第3話 殺人鬼も幽霊

—――ひっでえな。こりゃ。

沢田刑事は眉をひそめつつ、手を合わせた。殺人の現場に残された遺体の有様があまりにむごいものだったからである。

被害者は三名。この家に住む夫婦と長男と目されている。いずれも苦しみながら殺害されたのであろうことが推察できた。すぐに確認は取れるだろう。

鑑識の邪魔をしないようにしながら、沢田刑事は玄関の外まで下がる。

「恨みですかね」

「さあな。だが可能性はある」

先輩の刑事に対して、沢田刑事は頷いた。被害者はどうやら同業者。警察官らしい。

「あと、行方が分かってないのは姉ですかね」

「だな」

昨夜保護された子供は「おねえちゃん、どこ」と何度も繰り返していた。"お姉ちゃん"に助けられたのだという。今は本署だ。この家は五人家族なのだろう。

そのはずだったが。

「うん?ちょっと待て。電話だ」

先輩が携帯を出す。しばし通話し、切った彼は告げた。

「確認が取れた。ここは四人家族だそうだ。息子が二人。娘はいない」

「え。それじゃあお姉ちゃんってのは」

「わからん。探して本人に話を聞かないことにはな」

先輩が頭を振る。まあ今は昔と違う。そこら中に防犯カメラがある。"おねえちゃん"も、逃げた殺人犯も。すぐに見つかるだろう。

—――それにしても。

沢田刑事は思う。よりにもよって警察官一家を狙うとは。警察は身内意識が強い。草の根を分けてでも、犯人を捕まえてやるつもりだった。

ふたりの刑事は、近所への聞き込みを開始した。


  ◇


たっぷりのお日様だった。

公園のベンチで、茶髪の殺人鬼は両腕を広げて座っていた。ぽかぽかの陽気。母に連れられた幼い子供たちの姿。公園を囲む緑。すべてが愛おしい。

狭苦しい牢獄から解き放たれるのが、これほど素晴らしいとは。警察に捕まる以前には思ってもみなかった。しかし今や自由を満喫している。どころか、自分を捕らえた警官の一人に復讐することさえできた。最高だった。

もっとも、不満がないわけではない。

あとで楽しむつもりで残しておいた子供が、いつの間にかいなくなっていた。勝手口の鍵が開いていたのだ。逃げ出したのだろう。おかげでこちらも、急いであの家から出る羽目になった。もったいない。冷蔵庫のビールを飲むタイミングを逸した。

まあいい。

あの子供を殺す機会はまだあった。それに、お楽しみはいくつも残してある。己を捕らえた者ども。有罪判決を下した裁判官。みんな殺してやる。それでようやくだ。

ふと足元を見る。転がってきたのはボール。拾い上げる。正面には不思議そうな幼子。

ボールを投げ返してやる。

受け止めた幼子は尻もちをついた。かと思うと立ち上がり、再びボールをこちらに投げてくる。投げ返す。キャッチボールだ。いや、結構大きいゴムのボールだが。

やがて、それが終わるときがきた。

母親だろう。歩いてきた女性に、幼子は口を開く。

「ボール!ボール!!」

「そう。楽しかった?」

「たのしい!、たのしい!」

「そう。ベンチさんが投げ返してくれたのね」

「ベンチ!ベンチ!!」

「さ。ベンチさんにバイバイしましょうね」

「ばいばーい!」

殺人鬼は———ウィンドブレーカーを着た不可視の悪霊は、幼子に手を振り返した。にこやかに。朗らかに。


  ◇


道路はそこそこに空いていた。

車両の流れに乗って走っている乗用車の乗員は三名。警察官ふたりと、昨日保護されたばかりの幼子だった。これから市の児童福祉施設に預けるためである。外は夕暮れ。いわゆる逢魔が時というやつだ。相手側と連絡を取り合い調整をしていたらもうこんな時間になってしまった。幼子の身柄を引き取る親戚が見つかるまで、そこに預けることになるだろう。

「それにしても……かわいそうに。こんな小さい子が一人、残されて」

「馬鹿。聞こえてるぞ。小さくてもこういうのは案外わかるもんだ。デリカシーってやつをな」

「す、すんません」

警官が会話する間にも、幼子は何やらごそごそ。手に持っているのは県のマスコットの人形である。警察署にあったものだ。

「しかしこれからどうなるんすかねえ」

「そういやお前はこういうの初めてか。特別捜査本部が置かれるだろうな。県警本部からもう、人が来てたからな。大事件だよ」

「うへえ」

「ま、今は防犯カメラがそこら中にある。すぐ見つかるだろうよ」

「そう願いますよ。…っと」

無謀な幅寄せが来たのに合わせてスピードを落とす。パトカーではないからこういうのがこの時間はやたら見られた。危ない。

時間帯の割に快速で、街中を進む。

後部座席に座っていた幼い男の子は、ふと顔を上げた。何かが動いた気配を感じたのだ。ジーっと前方を見つめる。運転席の側にあるサイドブレーキが震えた。

「……?」

幼子がその意味を理解できていれば、恐怖に震え上がっていただろう。誰も触っていないサイドブレーキが、動き出そうとしていたなどとは。

わずかな間をおいて、サイドブレーキが急激に引かれる。それはタイヤをロックし、車体をスピンさせる。という結果を招くに至ったのである。

致命的だった。

コントロールを喪失した乗用車は、反対車線に飛び出す。

幼子の前方視界を大型トラックが埋め尽くし、そして———

衝撃が、すべてを奪い去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る