第30話 レースと勝者

【白川伊川谷線 滝が谷公園下】


「ほらほらどうした!?」

右上から振り下ろされた斧を、雛子はかろうじて受け止めた。

立体的な機動をする首なしライダーは強い。このトンネルの内壁を縦横無尽に走り回ってこちらを攻め立てる。並の腕前ではない。奴はこちらを始末する気満々だ。

敵は反撃をたやすくかわし、内壁の右から天井、さらには左側から路面にまでたちまちのうちにし、こちらの左手を取る。ちょうどそこでトンネルが開けた。左手に大きな競技場が見える。先日行った総合運動公園の東の端。今いる場所は片側が四車線もある大きな道路だ。戦うスペースには十分すぎる。

不気味なほどに車のいない幹線道路を、竜太郎操る自動二輪は疾走する。

「―――この!」

もう何度目になるか分からない攻撃があっさりかわされ、どころか敵は一気にこちらへ寄せてきた。斬撃―――いや、体当たり!?

衝撃で自動二輪が右側に押し出される。横転しなかったのは奇跡だろう。竜太郎は普通の人間に過ぎない。バイクにまたがって生まれただろう首なしライダーとは違うのだ。

「もう後がないぜ!」

敵の言う通り、中央分離帯が迫っている。あそこまで押し出されればもうおしまいだ。

斧を鉈で受け止める。腕力は互角でも、マシンの性能が違いすぎた。ライダーの力量も。なんてこと。

雛子の内を占めるのは、焦燥。

もっとも、相棒は。自動二輪を操る竜太郎は諦めてなどいなかった。彼は待っていたのである。前方からやってくる援軍を。

「―――来た」

激しい攻防を繰り広げる雛子とライダーは気が付かなかった。前方から速度を落とした高速女が接近し、そして跳躍。首なしライダーの1400ccの前に飛び乗ってくる、まさにその瞬間まで。

「―――!?」

首なしライダーの運転が乱れた。そこへ鉈を振り下ろす。強烈な攻撃は相手の肩に傷をつけた。致命傷ではなかろうが、痛手には違いない。

対するライダーは斧をめちゃくちゃに振り回した。標的となった高速女は、素早く横に飛び降りるとくるりと一回転。器用に四つん這いで着地すると並走する。いや、動きが変だ。今の攻防で負傷したか、速度が落ちている。たちまち後ろに置いて行かれる高速女。もはや彼女の助けは期待できまい。

彼女同様、こちらも消耗が激しい。首なしライダーもそうだろう。決着の時は近かった。


  ◇


市営地下鉄学園都市駅を抜け、さらに進む中で首なしライダーは焦っていた。直線道路はもう半分を過ぎた。西神中央駅横を抜け、高塚高校前を進めばあとはグネグネと曲がった田舎道になる。そうなる前に決着をつけねば。あといくつか谷を抜ければ伊川谷駅にたどり着くだろう。その手前で勝負をかけてやる。

加速する。敵が付いてくるのを確認する。こちらのケツを取りやがった。まだだ。さらに速度を上げる。あいつが焦って加速したときが勝負だ。―――今!

首なしライダーは、己が誇るもう一つの妖術を発動させた。エンジンを意図的に不完全燃焼させ、爆音とともに大量の排気ガスを吐き出させたのである。それは有毒なだけではない。光を遮る煙幕の機能をも発揮した。

巻き込まれたハンターたちの足がたちまち鈍る。こちらもそれに速度を合わせながら精神を集中する。―――今だ!!

接着の妖術が、追跡者の前輪に対して発動した。


  ◇


「―――!?」

前輪がロック。いや、のを理解した瞬間。竜太郎は、すべてを手放した。予想通りの攻撃。先ほどパトカーがひっくり返った時から覚悟していた攻撃だ。問題は、分かっていても無事でやり過ごせるか。

そこまでの思考を一瞬未満の時間で終えた竜太郎は空中を舞いながら身を丸めた。受け身を取り、被害を最小にしなければならない。雛子も同様の構えを取っているだろう。彼女の体は人間より頑丈だ。多少つたなくても致命傷は避けられる。

受け身の基本は面積を多く取ることと、力を受け流すこと。2本の足より手を入れて3本。両手を使って4本ならばさらに被害は小さくなる。全身を使えばもっと。そこに回転ローリングを加える。

最も高度な受け身の態勢で、竜太郎は路面に激突。いや、着地する。回転し、被害を極限し、そして停止。その横を飛んで行った自動二輪はもはや、廃車は免れないだろう。今まで何度も共に危険を潜り抜けてきた相棒の最後を見送り、竜太郎は顔を上げた。前方では急激なブレーキ痕を残し、首なしライダーがバイクの前輪をこちらに向けている。片手に斧。とどめを刺す気だろう。だが、この間合い。この速度なら有利なのはこちらだ。足を止めたことを後悔させてやる。膝立ちとなる。投石紐に石弾を装填する。頭上で一回転。真正面から突っ込んでくる敵は気が付いたようだが、もう遅い。

強烈な一撃が、投射された。

それは狙いたがわず、首なしライダーの胸板に命中。ライダースーツを大きく陥没させる。明らかな大ダメージを受けた悪しき妖怪は、バイクから投げ出された。滑っていく1400ccが真横を通り抜けたのを尻目に竜太郎は立ち上がる。その後ろではもう一つの気配。雛子が立ち直ったのだ。鉈を構えた彼女が横をのを感じながら、竜太郎は次弾を投石紐に装填した。


  ◇


「おおおおおお!!」

雛子は渾身の一撃を振り下ろした。立ち上がりかけた首なしライダーの斧に阻まれるが大した問題ではない。二度。三度。もはや相手は石弾を喰らい、先ほどの裂傷もある。こちらより損害は大きいのだ。このまま押し切ってやる!そこに援護射撃が来た。石弾が雛子を、首なしライダーの脇腹に命中したのだ。

強烈な攻撃を捌いていた敵手は、それで限界が来た。斧を持つ手首に、鉈が食い込んだのである。落下する斧。食い込んだ鉈が抜けない。問題ない。相手が取り落した斧を拾い上げ、振り下ろす。

「ち……畜生め……」

それでおしまいだった。頭部がないため、首から縦に食い込んだ武装はライダーの胸板を大きく切り裂いていたのである。どう。と倒れる首なし死体。

「……終わった?」

独白する雛子。倒れた死体は答えない。代わりに返事をしたのは、後方の竜太郎だった。

「どうやらそのようだ」

「……つ、疲れました」

「お疲れ様」

緊張の糸が切れたせいか、へなへなと座り込む雛子。そうだ。とりあえず鉈を取り返さなければ。

首なしライダーの腕にめり込んだままの得物を頑張って引き抜く。とりあえず虚空に。どこに消えるか謎だが、雛子が生まれた時に身に着けていたブレザーや下着もやろうと思えばこのように出し入れできた。ダメージを受けても数日あればもとに戻っている。便利といえば便利だが、ブレザーは最近はあまり着ていない。

「さ。後は、片付けだな」

「どうします?」

「他はともかくバイクがあの有様だからなあ。廃車処理しなきゃいけないから、警察を呼ぶしかない。単独の物損事故ということにしとこうか」

妖怪との死闘の後に急に現実的な話が出てきて妙に悲しくなってくるが、現代社会で妖怪退治をするとはこういうことだった。

「死体が消える前に警察来ちゃうだろうから、ちょっと隠さないとなあ」

「あ。やっときます。あのでっかいバイクの方も」

「頼む」

そうこうしているうちに、道の向こうから来たのは白いワンピースの女。随分ゆっくりだがそう見えるだけで、人間は時速五十キロで走ったりしない。

「……あ…おわり……?」

「ああ。終わったよ。お疲れ様。ケガは大丈夫?」

「へいき……です…ありがとう……」

「こちらこそ。これから君はどうする?」

「……これからも……にんげん……おどかしたい……」

高速女の発言に、竜太郎は苦い顔をした。

「道路で運転中の相手を驚かせるとなあ。ちょっとどころじゃなく危険だ」

「きをつけ……ます……」

「約束できる?人間を傷つけないって」

「する……」

竜太郎は折れた。どちらにせよ、お互いボロボロだ。逃げられたら追いかける手段がない。それよりは、約束を守るといっているのだから一度は信じてやる方がよいだろう。何しろ高速女は、自らにかかった疑いを晴らしたのだから。命を懸けて。

「わかった。信じるよ」

「ありが…とう……」

「そうそう。こいつを持っていくといい。使い方はわかるね?」

先ほど手当したときにコンビニで買った消毒液と絆創膏、包帯の残りが入った袋を手渡す竜太郎。

負傷している高速女は受け取るとおじぎ。来た道をそのまま進んでいくと歩道から下道に降りていった。ねぐらに帰るのだろう。

それを見送った二人の妖怪ハンターは、後片付けを開始した。


  ◇


「これは予想外。驚きましたね。あのような狩人がいるとは」

後始末を始めた竜太郎たちを観察するものがあった。

彼らの後方数百メートルにある歩道。そこで、戦いの結末を見ていた男の姿は黒。スーツも帽子も黒いのだ。ふくよかな体形に垂れ目。分厚い唇を持っている。

サラリーマンの姿をした彼は独白する。

「やれやれ。せっかく北からの脱出を手配して差し上げましたのに。このような場所で討ち果たされてしまうとは。少しばかり残念でしたね。ですがまあ、仕事のすべてが実を結ぶわけではない、か。

今回はこれで引き上げるとしましょう」

踵を返そうとしたところで、彼は立ち止ることを余儀なくされた。眼前に突き出された銃口によって。

それを———アサルトライフルを握っているのは人間とはとても言えない存在。一言でいえば、無数のデジタル記号が浮かび上がった人型の影だった。

口もないそいつは言葉を発する。

「―――やっと見つけた。死のセールスマン。いろんなところに出没しては、事件の種を蒔いてるバケモノ。逃がさないよ」

「おやおや。これは勇ましいお嬢さんだ。それで、この物騒なもので私をどうするおつもりですかな」

「答えろ。何を企んでいる」

「企む。というほどのことは何も。むしろ企みが失敗して途方に暮れているところですよ」

「何?」

「そうそう。お仲間がやってくるまでの時間稼ぎでしょうが———すぐには追いついてこないでしょう。何しろ"首なしライダー"の速度に追随できる妖怪は少ない。彼が起こした騒ぎを聞きつけたとしてもここにたどり着くまでには時間がかかる。あなたのように電子情報に紛れて移動できる方は別としても。

違いますか?」

「―――っ!」

「おさがりなさい。私は暴力は嫌いなのです」

は気圧された。サラリーマンが持つ、潜在的な力に圧倒されたのである。こいつには勝てない。少なくとも、自分ひとりでは。

サラリーマンは、すたすたと道の向こうに歩いていく。その姿が視界から消え去るまで見送ったは、ようやく肩の力を抜いた。

「……くそっ」

銃を彼女は、正体を隠した。もうすぐ人払いの結界は消える。通行人に目撃されては面倒だ。普段使っている、姿に変じたのである。

「はぁ……帰ろ」

首なしライダーもとっくにどこかへ行っただろう。もう見つけられまい。近くで適当な端末に入ろう。などと考えていた彼女は、ふと気が付いた。前方で壊れたバイクを道端に寄せ、スマホでどこかに電話している男の姿を。

「……うわ。よく生きてたなあ」

状況から察するに、恐らく首なしライダーに襲われた被害者なのだろうが。よくもまあ命があったものだ。もちろん彼女は、首なしライダーを倒したのがあの人間だとは思いもしない。霊視の力を持たない彼女は雛子も見えていなかった。自分がここにたどり着いた時点ですでに首なしライダーはおらず、代わりに佇んでいたあのサラリーマンに挑んだのである。首なしライダーを北海道から逃がしたというあいつに。結果は戦わずして惨敗だが。

とりあえず、あの人間に助けが必要ならば手を差し伸べねばならない。目を凝らして、観察し———

「……うちの先生じゃん。凄い偶然」

見覚えのある、どころか顔見知りの相手だったことに、彼女は目を丸くした。

「まあそういうこともあるか。自分で警察呼べるなら大丈夫でしょ。ほっとこ」

彼が首なしライダーについて証言しても、警察はまともに取り合わないだろう。問題はない。

自分を納得させた彼女は、自らもまた。その場から去っていった。

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