第42話 第二の狩人

【旧居留地東洋海事ビルヂング 食堂"季津菜"】


「あいたたたた……酷い目にあった」

消毒液が染みたか、竜太郎は涙目になった。

コミュニティの食堂でのことである。メタルヒーローの妖怪に襲われた竜太郎と雛子はタクシーと電車を駆使してここまで何とか逃げ込んだのだ。えらい目に遭った。

竜太郎と雛子のほかにいるのは数名。彼ら彼女らは、パソコンやタブレットを操作し、スマートフォンで連絡を取り合い、地図帳の上で振り子ペンデュラムダウジングをするなどひっきりなしに作業している。今ここはコミュニティの作戦本部なのだ。

「よく無事だったわね。妖怪と格闘して生き延びるだなんて。普通死ぬわよ」

手当をしてくれたのはなんとオーナーである。竜太郎の額に絆創膏を貼り付け、治療は終わりだった。彼女の言う通り、人間を超える身体能力を持つ妖怪と格闘すれば常人なら死ぬだろう。運がよかったとしか言いようがない。

「いつものことなんで。それにしてもとんでもない奴でしたよ。あんなのが暴れたらえらいことだ」

「もうなってる。手の空いてる人達が討伐に行ってるんだから」

竜太郎は逃げる途中、電話でコミュニティに連絡した。連絡の取れたものやたまり場に居合わせた有志からなる討伐隊が編成され、逃げ込んで来た竜太郎たちと入れ違いで出発したそうだ。うまくいけば生け捕りにもできるだろう。人目を気にせず暴れる妖怪は、人間社会に隠れ潜む彼らとしても死活問題だ。

「倒してもらえることを期待してます。あんなのがうろついてたら家にも帰れない」

「でしょうね。今夜は泊まっていきなさい。助手さんともども」

「恩に着ます」

「じゃあ、私はあっちで報告を聞いてるから」

告げると、オーナーはほかの妖怪たちの方へ歩いて行った。

「竜太郎さん、どうします?」

「そうだな。ご厚意に甘えて休もう。一区切りつくまで僕たちの出番はない」

雛子に答える。連絡係はもう足りているし、今から出て行っても消耗した竜太郎たちでは足手まといになるだけだ。それならしっかり休んでおくべきだった。

「今夜中に片付いて明日には仕事に行けることを祈る」

「ほんとう、そうですね……」

ふたりは食堂を後にし、仮眠室へと移った。


  ◇


【山中家近辺 山頂付近東屋】


そこそこの大きさがある東屋あずまやだった。

長椅子と風よけの仕切りが備わり、中央には南京錠のかかった箱型のテーブルもある。地元の登山会が使うもろもろが収納されているのだろう。今は関係なかったが。

そんな空間で、無精ひげの男は眉をしかめていた。

先ほどの戦いではまんまと逃げられた。山中竜太郎。恐ろしい格闘家だった。もう一人のエネルギー体も手ごわい。奪ったバイクを使っても追跡しきれなかった。

腿を見る。

缶をぶつけられてできた傷はふさがっていた。コンバットスーツの治癒能力によるものだが完治していない。スーツを着ている限りは動くのに支障はないものの。

ぼおっとしたまま、テーブルの上に視線を移す。携帯コンロとケトルによってすぐ湯が沸くだろう。晩飯はカップ麺だ。この際贅沢は言っていられない。

食事の準備待ちの間に、ベルトを取り出して眺める。変身ベルトの玩具。まだ小さかった息子が死んだ日、握りしめていたのと同じもの。

ドライブに行った先でのことだった。道に迷い、山中で立ち往生した。車を降りた隙に、怪物に襲われた。その時初めて無精ひげの男は妖怪を見たのだ。何もできなかった。妻子が貪り食われるのをただ、見ることしか。そいつは男をあざ笑った。まるで楽しむように追いかけてきた。妻子を喰った時の早業からすれば簡単に殺せたろうに。遊んでいたのだろう。無我夢中で走り、無精ひげの男は崖から落ちた。生き延びたのは奇跡と言っていい。

人界に帰還した男を、世間は錯乱した狂人として扱った。化け物に妻子が食われたと訴えたからである。妻子は結局見つからず、事故を起こした自動車だけが発見された。事故のショックで正気を失ったと見なされ、男は治療を受けた。やがて自分でもあれは夢だったのではないかと思い始めた頃。

黒いスーツのサラリーマンと出会った。

彼だけが話を聞いてくれた。そしてこう言ったのだ。『武器を探しなさい。あなたに相応しいツールを』と。その言葉を支えに何年も探した。妖怪を倒すのにふさわしい武器を。その果てに出会ったのだ。どこにでもあるリサイクルショップのおもちゃ売り場で、変身ヒーローのグッズが山積みとなった中に。この、ベルトが。単に息子が持っていた変身ベルトと同じ商品というだけではない。細かい傷や日焼けの跡までそっくりだった。完全に同一の物だ。運命だと思った。ベルトを自宅に持ち帰った男は、これが本物であることを確認した。本当に原作通りのメタルヒーローに変身し、その能力を行使する力を備えていたのである。これこそが武器だ。サラリーマンの言っていたものだ。

無精ひげの男は、山に入った。妻子を失った現場へと。不思議なことに、すぐさま妖怪とは再会できた。奴は笑っていた。とうとう食われる覚悟ができたのか、と。男は、それに答えた。ベルトを着け、変身することで。妖怪は死んだ。男が殺した。

そこへ、サラリーマンは再び現れた。彼は告げた。妖怪はこの世に大勢いると。そして問うた。どうする?と。

男は、答えた。妖怪すべてを滅ぼすと。

サラリーマンは、次なる敵を示した。自分の意志に従いなさい、と告げて。

そして今。男はここにいる。

湯が沸いた。火を止める。カップ麺のビニールを破ろうとして。

「……」

男は立ち上がった。ベルトを握りしめたまま。敵の気配を察知したが故であった。

木々で覆われた山頂の登山道を見る。そちらから歩み寄ってきたのは、人間の女の子に見えた。眼鏡をかけ、動きやすい服装で、胸が大きい。

無精ひげの男は知らなかったが、真理だった。

彼女は手にしたスマートフォンを見せつけつつ、口を開く。

「スマートフォンの電源を入れっぱなしにしていたのは迂闊だったね。何度も先生の住所で検索したでしょう?見つけるのは簡単だった」

真理の言葉に、無精ひげの男は懐を押さえた。そこにスマートフォンが入っているのだ。

「あなたのことは調べた。携帯の契約者を調べたらすぐだったわ。東慎一あずましんいち。三十二歳。結婚歴あり。元工員。四年前、妻と五歳になる息子を交通事故で亡くしてる。まごうことなき人間が、どうやって先生を追い詰めるほどの力を得たの?」

「事故なものか!!あれは妖怪の仕業だった。妻も息子も化け物に貪り食われたんだ!!俺は復讐のためにこの力を得た。妖怪すべてを殺すために!!」

「……奥さんと息子さんは気の毒だった。それは同情する。けれど、復讐ならその妖怪だけにしなさい。どうして他の人間や無関係な妖怪まで巻き込むの?」

「無関係?無関係なものか!!俺の話を誰も信じなかった。妖怪どもが隠していたからだ!無関係な妖怪なんぞ存在しない!そんな妖怪どもに騙され続けている愚かな人間たちも同罪だ。許せるものか!」

「だから先生を……人間を襲ったの?あの人はあなたとおんなじなのよ?家族を妖怪に殺されて、自ら妖怪ハンターになった。けれどあの人が退治するのは人間に仇為す邪悪な妖怪だけ。時には人間とだって戦う。あの人が信じる正義のために」

その言葉に、無精ひげの男は———東慎一は動揺した。あれが妖怪ハンター?自分と同じ境遇の人間だと?だからあれほど強かったと?

迷いを打ち消すように、東慎一は叫ぶ。

「そんなことは関係ない。俺は妖怪をすべて滅ぼす。妖怪を助ける人間もだ!」

「……残念ね。本当に残念。あなたとは分かり合えそうにない」

「お前も妖怪の味方をするのか。なら殺す」

「私は妖怪の味方じゃない。妖怪そのものよ」

告げた真理は、右手を振り上げた。それが合図となって、今まで木々の向こうに潜んでいた何体もの妖怪が姿を現す。

東慎一は己の失策を悟った。会話する間に包囲されていたのだ!

「これでも、考えを改めるつもりは?」

「くどい!」

彼がベルトを身に着けるのと、妖怪たちの妖術が集中するのは同時。

電撃が、火炎が、鋭い木の葉の渦が、様々なものの集中砲火が東慎一へと襲い掛かる。圧倒的火力は東屋を根こそぎとするほどの威力を発揮した。並みの妖怪ならば、これだけで無事では済まないほどの破壊力。

それがカード状のパワーフィールドに弾き返された光景を見て、攻撃者たちは愕然とした。何というエネルギー!!

立ち上る噴煙の中からそいつは姿を現した。

全身をメタリックなアーマー。いや、コンバットスーツで鎧ったメタルヒーローの姿を。

「殺す……殺してやる……お前たちだけじゃない。山中竜太郎も。妖怪どもとなれ合う人間の裏切り者め」

腰の光線銃を抜いたメタルヒーローは、妖怪たちの一体へと照準を向けると引き金を引いた。とっさに飛び下がったそいつ———樹木の精だろうか?―――の向こうに存在した立木が一撃で破壊され、倒れていく。妖怪たちの術にも負けない威力の攻撃だった。

カードを取り出しベルトに装填。光線銃のモードを変更し、再度引き金を引く。マシンガンモードの銃は、無数の光弾を立て続けに打ち出した。一発一発の威力は落ちるが、凄まじい弾幕が何体もの妖怪を退ける。眼鏡の女の子も悲鳴を上げながら地面に伏せた。そこを突っ切ろうとして。

地面が盛り上がった。飛び出してくるのは何本もの樹木の根。先ほどの樹木の精か!さらには鎖。風までもが絡みついてくる。このままでは身動きが取れない!

レーザーブレードを抜いたメタルヒーローはそれらを切り裂いていく。ダメだ。数が多すぎる。

そこへ、何体もの妖怪が立ちふさがった。まずい。形態変換フォームチェンジによるバリアーで妖術を防がねば。そう考えたところで。

「時間差で攻撃して!彼はフォームチェンジする時バリアーが発生するの!バリアーが消えたところで攻撃しないと!!」

真理の叫びにメタルヒーローは絶句。そうだ。が存在する特撮ヒーローは確かに強力だが、ネット上にその情報は豊富なのだ。真理はそれを検索して知ったに違いない。まずい。妖怪たちが攻撃態勢に入った。バリアーなしで喰らえば間違いなく助からない。何か方法は———

カードを取り出す。何も描かれていない空白ブランクのそれに、絵柄と文字が浮かび上がった。今まで東慎一の実力不足で使えなかったカードが覚醒したのだ。別形態フォームのカードとともにベルトに装填する。フォームチェンジと同時に空白だったカードの能力を発動させる———

バリアーが発生した瞬間、いくつもの攻撃が命中。はじき返されていく。しかしそれはいつまでも続かない。バリアーが消失したところで、第二陣の攻撃がメタルヒーローに直撃。跡形もなく吹き飛ばした。


  ◇


「……どうして。どうしてこんなことに」

消し飛んだメタルヒーロー。いや、東慎一がいた場所を見下ろし、真理は涙を拭った。人間を殺すのは本意ではない。だがやらねばならなかった。さもなくば彼は大勢殺していただろう。妖怪も、そして人間も。真理自身や、お母さんや、先生だって殺されてしまうかもしれないのだ。

ばさばさ。と降りてきた羽音に、真理は視線を向ける。翼を持ち、鳥にも似た頭部を持つ修験者がそこに立っていた。天狗。日本では強い勢力を持ち、種族と言えるほどの数が存在する一族のひとりである。

「大丈夫か。真理ちゃん」

「はい。火伏さんこそ」

火伏、と呼ばれた天狗は頷いた。人間よりはるかに長い歳月を生きてきた彼から見て、真理はまだ若い。このような戦いで受けた精神的ショックは大きいだろう。

「俺は片付けてくる。真理ちゃんは休め」

「いえ。大丈夫です」

「そうか。無理はするなよ」

仲間の妖怪たちが負傷者を助け起こし、後始末を始めた。戦いの痕跡を隠蔽するのだ。

もう一度だけ地面を見下ろした真理は、作業する仲間たちに加わった。


  ◇


「……ぷはっ!」

東慎一は。今までずっと潜んでいた地中から。

周囲を見回す。すっかり妖怪たちはいなくなったようだ。自分のことを死んだと思い込んでいたのだろう。

実際危なかった。とっさに用いた幻影イリュージョンのカードと、地中形態グランドフォームを合わせなければ間違いなくやられていたに違いない。幻影を地上に残し、地中形態で土の中に潜ったのである。妖怪たちが倒したと思っていたのはメタルヒーローの幻影だったのだ。後はそのまま何時間も息を潜めた。妖怪たちがいなくなるまで。メタルヒーローの能力はコンバットスーツの機能を規定する形態フォームを司るメインカードと、様々な追加機能を発揮する補助サブカードの組み合わせで何倍にも強くなるのだ。

何とか生き延びたが、よい教訓となった。いかに強い力があっても多勢と戦うのは不利だ。防戦する側になってはいけない。一撃離脱。敵を素早く倒し、そして逃げ延びるのだ。

とはいえ、何の成果もなしに神戸から去るつもりは毛頭なかった。最初の目標。山中竜太郎だけは倒す。奴の存在を認めれば、東慎一自身の存在意義が揺らいでしまう。人間の裏切り者には死を与えねばならなかった。

元の姿に戻った東慎一は、昇る朝日をしばし眺めるとその場から立ち去った。

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