第二章 湊川隧道の怪編

第7話 隧道の白いワニ

【兵庫県神戸市 湊川隧道】


どこまでも続く、闇だった。

地下で生まれ育ったその存在にとって、闇とは親しいものである。闇は彼にとってのゆりかごであり、姿を覆い隠す目隠しであり、領土のすべてでもあるのだ。

だから、光は彼にとっては宣戦布告を意味していた。闇を切り裂く不逞の輩は彼の王国から排除されなければならない。

侵入者の存在を察知した彼は、ゆっくりと身をもたげた。


  ◇


「なあ。やっぱまずいって。戻ろうよ」

少年は声を上げた。前を行く仲間たちに対してである。

そこは煉瓦造りのトンネルだった。

湊川隧道。100年にわたって用いられてきた神戸市の治水の要である。阪神大震災での損傷を機にその役割を終えた今でも、保存のための改修がなされ、定期的にコンサートや見学会などが催されている公共施設でもあった。

とはいえ今は夜半。誰もいない。勝手に入り込んだ少年たち以外には。

「びびってやんの」

「怖ければ一人で帰れば?」

「怖いというよりまずいだろこれ。勝手に入ったら」

苦言にも、仲間たちは聞く耳を持たない。若者特有の無謀さで、かつて水路だった地下空間を進んでいく。灯りは各々の懐中電灯のみだが遠くまで見渡せた。ほぼ一直線に、かなり広々としたトンネルが伸びていたからである。

「それに考えてみろよ。毎月のように見学会とかコンサートしてるんだぞ、ここ。何かいたらとっくの昔に騒ぎになってるよ」

「それこそ最近になって入ってきたのかもしれないだろ」

彼らが言い争っているのは、ここしばらく噂になっているものについてだった。なんでも湊川隧道で白いワニが出たとかなんとか。見に行こうとなって今、ここでこうしているのだった。

「それにしたってなんで白いワニなんだよ」

「さあ。そういう種類もいるんじゃないの」

若い彼らは知らなかった。白いワニ。という都市伝説について。下水道にひそかに捨てられたペットのワニが、日のささぬ環境下で白く巨大に育った。という話を。

もちろん、湊川隧道は下水管ではないし、現在も利用されている管理の行き届いた施設である。そんなものがいる道理はない。常識に照らし合わせるならば。

不幸なことに、この世には常識を超越したものがある。という事実を彼らが知る機会は、すぐそこまで迫っていた。

「……うん?水か。けっこうたまってるな」

水たまりに足を踏み入れた若者が足元を照らす。治水システムとしての役目が終了した現在、隧道は基本的にちょろちょろとしか水が流れていない。とはいえ湧き水や雨水は入ってくるからこうなるのも当然ではあった。

「なんか先の方はかなり深いな。どうする?」

「戻ろうか」

やっと引き返す気になった友人たちに、少年はほっとした。あとは来た道を戻るだけだ。

そのはずだったが。

「―――?なんか今、揺れなかったか」

「揺れた揺れた。地震かな」

「それにしては妙な感じだなあ……」

水面が新たな波紋を刻み、先ほど踏み込んでできた分と干渉しあっている。何かが揺れたのは間違いないようだ。

気味の悪さを感じた一同は、戻ろうとした。ちょうどそのタイミングで。

「……?」

闇が、揺れた。いや。その奥に姿を隠していたものが前へと進み出てきたのだ。

最初に見えたのは白い鼻先だった。

次いで、ぎざぎざの歯。鋭い眼光。屈強な頭部。前脚。長い胴体。熊のような図体が、若者たちの視界へと侵入してきたのである。

光源が集中する。


—――GGGRRRRRRRRRURURURURURURUR……


唸り声を絞り出しながら、そいつは

熊どころの騒ぎではない。

天井ギリギリまで届くそいつの頭部は、六メートルの高みにある。

それは、ワニだった。それも全身が真っ白で、どこか現実離れした、まるで空想から抜け出してきたかのような生き物が、下半身だけでその身を支えているのである。

それも、ほんの数メートル先で。

「「―――ぎゃあああああああああああああああああああ!?」」」

若者たちは、絶叫した。


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