第二部 慌ただしくも、愛すべき日常 第一章 東慎一編
第一章 東慎一編
第39話 怪人と怪盗
【長野県軽井沢町】
男は、長い間旅をしてきた。そう。とてつもなく長い期間。この世の理の外側に住まう怪物どもを滅ぼすため。奴らを見つけ出し、この手で殺し尽くすために。そのための力は、今や己の手の内にある。そのために多くの犠牲を払った。たくさんのものを捨ててきた。不可思議な黒いスーツのサラリーマンに導かれ、ようやく男はここまでたどり着いたのだった。
カバンの中にある武器の手触りを確認する。大丈夫だ。これさえあれば、奴らに勝てる。妖怪どもを滅ぼすことができる。
確信した男は、木々が作る影の中から姿を現した。
◇
「うーん。文面はどう始めるべきだろうな」
「?きゅぅ」
「そうかい。うんうん。いいね」
「きゅっきゅっ」
「ははは。じゃあそれでいこう。ありがとう」
「きゅっ!」
まずまずの天気だった。
気持ちの良い風でマントをなびかせながら、怪盗ファントマは立ち上がる。公園の広場にはなんだなんだと集まってきた観光客や地元の人々。これならよい商売ができるだろう。
足元を二本の脚で駆け回っている青い犬のぬいぐるみはファントマの助手。不可思議な術で操られている機械人形である。友人に言わせれば妖術、本人に言わせればトリックで。
書きかけの絵ハガキを持った助手が、置かれたスーツケースの裏に引っ込んでいくのを確認し、ファントマは仕事を開始した。
「さあさあお立合い。大道芸人ファントマのパフォーマンスが始まるよ!よければぜひ、楽しんでいってくださいな」
子供たちがキャーキャーと言っている。彼らに短時間で密度の高い芸を見せ、お代をせしめて撤収する。警察の許可など取っていないので時間との勝負だ。
箱から糸の伸びた十字の道具を引っ張り出す。それに引きずられて操り人形が飛び出した。反対の手でも同じことを繰り返す。素早く操る。BGMが流れ始める。
そこに三体目が飛び出してきた。四体目。五体目。もちろん手が足りない。問題ない。ファントマの人形は手で操る必要などないのだ。最初の二体もいつの間にか糸から離れて勝手に踊り狂う。ファントマは手に残された糸を見て滑稽に何度も見返す。人形たちの頭の上の糸がないのを何度も確認する。その様子に観客が笑い交じりの歓声を上げた。ファントマは逃げる人形たちを追いかけては失敗。それを繰り返しながらもなんとか捕まえていき、箱に詰め込んでいく。という筋書きだ。
最後の一体を捕まえて箱に閉じ込め、蓋をする。客の歓声はこの時最高潮に達した。よい幸先だ。
ファントマがそう思った時のことだった。
「……やっと……見つけたぞ」
歓声を貫通して耳に届く、声だった。
そちらを振り返ったファントマが見たのは側面からこちらに歩み寄ってくる、カバンを背負った男。無精ひげが生え、ややくたびれた服装はカジュアルなデザイン。登山靴を履いている。一見普通の人間に見えたが、足運びは相当な訓練を積んでいるのが伺い知れた。
警戒心を膨らませつつも、そんなことはおくびに出さずにファントマは話す。
「おや。飛び入り参加のお客さんだ!皆さん拍手で迎えてあげてください」
群衆がそれに応えた。場のパワーが高まっていく。観客の応援が強まればファントマの力もまた、強くなるのだ。
もっとも、そんな応援も無精ひげの男にとってはなんら感銘をもたらさなかったらしい。彼は立ち止ると、身構えた。明らかな武道の構えで。かと思えば走り出し、ファントマに襲い掛かってきたではないか。
もちろんファントマも怪盗を名乗るに相応しい実力者だった。襲い掛かってきた相手の攻撃をひらり。とかわすと高台へと降り立つ。その跳躍距離は五メートルにも及んだのである。
「「おぉ……」」
観客の感嘆とは裏腹に、ファントマはお冠だった。ショーを邪魔されたことに怒りを覚えていたのである。だから抗議する。怪盗なりの芝居がかったやり方で。
「どちら様かな?あなたのような人に恨みを買った覚えはないのだが」
対する敵手は、問いかけに答えた。
「人ならざる妖怪ども。俺はお前たちを滅ぼすために地獄の底からやってきた」
「おやまあ。ボクの正体がこんなに早くばらされてしまうとは。お前は何者だ!」
ファントマの二度目の問いに対する答えは、行動で示された。
男はカバンに手を突っ込むと、武器を取り出したのである。それを目にした子供たちは歓声を上げた。何故ならばその武器とは、特撮ヒーローが身に着ける変身ベルト。その玩具であったから。
「—――!」
ただ一人ファントマだけが、警戒感を募らせていった。あれは何なのか分からない。しかしまずい。あれが動作する瞬間を人間に見せてはならない!!
そう判断した彼女はだから、懐から四つの玉を取り出した。五指で挟んだそれらの煙幕弾を、素早く投射したのである。無精ひげの男と自分を覆い隠すように。
「「わああああ———」」
子供たちの歓声が最高潮に達したとき、それは起こった。
「―――変身!」
ベルトが身につけられた。閃光が走り、無精ひげの男の周りを強力なパワーフィールドが覆い尽くす。いかなる攻撃もはじき返し、どころか攻撃者を焼く強力な防御場が発生したのはほんの一瞬。しかし、それで十分だった。男が変身を完了するためには。
煙幕が風に吹かれて消えていく。
そして再び現れた二者の姿を見た観客たちはどよめいた。どちらも、先ほどまでとは違う姿となっていたからである。
まずはファントマ。夜会服とシルクハット、仮面にステッキという装いになった怪盗の装いである。
そして、無精ひげの男の変貌はそれ以上のものだった。
それは、鎧。全身にフィットした、ハイテクで構築されたメタルアーマーが出現していたのである。まるでヒーロー然とした姿に変じた無精ひげの男。
—――こいつ、人間じゃない!?
ファントマも知識としては知っていた。竜太郎が存在を予想していた、人間の姿に化ける能力を備えた妖怪!!まさかこんな白昼堂々、衆人環視の中で襲ってくるとは。
驚愕するファントマに対して、そいつは腰の銃を抜いた。
「―――!!正気か!?人がいるんだぞ!!」
抗議にもまるで躊躇する様子を見せず、無精ひげの男だったメタルヒーローはその、ハイテクな光線銃の引き金を引く。
とっさに転がって回避したファントマの後方、公園のモニュメントに着弾した光弾は凄まじい威力を発揮した。まるで特撮ドラマのような激しい爆炎を生じさせたのである。あんなものをまともに喰らえば無事では済むまい。
流石に観客も不審に思ったか、ざわめきが大きくなっていく。急いで決着をつけねばならない。
決断したファントマは、身を低くすると一挙に突っ込んだ。相手が光線銃の狙いを定める前にステッキの一撃を加える。
弾き飛ばされていく銃。
行ける。素早くステッキで攻め立てる。いくつもの攻撃がメタルヒーローを打ちのめす。回り込む。観客に対して巻き込む危険を無くした時点でファントマは切り札を抜いた。
懐に忍ばせていた拳銃を。
立て続けに連射。全弾を叩き込む。すべてが命中。ファントマの拳銃はただの銃器ではない。機械を改造し、自在に操る妖力を備えた妖怪が作り上げた強力な武器だ。それを何発も受けたものは無事では済まない。
それが、並みの存在であるならば。
「ぅ……っ!?」
銃弾は、静止していた。敵の体にぶつかる直前に。それが
故にファントマは最後の手札を切った。黒い幕を取り出すと、メタルヒーローに対して覆い被せたのである。
「―――!?」
最終的な攻撃に出ようとしていたメタルヒーローは虚を突かれた。突然幕をかぶせられた彼はもがきながらもどんどん小さくなり、沈んでいくように見える。いや。ような、ではない。本当に沈んでいるのだ。その行先は地面の下ではなく、もっと別の場所だが。
すんでのところで瞬間移動マジックを成功させたファントマは、観客たちの方に振り返ると一礼。
「大道芸人ファントマのマジックショー、思わぬ飛び入り参加がありましたが、楽しんでいただけたでしょうか。この場は準備不足にて、ひとまずおしまいとさせて頂きます」
その言葉に観客たちも落ち着きを取り戻したようだった。今のはあくまでもショーだったのだと。
拍手喝采の中、ファントマはその場を後にした。
◇
「……ぐはっ!!」
無精ひげの男は、監禁場所を飛び出した。人形でぎゅうぎゅう詰めの空間から何とか脱出したのである。客観的に見ればそれは、広場に置き去りとされた箱が内側から破壊され、突き破られたように見えただろう。
明らかに箱の容積を超える量の人形を振り払って立ち上がった男は、己が元の人間の姿に戻っていることを確認した。変身が勝手に解けている。まだ完全体とは言えないようだった。
周囲を見回す。すでに三々五々、散っていく観客たちの姿が見える。彼らには興味はない。世界の真実を知らないただの人間たちには。
あのマジシャンの姿をした妖怪はもう逃げたようだ。手がかりは何かないだろうか。転がった人形たちではだめだろう。あちらのスーツケースはどうだろうか。
回り込んだ無精ひげの男は、そこで小さくなって震えているぬいぐるみを発見した。そいつは両手で大事そうに、一枚の絵ハガキを抱きかかえている。
ぬいぐるみをつまみ上げ、絵ハガキを奪い取る。文面は書きかけのようだ。裏返して住所を見る。
そこには、送る先であろう相手の名前と住所が書かれていた。山中竜太郎様・小宮山雛子様。と。そして。
「兵庫県神戸市、か……」
次なる敵の手がかりを得た無精ひげの男は、その場を後にした。
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