第35話 七不思議
【北城大付属高校4階 美術室】
真理はすんでのところで手を止めた。眼前の妖怪に刺すトドメを思いとどまったのである。
代わりに彼女は叫んだ。
「殺すなって……こいつは先生を殺したのよ!?どうして止めるの!」
「違うの!悪いのはその子じゃない。私なの。その子は自分が何をやっているかも理解してないの!だから待って!話を聞いて!!」
「理解していないって……」
激情は膨れ上がるのも早いが、しぼむのも早い。燃え上がった真理の怒りは収まり、代わって本来の冷静な性格が顔を出し始める。
先輩と絵の少女。双方の間で視線を往復させる彼女に対して、さらに言葉が続けられた。
「その子は妖怪じゃない。人間なの。絵の中に閉じ込めたのは私なの」
「―――!?」
「その絵とこの体。二つに宿った意識を入れ替えた。悪気はなかった。いや、この言い方もおかしいかな。同意を得もせず勝手に体を入れ替えたんだもの。でも、ずっとじゃない。何日か体を借りるだけのつもりで、そのあとはちゃんと戻すつもりだった。交換に手間取って何時間もかかるだなんて思わなかったし、その子がすぐに目を覚ましたのもあなたが割って入ったのも予想外。それどころかこんなに強い力をふるえるだなんて。
その絵の中にいる子が、本物の安住詩月よ。だからお願い。殺さないであげて。突然絵の中に閉じ込められて、何が起きているかも分からずパニックになっていただけ。自分の体を取り戻そうとしていただけなの。
こんな騒ぎになったのは全部私の責任。だから」
「……」
真理は数歩下がると、銃口を上に向けた。さらに安全装置をかける。意図は相手に伝わっただろう。
「……話して。一体何があったのかを」
「うん」
そうして、安住詩月。いや、その肉体を持つ妖怪は話し始めた。ことの発端を。
◇
事の起こりは25年くらい前かな。そのころ、私はまだ人間だった。ごく普通の、ありきたりな女子高生だったの。絵を描くことが好きなね。
私の本当の名前は七瀬初音。
入学した高校には七不思議があった。夜になると勝手になり出すピアノや、宿題をやってくれる妖精さん。そんなありふれたものの中に、美術室の絵もあった。目を合わせると魂を吸い取られるってね。
もちろん信じてはいなかった。夏休みの前、忘れ物を取りに美術室まで一人で戻った時までは。
外はまだ明るかった。夕焼けが差し込んでいてね。そこで彼女と出会ったの。いや、出会った。という言い方はおかしいかな。前からその絵を見てはいたから。セーラー服を着た黒髪の女の子が描かれた、油絵。何代も前の美術部の先輩が描いたものだって聞いてた。忘れ物を見つけ出して帰ろうとしていた時、彼女の視線が動いた。目が合ったの。
魂を吸い取られはしなかった。代わりに、私と彼女の間には不思議なつながりができた。彼女の言葉を私だけが聞けるようになった。最初はびっくりしたけれど、寂しがっていた彼女と私はすぐに友達になった。悪意も持っていなかったし。少なくとも、その時はそう思った。
間違いだったのが分かったのは、それから二年経った後のこと。
三年生になった私は、いずれ来る彼女との別れを惜しんだ。彼女も同じだったと思う。それで、最後の想い出つくりをすることになった。彼女は言った。『人間の暮らしを体験したい』って。
私は同意した。愚かにも。あの子の言うままに、二人の体を交換してみたの。そうして彼女は私の体を得て、私は絵の妖怪としての姿と力を手に入れた。最初は面白かった。あなたたちも見たでしょう?あれほどの力が思いのまま。夜の誰もいない学校で、私は支配者としての立場を楽しんだ。けれど、それはすぐさま絶望に変わった。なぜかって?彼女が、学校に姿を見せなくなったから。
最初は病気にでもかかったのかと思った。けれど、夏休みに入っても。それを過ぎても。彼女は姿を現さないまま。美術室から動くことのできない私には何が起きているか知ることすらできなかった。力も、今ほどうまくは使えなかったから。
そして、その年度の最後。私は梱包材にくるまれて、運び出された別の学校に寄贈されたの。次に気が付いたときにはこの学校にいた。
それからずっと、私はこの学校。この部屋で生きてきた。考える時間だけはたくさんあった。そうしてるうちに気が付いた。彼女に裏切られた。体を乗っ取られたんだって。
私は諦めた。絵の妖怪として生きていくことに決めた。
けれど、話はそれで終わらなかった。
そこからさらに20年あまり後、ある生徒が入学してきた。そこの詩月さん。彼女の娘が。
最初に見かけたときは目を疑ったわ。だって昔の私そっくりだったもの。でも他人の空似かもしれない。私は必死になって目を学校に張り巡らせた。絵という絵、ポスターというポスターを支配して監視したの。彼女のすべてを、20年間で培ってきた力の限り調べた。やがて、彼女の保護者が懇談会でやってきた。
私だった。私の体。あれから二十年もたっておばさんになっちゃったけど、乗っ取られたわたしの体がいたの。
いてもたってもいられなかった。けれど私は自由に動けない。計画を練った。幸い、詩月は美術部員だったからいつかチャンスが来るのは分かっていた。1年も待ったの。そうして今日。詩月はひとりになった。詩月を捕らえ、私と体を交換した。その絵の本当の主に会いに行くため。一体何があったかを問い詰めるために。
こんな事態になるだなんて思ってもみなかった。ごめんなさい。全部私が迂闊だったせい。
先生にはなんてお詫びをしたらいいか、私には分からない。ごめんなさい。ほんとうに、ごめんなさい……
◇
それで、詩月の話は終わりだった。
最後まで聞いた真理はもう、復讐しようという気は失せていた。今の話が本当ならば、すべては不幸な事故だったのだ。絵の中の少女。本物の安住詩月に当たっても仕方がない。
「……話はわかった。これからどうする気?」
「体を戻す。彼女の母親を問い詰めるのよりそっちの方が大事。それと……手遅れかもしれないけれど、救急車を呼んであげて。先生のために」
分かった、と頷こうとしたときだった。真理たちが、会話に割って入ってくる声を聴いたのは。
「救急車はありがたいな……あいたたた。死ぬかと思ったよ」
真理たちが驚いて振り返る。廊下から声をかけてきたのは、ボロボロの竜太郎だったから。
「―――うそ。先生?」
「嘘じゃあないな。とりあえず僕がいるのは事実だ。生きてるよ。人間が四階から落ちても死亡率は50%ほどだ。十分な技術と訓練があればさらに確率は下げられる。一応五体満足だよ。ボロボロだけどね」
本当に竜太郎の言う通りだった。五体満足で彼は立っていたのである。状況からして四階まで自力で上がってきたはずだ。信じがたい生命力と言えた。
「……で、最後のあたりしか聞けなかったんだが、もう一回何が起きたのか話してもらっていいかな」
竜太郎の言葉に、真理は笑い出した。笑いながら泣いていた。
「よかった……本当によかった……先生が生きてて……」
「ありがとう。心配してくれて」
泣きじゃくる電子妖怪に対して、妖怪ハンターは優しく告げた。
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