第34話 妖術
がちゃり。
そんな音を立てて、4階の非常階段の扉の鍵が開いた。
―――開いてくれたか。普段使わないからな。
竜太郎は、職員室から持ってきた鍵をそのままに扉を開け放つ。素早く銃を構えた真理が踏み込み、安全を確認しようとして。
「―――!!」
真理は、引き金を引いた。連続的な轟音はもはや暴力と言っていい。反動も物凄いはずだが、華奢な体のどこにそんなパワーがあるのか、完璧に抑え込んでいるように見えた。
「……待ち伏せです。やっつけましたけど」
「OK」
後から踏み込んだ竜太郎は、絵画だった絵具の痕跡を発見した。流石にアサルトライフルのフルオートには耐えられなかったらしい。
「行こう」
「はい」
廊下は直線状だ。美術室から何か蠢いている。すぐに発見されるに違いなかった。小走りに、しかし慎重に前進するふたり。
目的地にたどり着いた二人は立ち止った。入口から洩れている、蠢く触手。そのような形態をしている、瘴気の塊に対して警告を発したのである。
「話がしたい。いるんだろう。誰か知らないが、僕たちを入れてくれ」
返答はない。竜太郎が頷き、真理はポケットに手を突っ込んだ。
出てきたのは———手榴弾。銃と同じく本物ではないが、威力は同等だ。
美術室に投げ込まれたそれは、一拍置いて爆発。瘴気が吹き飛んだところへ、二人は突入した。
◇
『―――いや。こわい。たすけて。どうしてひどいことをするの』
それは、少女だった。
美術室の一番奥。その上の方にかけられた油彩画に描かれた少女が、まるで生きているかのように動いている。
「僕たちに危害を加えているのは君だ。まず、我々を襲うのをやめるんだ。要求があるならそれから話そう」
竜太郎の言葉にも、少女はいやいやと首を振るだけに見える。
『私はなにもしてない。ただ、取り戻そうとしているだけなのに。なのに———』
少女は、手を伸ばした。それは絵の内側に阻まれ、止まる。他の絵は実体化できても、本体は絵の中に閉じ込められているらしい。眉をしかめた彼女はだから違うことをした。
絵の背景が渦巻いた。紫を主体としたカラーのそれが本人に代わって三次元化すると、床に転がっていた絵筆を取り上げたのである。それは絵の中に引き込まれ、少女の手に収まった。さらに、彼女は自ら左手の親指を噛むと血を流したのである。
「物体を絵に引きずり込めるのか……」
竜太郎は身構えた。隣で真理も同様に銃口を相手へ向ける。いつでも攻撃できるように。
それでも、敵の早業に抗するにはギリギリだった。
血を絵具として、キャンバスの内側へと絵筆を振るう少女。それに対して真理が引き金を引いたのは同時。
銃弾が到達するまでの刹那の時間でそれは、実体化した。
「―――!!」
それは、触手だった。キャンバスに描かれたタコの脚が実体化し、膨れ上がったのである。銃弾はそれにめり込んで破砕するにとどまった。実体化した妖術に阻まれ、絵画の少女にダメージを与えるには至らなかったからである。飛び散る赤い絵の具。
空になった弾倉を真理が交換する間に、第二の攻撃を竜太郎が放つ。それは狙いたがわず、絵の表面にめり込んだ。
『あああああああああああああああ!?』
与えた損傷はごくわずかなものだった。通常のキャンバス地では考えられないほどの耐久性を発揮した絵は、石弾でもわずかにへこんだだけ。にもかかわらず、少女が上げた悲鳴は凄まじい。効いている。
絶叫する少女は、絵筆で書きなぐった。
先のものより精細さに欠く代わりに力強いそれらは絵というよりむしろ、書のようだ。先ほど同様実体化し、伸びたそれらは巨大。教室の半分を埋め尽くすほどの体積の触手が、少女の絵を中心として伸びているのである。
それらは一斉に、竜太郎たちへと襲い掛かった。
「くそ!」
真理が再び引き金を引く。弾倉ひとつを撃ち尽くす代償として迫る一本を粉砕するが、それではとても足りない!二本目に手を当てつつ精神を集中、運動エネルギーをエフェクト効果に変換して受け流し、三本目にぶつけて止める。ひとまず後退しようと竜太郎の方を見た彼女は、絶句した。
追い詰められたのだろう。窓際に飛び乗って一撃を回避した彼に向けて、追い打ちのもう一本が振るわれたのである。逃げる余地はない。
「先生———!?」
まともに触手の一撃を喰らった彼は窓を突き破り、空中へ。
ここは四階だ。普通の人間が落ちて助かる高さではない。いかに体を鍛えていたとしても。それが真理の知る人間という生き物だった。
山中竜太郎は、地上へと落下していった。
◇
真理は、呆然としていた。竜太郎が死んだと確信していたからである。敵も同様に動きを止めていたが、それがなぜかということまでは思い至らない。ただ、立ち直った真理は、敵をにらみつけると糾弾の言葉を発した。
「この———この、人殺し!」
『ひと……ごろし……?わたしが……』
「そうよ。あんたが先生を殺したんだ!!どうして!!私たちの味方になってくれる人間だったのに!どうして殺したの!?あんたなんかぶっ殺してやる!!」
真理は、己が持つ全ての
職員室で振り回された立方体とは比較にならないほどに高密度で複雑な物体が自己組織化を開始。細長いそれらがデータで構築され、肉付けされ、たちまちのうちに実体化していく。
それは、竜だった。直線的な無数の機械でできた、教室の半分を埋め尽くすような大きさの、三つ首の竜。
そいつは真理を守るよう、首をもたげた。
「―――行け!!」
『!?』
絵の少女は、防ごうとした。先ほど同様触手の飽和攻撃を繰り出してきたのだ。二つの強力な妖術が真正面からぶつかり合う。竜がたちまちのうちに触手の一本を食いちぎった。そこに別の触手が絡みつく。もう一つの竜の頭部が縦横無尽に暴れまわり、いくつもの触手が絡みつこうとしてはじき返される。凄まじいまでの暴力と暴力の激突。
竜は強力だったが、次から次へと繰り出される触手もまた際限がない。永遠とも思えるほどの、しかし現実にはごくわずかな時間。両者は死力を尽くして術を行使する。
そうして、限界が来た。絵の少女の側が押し負けたのである。
首の二本がひき千切られた竜の頭突きが、少女の描かれたキャンバスを壁面ごと陥没させる。
そこで限界だったか、竜も分解。元のデータに還元されて戻っていく。
「……はあ、はあ、はあ……」
力のすべてを振り絞った真理はひざまずいた。強力な妖術を使いすぎた。人間の姿を維持するだけでも手一杯だ。
周囲を見回す。美術室は無残な姿になっていた。破壊されていないものなどなく、壁面も消えてなくなっている。廊下の向こうまで吹き飛んでいるのだ。後始末が大変だろう。
だがそれも、敵にトドメを刺してからだ。
床に転がっていた銃を拾い上げると、弾倉を交換する。これしか残っていないが、恐らく十分なはず。奴は虫の息だ。
絵に歩み寄る。そこに描かれた少女は気を失っているのだろうか。そのような姿勢で微動だにしない。そこに銃を向ける。引き金を引けば全部終わりだ。
全てを終わらせようとして。
「―――やめて!その子を殺さないで!!」
声に驚いて振り返った真理は、見た。廊下にいた2年の先輩。安住詩月の姿を。
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