのかもわからないのに」

「―――」

「動くな!それ以上近づいたらぶっ飛ばす。本気だからね!」

真理は、院内の電子機器に思念の手を伸ばした。病院ならば力の源になるコンピュータや通信回線には事欠かない。そのはずであったが。

手ごたえが、スカった。まるで水を掴もうとしているかのように、電子機器を掴めないのだ。

「……っ!!」

まずい。大変にまずい。電子機器の力を取り出すことができなければ、真理は人間と大差ない能力しか発揮できない。後は使える武器は電子データから作ったアサルトライフルくらいのものだが、あれが入れてあるスマホは病室に置きっぱなしである。

「ゆうきくん。降りて。自分で走れる?」

「うん」

「私があいつの気を引くから、逃げて」

ゆうきを下ろす。すり足で移動する。袋の男が接近してきた。まだ遠い。もう少し。今だ!

はじかれるように走り出すゆうき。それと同じタイミングで真理は、近くの観葉植物が植わった鉢を抱えると、袋の男に投げつけた。攻撃は見事命中すると、袋の男を押しつぶす。まるで中身がないシーツのように。

じたばた。ともがき始めた敵を置いてけぼりにして、真理も走り出す。ゆうきと同じ方向に。いや。目指すはそちらにある公衆電話だ。

受話器を取り上げ、祈るように内部をハックする。うまくいった。電話番号を思い出す。ああ覚えてない!いや、ひとつあった!!

かろうじて記憶にあった番号。先日交換したばかりの相手に対してプッシュする。とるるるるるる……。という発信音が長い。早く。早く出てくれ。

やがて。

『……はい。もしもし』

「先生!?私です、網野真理です!!今病院なんですけど!!」

『……もしもし?よく聞こえないんですが。もしもし。もしもし?』

「山中先生!!変な袋みたいなやつが追いかけてきてて……!」

『……もしもし?その声は網野か?よく聞こえないんだが……』

「ああもう!病院で変な奴に追われてるんです!!シーツのお化けみたいなやつで、手におっきな袋持ってるのが!ちっちゃな子供を追いかけてるんですよ!」

『袋………?もしもし?子供?……よくわからんが……ブギーマンか?それがどうした?』

「ああもう!!そのブギーマンに襲われてるんです、助けて!!」

『……全然聞こえ……急ぎでなければま……明日に……(ブツッ)(つー。つー)』

「……切れた……」

最後の頼みの綱が切れ、真理は途方に暮れた。何で一日に二回も襲われなければならないのか?しかも二回とも絶体絶命で、そして今度は助けすら期待できそうにない。

受話器を戻し振り返る。敵はまだ鉢の下でじたばたしているのだろうか?

―――いない。どこだ。

周囲を見回す。上下も。背後も確認し、袋の男ブギーマンが完全に消えたことを理解した真理はしかし愕然とした。自分ではない。ゆうきを追いかけていったのだ!

真理は、ゆうきを探して走り出した。


  ◇


ゆうきは階段を駆け上っていた。

おばけがやってくる。お母さんの言いつけを守らなかったからだ。ゆうきを捕まえて袋に詰めてどこかに連れて行ってしまう気なのだ。こわい。お姉ちゃんとははぐれてしまった。どうしたらいいの。

階段をのぼりきり、息が切れる。それでも背後が気になって廊下をすすむ。トイレに駆け込む。個室に入り、鍵をかける。震える。やがて不安になり、顔を上げる。

―――目が合った。

個室の上からこちらを覗いていた赤い双眸を目にしてゆうきは悲鳴を上げた。扉をあける。飛び降りてくるおばけの下を潜り抜ける。走る。

トイレから飛び出そうとしたところで、首根っこを掴まれた。

おばけは、手にした袋を広げるとそこにゆうきを押し込もうとする。こわい。中から沢山の手が出てきた。みんなゆうきを掴もうとしている。もうだめだ。

「たすけて……」

絞り出した言葉に、おばけの力が一層強くなる。もう少しで袋の中に頭が突っ込まれるだろう。そう思えた時。

「やめなさい!!」

女の人の声が聞こえるのとともに、おばけが動きを止めた。

真理おねえちゃんが、助けにきてくれたのだとゆうきは悟った。

おばけは、体ごと向き直った。


  ◇


ブギーマンは、悪い子を袋詰めにする作業を中断した。もう一人の新たな悪い子がやってきたからである。

新たな悪い子は手に鉄砲を持っている。何て悪い子だろう。袋に詰めて連れていかなければ。

ブギーマンの使命は、お母さんとの約束を守らない悪い子を連れていくことだったから。

小さな悪い子を放り出し、新たな悪い子の方に歩み寄る。鉄砲を向けてきた。怖くない。ブギーマンは恐怖の化身だから。かちっ。ほら。引き金が引かれても動かない。ここはブギーマンの袋の中夢の世界。子供たちの抱く恐怖の中なのだから。

ブギーマンとは、約束だった。お母さん。あるいはお父さんやおばあちゃん。そのほか色んな人と交わした約束を破るとやってくるお化けである。その姿は国ごと、地域ごと。いや、家庭ごと、子供ごとに異なった。世界中の子供たちが信じる、夜にやってくるお化けへの恐怖がブギーマンを生み出したのだ。

さっきの悪い子は、お母さんとの「寝なさい」という約束を破った。こちらの悪い子は、お母さんとの「危険なことをしないで」という約束を破った。こうして、ブギーマンに立ち向かうことで。

シーツの手で鉄砲をつかみ取る。体の中にするすると押し込む。その全体が隠れたところで、鉄砲はこの世界から消えてしまった。約束を守らない悪い子である限りブギーマンには勝てないのだ。絶対に。

「あ……あ……」

悪い子は女の子だ。全身に覆いかぶさる。シーツの体で覆い隠す。このまま連れて行ってやろう。約束の大切さを思い出し、約束を破った罪の重さを思い知るまで。

ブギーマンの体がどんどん広がっていく。世界をシーツが覆い隠していく。二人の悪い子を覆い隠し、病院すべてを飲み込み、すっぽりと包み込む。

そうして、世界は袋の男ブギーマンの中に納まった。


  ◇


ちゅん。ちゅん。

鳥の鳴き声で真理は目を覚ました。

「……あれ?」

周囲を見回す。就寝前と何ら変わらない病院のベッドである。別におかしなことはない。

「……?」

首を傾げる真理。とびっきりの悪夢を見ていた気がするが、何も思い出せない。

よっこいせ、と起き上がる。仕切りのカーテンを開ける。その前をとてとて。と子供が走っていく。ゆうきだ。何ら異常なことはない。

「……あれえ???」

何かとても大事なことを忘れている気がするのだが、一体何がどうなっているのだろう。

分からない。分からないまま、真理はベッドに戻った。


  ◇


随分と小さくなった闇の中で、ブギーマンは縮こまっていた。

ブギーマンは夜の世界の住人である。約束を守らない子供たちを夢の世界に引きずり込み、その大切さを思い知らせるのが役目だった。彼を生み出したのは子供たちの抱く恐怖だが、それだけではない。子供たちを大切に思う親たちの気持ち。それも、ブギーマンを構成する大切な要素だった。子供を育てる親を手助けするお化け。というのが、ブギーマンのもう一つの側面なのだ。今日も子供たちを死ぬほど怖がらせた。彼ら彼女らは約束することの大切さを知るだろう。

次はどんな悪い子を怖がらせてやろう。きっと改心させて見せよう。

それこそが、ブギーマンの存在意義だったから。

ブギーマンは、ひと時の眠りに就いた。

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