第8話 ピラニアとサメ

轟!

衝撃波か。と思うような突風が吹き荒れた。驚くべき素早さで、白い巨体がかみついてきたからである。ターゲットとなった少年が頭から食われなかったのは、恐怖のあまり尻もちをついたからだろう。

少年は、下半身が生暖かいことに気が付いた。恐怖のあまり失禁していたのである。

そいつはあまり頭がよろしくないのか、攻撃が空振りした事実に疑問符を浮かべているようだった。わずかに頭を後ろに下げ、くんくんと臭いをかいでいる。突如漂い出したアンモニア臭のせいかもしれない。

だが幸運は二度も続かない。白いワニは、すぐさま次なる攻撃に出られるのだから。

「あ……あ……あ……っ!」

怪物は、のっそりと。ダメだ。もう避けられない。

少年は、死を覚悟した。

まさにその瞬間、救いの手は差し伸べられた。遥か後方から投射された石礫が、ワニの頭部に命中したのである。

「こっちだ!!走れ!!」

少年は、その言葉に従った。仲間たちも続く。目指すはトンネルの出口。生命への距離そのものとも言える道筋を一直線に、若者たちは駆け抜けた。

背後からはバシャン!バシャン!という水音。あいつが追ってきている!!振り返る暇も惜しんで走る。そんな中、前方から高速で飛来する物体が若者たちの間の抜けてまっすぐ飛び去って行くのを、少年は目で追った。先ほどと同じ石礫だろうか。

「急げ!早く!!出口まで走れ!!」

二発。三発。四発。凄まじい速度の連射だった。まるでマシンガンのような援護射撃を受けながら、少年たちは命の恩人の姿を目にした。そのまま横を駆け抜け、出口まで走る。

外だった。

巨大な下流側坑門はそのまま、深い川と連なっている。そこにはちょろちょろと水が流れ、しっかりとした階段が設けられてもいた。

そこを急いで登る若者たち。ワニがここまで来ても、あの巨体である。階段をまともに登れるとは思えない。

「……た、助かった……」「死ぬかと思った」「金輪際噂話確かめに行ったりなんかしねえ……」

ひっくり返る。皆が力尽きていた。

「しかし……さっき助けてくれた人、何者なんだろ」

「すごかったよな」

姿は普通の男性だったように思う。

ちらりと見た一瞬、頭上で紐を振り回し———そして何か投じていた。あの石礫はそうして投げていたのだろう。凄い威力だった。武術の達人かもしれない。

それにしても奇妙だったのは、男性の懐中電灯だった。二つ光源があったが、片方はように見えたのだが。

たぶん、見間違いだろう。気が動転してそう見えたに違いない。支えもなしに懐中電灯が浮かんでいるはずもないから。

「あ。写真撮るの忘れた」

「ばーか。助かっただけでめっけもんだろ」

「確かにそうだ」

「さっきの人大丈夫かなあ」

「大丈夫だろきっと」

若者たちの一夜の冒険は、こうして終わった。


  ◇


一方で、若者たちを助けた男性の。すなわち竜太郎の冒険はまだまだ続いていた。

物凄い勢いで突っ込んできた敵の速度はかなり落ち込んでいる。すでに十発以上叩き込んだ投石紐スリングの石弾の半数は、奴の下半身。後脚に命中していたからである。立ち上がって突っ込んできたおかげだった。

とっておきを取り出す。投石紐に装填。投げつける。

それが決め手となり、ワニの突進はとうとう停止した。その場で暴れ始める。苦しいのだろう。顔面に目つぶし。卵の殻の中にトウガラシ、胡椒、その他もろもろの劇物を詰め込んだ特製の品をぶつけられたのだから。いわゆる忍者道具だ。

馬鹿でかい怪物であった。

現実のワニとはあまり似ていない。子供が空想するような、誇張された姿に近い。必要以上に鋭く長い牙。鎧のようなごつごつした皮。尻尾の可動域も自由自在なのだろう。巨体と相まってほとんど怪獣である。何を食ったらここまでデカくなるのか。

もちろん、接近戦なら竜太郎に勝ち目などない。

だが大丈夫。相手との間合いはまだ十分にある。

「保険を準備」

「はい」

隣に控えていた懐中電灯。もとい、それを構えていた不可視の助手の返答はしっかりとして心強い。先日拾ったこの、雛子という幽霊少女は役に立つ。

続けざまに何発も石弾を投げつける。怪物は弱っている。全身から流れ出す血はかなりのものだ。足元を流れる水を赤く染めていく。

奥の手を使わずに済みそうだ。竜太郎がそう、確信しかけたとき。

奴らが、来た。血の臭いに惹かれて

「―――!?」

ふたりの間、低くなった場所を流れる水を逆行して、そいつらの群れがのを、竜太郎は確かに目撃した。あれは———

「ピラニア?」

雛子の声が隧道に響く。そう。それはピラニアのように見えた。ぎざぎざの歯を備えた淡水魚の群れが、血を流して力尽きつつある白いワニ目がけて殺到していたのである。

もちろん、ただのピラニアがこのような場所に現れるわけがない。

「こいつらも妖怪だ。気をつけろ!」


—――GUUUUUURURURURURURURURRRRRRR……!?


凄まじい勢いでワニが食われていく。たちまちのうちに皮がはがれ、肉が食いちぎられ、筋繊維がむき出しとなっていくのだ。恐ろしい光景だった。

下水道にまつわる生き物の都市伝説の登場人物はワニだけではない。ショットガンが必要なほど巨大なゴキブリ。流されてきた亀。猫も食い殺すネズミ。そしてもちろん、ペットの魚類も。

このような怪物どもは、水のある人工の地下空間であればどこにでも現れる。水を媒介に空間を超える能力を備えているのだ。移動するだけではなく、恐らくは嗅覚においても。

ピラニアたちは、めったにありつけないご馳走をいただくためにやってきたに違いない。いや。ひょっとすれば、ピラニアから逃れるためにワニも下水を出てここへ逃げ込んできたのかもしれなかった。無駄な努力だったわけだが。

やがて、白いワニだった物体は、骨に肉がこびりついているような姿へと変わっていた。

「……竜太郎さん。どうします?」

「手持ちの装備じゃあこれはちょっと無理だな。下がろう。血を流さないよう気をつけろ。食われるぞ」

「はい」

ピラニアが嗅覚でものを認識していると仮定するならば、不可視の幽霊といえども襲われる可能性があった。物理攻撃はすり抜けられるとしても安心はできない。何しろピラニア妖怪である。ましてや、生身の人間に過ぎない竜太郎が襲われれば一巻の終わりだ。

そろり。と下がっていくふたり。

異変に気が付いたのは雛子だった。

「―――?竜太郎さん、後ろ!」

反射的に壁面へと飛び下がる竜太郎と雛子。二人の間を、巨大な物体が抜けていった。それは———

「背びれ?」

そいつはワニへと接近すると、

ワニそのものに匹敵する巨体が大口を開きそして、ピラニアどもを丸のみしながら飛翔。すでに崩壊しかかっていたワニの亡骸に喰らいたではないか。

バリボリバリボリ!と噛み砕かれていく骨。それを為している新手の怪物に、二人は目を見張った。

「今度はサメか!」

「あんなのまでいるんですか!?」

「そのようだ。―――逃げるぞ!」

踵を返すふたり。石弾の残りは心許ないし、いくら何でも間合いが近すぎる。

サメは、追いかけてきた。ちょろちょろとした水の流れの中、背びれだけを出し、そのほぼ全身をに沈めて。どう考えてもあの巨体がこの水量に隠れられるわけがないのだが、何しろサメである。もとい妖怪である。何をしでかしても不思議ではない。

「次に奴が飛び出して来たら、保険を喰わせるんだ!」

「はい!!」

雛子は、とっておきの"保険"を抱えなおした。手製のそれを叩きこまれればさしものサメ妖怪も無事ではすむまい。

果たして。

出口の光が見えた瞬間、サメは勝負に出た。空中へと跳躍し、その巨大なあぎとを開いたのである。

「今だ!!」

左右に分かれて飛ぶ人間と幽霊。その間に投げ出された小さな袋をひとのみして、サメはへと飛び込んでいく。

前を取られたふたりは身構えた。出口側に陣取ったサメはで反転したのだろう。立派な背びれがこちらに向いている。

そいつは再び加速し、跳躍し、そして口を開き———

爆発した。

先ほど丸呑みにした手製のテルミットナパームが点火した結果だった。体内でそんなものが炸裂すれば、いかな怪物も無事では済まない。

むなしく床へと激突するサメの亡骸。

「……お、終わったんです、かね……?」

「さすがにもう出ないと願いたいな。さっさと出よう。命がいくらあっても足りない」

「はい」

後始末を考える必要はなかった。妖怪の死体は数時間もあれば完全に消滅することが常だからだ。

疲れ切った体を引きずる妖怪ハンター二人は、出口を抜けると帰っていった。

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