第33話 女子高生の正体

【北城大付属高校2階 職員室】


竜太郎は身構えた。回避が間に合わないと悟ったからである。

衝撃。

ふたりの女子生徒を庇った竜太郎はモロに一撃を喰らった。凄まじいパワー。わざと吹き飛ばされて威力を殺す。格闘技経験のない一般人が喰らえば死んでいたかもしれない。

「……っ……」

受け身。起き上がる。投石紐を構える。まずい。間に合わない。

立体化したイラスト。『九条を守れ』だったか、平和を訴える護憲ポスターから出てきた悪鬼の形相のそいつが、女子生徒。2年生の方へと延びる。その巨体は天井近く、3メートルほどもあった。振り回された腕がぶつかれば無事では済むまい。

「―――逃げろ!」

竜太郎の叫びが、職員室に響いた。


  ◇


—――まずいまずいまずいまずい……!!

真理は、眼前のピンチに脳をフル回転させていた。これはマジでまずい。このままでは死人が出る。先生は吹っ飛ばされたし先輩が殴られれば死んでしまう!

もはや人間の側に打つ手はない。

だから真理は、覚悟を決めた。

振り下ろされた腕の前に飛び出す。精神を集中。両手で一撃を受け止める。衝撃で、全身に張り付けていた

受け止めた破壊力を無害なエフェクトに変換しつつ、少女は真の姿を露わとした。

それは、影だった。無数のノイズが走る奇怪な人型。その内側には無数の文字が浮かんでは消滅していく。数式が。いや、プログラムが人型に具現化したような姿である。

電子妖怪としての正体を現した真理は、近くのパワー源に思念の手を突っ込んだ。そこから使えるものを引きずり出す。

それは、作動中のパソコンのモニターから飛び出してくる立方体のポリゴン。という形で具現化した。

テクスチャすら張られていないそいつの正体はネットワークにあったデータの集合体だ。仮想的な物質として具現化した立方体の質量は、何十キログラムもある。

鉄の塊としての属性データを付与されたポリゴンは、真理の思念に振り回されるまま宙を舞い、凶器としての役目を全うした。一発。二発。三発。もちろん、そんなものを喰らえば無事では済まない。引き裂かれ、押しつぶされ、吹き飛ばされてたちまちのうちに砕け散る絵たち。

圧倒的な力だった。

強力な妖術を行使した真理は、役目を終えた凶器を元の形に還元する。分解され、データの流れとなってモニターに還っていくポリゴン。

「……はあ、はあ」

やった。やっつけた。勝利が実感となって真理の内を満たしていく。しかしそれは長くは続かない。興奮が冷め、正常な判断力が戻ってくる。

思わず、己の両手を確認する。控えめに言ってもそれは異形だった。人型の影。いや、ノイズに様々なデータコードが浮かび上がった、もちろん人間ではありえない姿。これが真理の真の姿なのだ。

「あ———」

振り返る。怖かった。恐怖の視線を向けられるのが。化け物と呼ばれるのが。人間から拒絶されるのが、怖かった。

先生が、こちらをじっと見ている。彼は口を開いた。

「網野。そうだな?」

「……はい。あの。先生」

「先輩を助けた。そうだな?」

「は……はい」

「よくやった」

「あ……」

先生の一言で安堵した真理は、そのままへたり込んだ。


  ◇


「これでよし」

バリケードの出来栄えに、竜太郎は満足していた。

「しかし生徒に妖怪がいたとは驚いた」

「先生が驚いてないことに私、驚いてます」

「十分に驚いてるが」

正直に内心を告げる。一緒に机や椅子を運んで入口にバリケードを作ったこの影のような妖怪は、網野真理。1年の生徒である。人間に化けて社会に溶け込んでいる妖怪の実在を竜太郎は予想していたが、まさかその最初の発見が自分の担当する生徒からだったとは驚きだ。この分では気が付いていないだけで、相当数が社会に紛れ込んでいるのではなかろうか。

「普通は、よくて先輩みたいになるんですよ」

「経験済みか。人間に正体がばれるのは」

「そりゃあもう」

ふたりで、職員室にいるもう一人。放心状態の2年を見る。

ひとまず職員室からの脱出は諦めた。彼女が、先ほどの戦いで腰を抜かして立てなくなっていたからである。まあ人間が妖怪になる瞬間を目の当たりにすれば普通はそうなるのは理解できる。歩けない人間を連れて外に出るのは憚られた。回復するまで籠城するしかあるまい。状況からして人払いの結界が張られているのは確実だが、幸いこちらには強力で友好的な妖怪と経験豊富な妖怪ハンターがいる。水や食料も冷蔵庫にあるし、長時間状況が変わらなければ雛子も様子を見に来るはずだ。彼女は職場の住所を知っている。何とかなるだろう。

「まあ今まで何体も倒してきたからな。妖怪は」

「マジですか」

「事実だ。副業……というかボランティアで妖怪ハンターをやってる。人間と区別の付かない姿を取れるのは君で3人目だが」

「は、ハンター……」

「僕が狩るのは人間をさらったり、殺して食ったりするような凶悪な奴だけだよ。あるいは妖怪の力を借りて悪事を働く人間もやっつけることはある。けれど、驚かしたりするくらいの他愛ないいたずらしかしない妖怪を退治はしない。

もちろん生徒を傷つけもしない」

「お、お手柔らかに頼みます……」

生徒を怖がらせてしまった。反省する竜太郎。

「ところで元の姿には戻らないのかい」

「あ、忘れてた」

言い終えた瞬間だった。真理の全身にが張り付き元通り。制服を着て、胸が大きい眼鏡の女子高生の姿になったのは。

感心する竜太郎。

「凄いな。どう見ても人間だ」

「これ、モデル作るの大変なんですよ。身体検査とか突破しないといけないし。こまめにちょっとずつ変えていかないと成長しないって怪しまれるし。もしMRIにかかれとか言われたら死んじゃいます。私、ネットワークの電子生命なんで」

「電子生命……そうか。戸籍も、役所にハッキングして作ったのかい。ああいや、責めてるわけじゃないが」

「一応ちゃんと本物の戸籍あります。お母さん……あ、人間なんですけど。私の生みの親がいろいろやってくれて」

「なるほどな。その辺の話もいろいろと聞いてみたいものだ。君は僕が知らないことをいろいろ知っていそうだから。

だがまあ、先に現状をなんとかしないと」

「はい」

「それで、何が起こったのかな」

「あー。先輩が美術室で襲われてるところを助けて、大慌てで逃げてきたらこの有様です。何が起きてるのかは私にもさっぱり……」

「なるほど」

納得する竜太郎。自らを危険にさらしてまで人間を守った妖怪の発言である。疑う理由はない。

「彼女は2年の……名前は?」

「私も知りません」

授業を受け持っていないクラスの生徒までは、竜太郎も覚えていなかった。1学年だけでも200人もいるのだ。

仕方ない。本人に聞くしかなさそうだった。

「ちょっと入口を見張っててくれるかな」

「わかりました」

真理を2年生の視界からひとまず出す。これで正気に戻ってくれればいいのだが。

床に座り込み、机にもたれかかったままの2年生へ、竜太郎は話しかけた。

「大丈夫かな」

「あ……せんせい……?」

「そうだ。数学科の山中竜太郎だ。安心していい。今は安全だよ。それで、話してほしいんだ。まずは名前」

「……2年の、安住。安住詩月あずみしづき。美術部」

「安住か。

何があった」

「……」

「言えないか」

「……絵」

「うん?」

「美術室に飾ってあった古い絵。それが元凶なの」

「それが君を襲ったのか」

「……」

それ以上、詩月からの返答はなかった。

ヒントになりそうな情報は何も得られないまま、竜太郎は立ち上がるとバリケードまで戻る。

「どうでした?」

「ダメだった。放心状態なのか、何も覚えてないのか。分からないのか」

「ですよね……どうします?」

「援軍を呼ぶ。電車で来るから早くても1時間半はかかるが、それまで持ちこたえられれば何とかなる」

「あ、電話やネットだったら無理ですよ。私ももう、試しましたから」

「試した?いつの間に」

疑問符を浮かべる竜太郎。真理がスマホやパソコンを触っているところを見ていないので当然だが。

「私、考えるだけで電子機器なら何でも操れるんです。別にネットの中に入ったりしなくても。もう職員室の機器で試しました。仲間に連絡しようと思ったら繋がらなかったんで、この学校もう隔離されてます。どうも、相手さんは私よりその辺の力は強いみたいで。電子機器どうこうというより、"内と外"を分ける力、みたいですけど」

「なんてこった。厄介だな」

「どうします」

「まともに歩けない人間を連れて学校から出るリスクと美術室までいって敵の親玉を倒すリスク。どっちの方が高いと思う?」

「……わかんないですけど、どっちもどっちなら美術室の方がよくないですかね。ここからだと」

「同感だ。非常階段から美術室のある4階までは回り込めるはず。鍵もそこらへんに下げてあったと思う」

「行きます?」

「行こう。頼っていいかい?同族と戦えるか、っていう意味で」

「ま、まあある程度は。怪異相手の暴力沙汰になったこと、今まで何度もありますし」

同意はなされた。

「あ。ちょっと待ってください」

真理は、転がしていたカバンをごそごそ。中からスマートフォンを取り出すと、画面に

画面の中から引っ張り出されたのは、アサルトライフルだろうか。

「銃刀法違反だぞ」

「突っ込むのそこですか。あとこれ本物じゃなくて電子データですから。自分で作ったやつですから。威力は実銃並みですけど」

「ならよし」

「いいんだ!?」

「僕も爆弾を作ったりするからな」

「作るんだ……」

—――まあそうでもしないと妖怪相手に対抗できないだろう。たぶん。いや、あの物凄い投石だけでも十二分に戦えると思うが。

などと思う真理。

そんな彼女に、竜太郎は告げる。

「じゃあ、出発だ」

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