第七章 電子妖怪と絵画の怪編
第31話 友達と絵画
静かな夜だった。
神秘的な月光に照らされる美術室の中に人の姿はない。しかし、その似姿はいた。
そう。あった、ではない。その存在はそこにいた。壁の上の方にかけられた額縁。その中に納まった一枚の絵画として。
少女を描いたそれは、びくん。と身動きした。それどころか、唇を動かし言葉を発したではないか。
「たすけて」
と。
しかし、しょせんは絵画。発された言葉は音を伴わず、誰にも聞かれることがない。絶対の孤独の中で、絵画に描かれた少女は絶望する。誰も助けに来てくれないことに。いや。裏切られたことに、彼女は絶望していたのである。
長い時間そうしていた彼女は、やがて深い眠りについた。
◇
【北城大付属高校 1年教室】
「おわったー!」
「おつかれー」「おわったねー」
同級生の女子たちも開放感を味わっている。もっとも、真理はまだやらねばならないことがあった。問題集を集めて職員室に提出しに行くのである。まあ集めるのは各列がやっているので、真理がやるべきことはそれを担いで持っていくことだけだが。1クラス40人は多い。
「手伝おっか?」
「いいよ別に」
友人の申し出を断り、よっこらせと問題集の束を抱き上げる。胸が引っかかって運びにくい。こんなことならもっと貧乳にしておけばよかった。
などと思いつつ、階段を上り下りして職員室へ。つかれる。眼鏡がずれたが両手がふさがって直せない。ドアを叩き、数学の先生を呼ぶ。
「お疲れ様」
先生がやってきた。暑くなってきたからか上はカッターシャツ、下はスーツのズボンだ。足首のソックスの上には何やらファッショナブルな紐が巻き付けられている。前に聞いたところでは、ペルーでリャマやアルパカを飼っている牧畜民が狼からの護身用に身に着けているものだとかなんとか。護身用の紐ってなんだ。一見中肉中背だが、服の下は屈強なのが至近距離からだと分る。どういう鍛え方をしてるんだろう。
おでこに打ち身の跡らしきものを発見する。治療の跡があった。
「先生、頭大丈夫ですか」
「まあ正気だよ」
「いやそうじゃなくて怪我」
「そっちも大丈夫。バイクが空を飛んでね。死ぬかと思った」
「うわあ。事故ですか」
「事故といえば事故なのかな」
「なんか気になるなあ」
「まあ真面目に話すと怪談になるからな。いや、どちらかというと伝奇ものか」
「なんですそれ」
「週末に首なしライダーと戦ってやっつけたのさ」
「……?はい?」
「冗談だ。それより、問題集」
「あ、はい」
手渡す。これで仕事はおしまいだった。退室する。
戻りながら、真理は独白。
「首なしライダーをやっつけた?まさかね……」
冗談に決まっている。だって、そんなことがあるわけないから。
先生の発言を否定し、真理は教室へと戻った。
その途中。
—――たすけて……
なんか聞こえた気がする真理は、そちらに顔を向けた。上には美術室がある。そこからの声?
しばし立ち止り、しかし何も聞こえてこない。
「……聞き間違いか」
そうだ。そうに違いない。学校でトラブルが起きたりなんかするわけがない。
気のせいで片付けた真理は、今度こそ教室に戻っていった。
◇
竜太郎はうん。と伸びをした。もう職員室の外は太陽が傾きつつある。テストの採点と問題集のチェックを終わらせなければならない。担当科目のテストが後半に集中した結果である。大変だが食っていくためだ。外では運動部の活動もとっくに終わっている。生徒もだいたい帰っただろう。元気なことだ。喉が渇く。腹も減った。今日は夕食に弁当が準備してあるから大丈夫。机の引き出しを開ける。
缶詰がいくつか並んでいる。コーヒー。桃缶。イワシの味噌煮。非常食だが、万一の時の武器でもある。幸い今まで使ったことはないが。食べ物と妖怪の関わりは深い。
よっこらせ。と立ち上がる。魔法瓶の中の茶が切れている。作らねばならない。給湯器まで行こうとして。ふと。
―――他の先生方がいない?早いな。
珍しい。部活動のないテスト期間ならともかくこんな早くにみんな引き上げるか?
かくいう竜太郎自身、気付いていなかった。明日には返却しなければならないテストの答案の答え合わせがあること。首なしライダーの人払いの結界内部で戦ったばかりだということ。そもそも人払いの結界を何度も突破した経験があり慣れていること。それらの複合的要因がなければ、自分もとっくに帰っていただろうことを。
今はまだ。
◇
「真理ちゃん、どうしたの?」
名前を友達に呼ばれたのは、太陽がだいぶ傾いてきたころのことだった。
天文学部での活動の最中のことである。
「うん。なーんか、また呼ばれてる気がする」
「何に?」
「ゆーれい?」
「またまたあ」
部活と言っても普段は部室で適当にダベるだけなのが天文学部である。他に特徴といえば歴代部長が異常に強いことくらいか。過去の部長や副部長には剣道全国大会のベスト16や古武術の伝承者、居合道六段やグレコローマンスタイルのレスリングの達人、素手で屈強な男34人を倒した女傑などもいる。強すぎだろ。
まあそんなわけなので幽霊が出てもたぶんなんとかなるに違いない。いや、そう見せかけてエロ同人誌のような展開になるかもしれないが。15歳の女子高生である真理がなんでR-18の男性向けエロ同人の内容を知っているかは秘密である。
「はーいはい。じゃあ今日はこの辺で切り上げるよー」
部長の声に顔を上げる。こんなに早いのか。まあ1年の真理にとっては1学期中間テスト終了後最初の部活なのでこういうものなのだろう。という認識が働くが。
見れば皆も帰り支度。動きが早いな!?
窓の外を見ていると、運動部も片付けをそこそこに引き上げつつあった。なんだこの異様な足並みの揃い具合は。
なんかおかしい。まるで学校から人が追い払われているみたいではないか。
―――追い払う?どこから?
違和感を振り払う真理。
ぞろぞろと帰り始める一同に対して、
「あ、鍵返しておきます」
「おー首相だなー網野」
「それを言うなら殊勝では」
同音異義語をどうやって判別したのか我ながら謎である。
職員室で鍵を返すと、帰ろうとして。
「……やっぱり気になる」
そのまま美術室へ。
—――これで鍵が開いてなかったら間抜けにもほどがあるなあ。
そんなことを考えながら、真理はこっそりと扉の隅を開いた。
幸いなことに、間抜けなことにはならなかった。
代わりに極めてヤバい光景を、真理は目の当たりとすることになったから。
「―――!?」
美術室の奥に飾られた一枚の絵。そこから伸びているのは、霧?絵具?そのような物質でできたおぼろげな腕がいくつも。それが、部屋の中央に座った一人の女子生徒へと絡みついていたから。
それだけではない。
その絵に描かれていた少女。それが、こちらに顔を向けたのである。まるで生きているように!
そいつと視線が合ってしまった真理は、恐怖に凍り付いた。
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