第二章 ブギーマン編

第46話 ブギーマンとぼく

恐怖の視線だった。

彼にとってそれは親しいものだ。向けられることが存在意義そのものと言ってもよい。自らが役目を果たしていることの証明であったから。

それは見張りだった。お母さんとの(ときにはお父さんや祖父母との)約束を守らない悪い子を休むことなく監視し続け、必要ならば罰を与える。そういうものなのだ。

長い監視のあと、彼は結論を下した。悪い子に罰を与えるのだ。


  ◇


「ほんとに大丈夫なのに」

網野真理はベットの上で苦笑した。病院の大部屋でのことである。脇の椅子に座って荷物を広げているのはお母さん。真理はそう呼んでいる人間の女性だ。

「そりゃあ病院じゃああなたの体は治せないでしょうけど。それでも休むのには意味があるわ。

しばらく危ないことは控えて。今晩はゆっくりしてなさい」

「はあい」

何故真理が入院する事になったのかと言うと、学校で暴漢に襲われたからである。暴漢が妖怪の力を使う超人であり、被害者の真理が人間ではなくこれまた妖怪である。という点を除けばまあ、人間社会ではたまに起こる不幸な事件でしかない。妖怪はカメラに映らないという事実と人払いの結界のあわせ技で余計な目撃者が出ることは避けられた。しかし、校内に不審者が侵入し職員と生徒が一斉に避難した、という事実は隠せなかった。七瀬初音の人払いにはそこまで強力な力はないのだ。世の中にはそれすらもなかったことにできる妖怪もいるそうだが。なので、真理の仲間たちが選択したのは事件のコントロール。犯人は逮捕され一命をとりとめた被害者は病院で治療を受ける。何もおかしなことはないというわけだ。当然、この場合の被害者とは真理のことである。生物学的に真理は人間ではないのでごまかす手間が必要だが、15年も人間をやっている真理にとってはその辺はたやすい。かかる費用はスポーツ振興センターの災害給付金が出るということでその辺もあんまり心配はしていない。

ちなみに大抵の妖怪は人間に化けても医学的に調べられるとボロが出るため、病院にかかれない。負傷した場合は寝て治すか、あるいは自分や身内で処置する。病気になることはまずないし、人間よりはるかに生命力が高いのでそれで大丈夫なのだ。四肢が千切れたり内臓や眼球が抉り出されても最悪、数週間から数か月あれば生えてくるほどだった。人間に化けられるほど知性の高い妖怪は強力でもあるから、銃弾の一発や二発ではくたばらないのである。

「じゃあ、お母さん帰るから」

「また明日ね」

帰っていく母を見送り、真理はベッドに横になった。暇である。聞いたところによると、先生―――竜太郎もこの病院で治療を受けたそうだが、すぐ警察で事情聴取されているらしい。元気にもほどがある。決定的瞬間は見ていないが、あの東慎一を、七瀬初音の手助けがあったとは言え倒したとかなんとか。本当に人間なのだろうかあの人は。

まあ今日はおとなしくしていよう。と思って布団を被ろうとしたところで。

「じー」

見られていた。大部屋の病室を仕切るカーテンの隙間から。ちっちゃな子供がこちらを覗いてくる様子は、まるでシーツのお化けのようだ。

目が合った真理は、思わず挨拶。

「こんにちは」

「じー」

またまたこんな感じである。

「どうしたの?お母さんは?」

「……かえっちゃった」

「そっか」

「ねてなさい。だって」

真理も事情が呑み込めてきた。この子供も入院患者なのだろう。真理と同じく。元気だ。

「お母さんの言いつけ守らないとダメだよ?」

「まもらないとおばけ、くる?」

「来るかも」

お化けが来るも何も、当のお化けに話しかけているのだが。などと思う網野真理15歳であった。

「おばけやだ」

「怖い?」

「こわくなんてないもん」

「そっか」

真理は気付いていなかった。子供の視線が向いているのは、自分に対してではない。その後ろに潜み、じっと視線を投げかけている存在を見つめていたのだと。

を監視するものの存在に、今の真理は気が付いていなかった。

「あなた、名前は?」

「ゆうき」

「ゆうきくんか。私は真理。よろしくね」

「うん」

男の子か女の子かよくわからない子だが、まあたぶん女の子だろう。大部屋と言っても男女は基本的には分けられるはずである。

「じゃあね。ゆうきくん」

「はーい」

とてとてとて。と。ゆうきはカーテンの向こうへ消えていった。

その様子を、真理の背後にいるものはじー。っと見つめていた。


  ◇


深夜の病院。

真理はふと目を覚ました。枕元に置いていた眼鏡を取る。伊達メガネだが何となく。視線をカーテンの向こうに向けると———

「いれて」

入ってきたのはゆうきだった。パジャマにスリッパ。昼間と同じ格好だ。

「どうしたの、ゆうきくん」

「おばけ」

「おばけ?」

ゆうきが入ってきた向こう側を見るが、真理には何も視認できなかった。これでも妖怪の端くれであるから、本物がいれば気が付くはずだが。

ゆうきはベッドの上にあがると、真理に対して指示した。おばけのいる方向を。

「下?」

「した」

よっこいせ。と身を起こした真理は、ベッドの下を覗き込む。

―――目が合った。

闇の中、赤く爛々と輝く双眸がこちらを見ていることに気が付いた真理は愕然とした。なんだこれは!!

そいつが手を伸ばすのと、真理が身を起こすのは同時。

「―――!?」

真理はゆうきを抱きかかえ、素足のままカーテンの向こうへ跳び出した。

身構える彼女の前では、布団が盛り上がる。いや、その下のシーツが盛り上がり、巻き取られ、の姿を形どっていく。

やがてそいつはベッドから降りると、その全貌を露わとした。

それは、お化けだった。盛り上がったシーツの中に人間がいればちょうどそんな姿になるだろう。巻き取られたシーツが頭部の部分で開き、赤い目だけが爛々と覗いている。手に持っているのはやはりシーツでできた大きな袋。だらしなく開いた口から沢山の目玉がこちらを見ている。まるで何人もの子供が入っているとしか思えない光景だった。

あまりの様子に、気圧された真理は後ずさる。

それに対して、袋の男ブギーマンは手を、伸ばした。

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