第一章 幽霊とハンター編
第2話 殺人鬼と幽霊
闇の中で、少女は目を覚ました。
頭が痛い。意識がぼーっとする。なんだか体がふわふわした感じで現実感がない。いつ眠ったんだっけ……
少女は、自分が学校の制服を着たままだったことに気が付いた。ブレザーである。ここは少なくとも家のベッドではないらしい。
身を起こそうとしてごつん。頭を打った。狭い。手足をいっぱいに伸ばすこともできない、恐ろしく窮屈な空間に己が閉じ込められているという事実に気が付く。
周囲を探る。何やらでこぼこした部分を手掛かりにいじりまわし、やがて諦める。自由に動けるならまだしも、何も見えない状況である。しかも反対方向を向くことすらできないほどに狭い。
だから違う方向を探す。何やら今度は違う感触。堅いのは同じだが、押すと動く。
力いっぱいにそっちを押しやり、やがてできた隙間から、少女は身を乗り出した。
目に入ってきた光景が何なのか、少女にはわからなかった。頭を出してなお、薄暗かったのもあるが。そこも狭い空間であるが、左右を見渡すと窓。取っ手。大きな座席の背面。そんなものが見える。
悪戦苦闘し、そちらへと転がり出た段階でようやくここが何なのかが理解できた。乗用車だ。その後席に、少女は出てきたのだった。ということは論理的に考えれば、先ほどまで閉じ込められていた場所は車のトランク?
訳が分からない。わからないが、ヤバいのだけは確かだ。窓から外を見る。コンクリートの打ちっぱなし。上方に小さい通気用の窓。狭い。ガレージの中か。
音を立てないよう細心の注意を払いながら、少女は車外に出た。
そのままシャッターまで行く。暗くてよくわからない。動かない。ガチャガチャと音がして、びっくりして手を引っ込める。まずい。状況が分からない。おそらく探せばライトはあるだろうが、今は付けるのがためらわれた。自分をこのような状況に置いた人間がいるに違いない。気付かれればまずい。
周囲を探り、奥に上への階段があるのを発見。
しばし逡巡し———覚悟を決めた少女は、階段を昇った。
扉を開く。中はどうやら民家に見える。まだそれほど古くないし、そこそこしっかりとした家に見える。左を見て右を見る。玄関が見えた。ついてる。
扉を閉めると、そちらに向かおうとして、聞こえてきたのは足音。
—――!!
外に誰かいる!
目の前の部屋に飛び込む。逃げ場を探してぐにゃり。
うん?ぐにゃり?
足元を確認した少女は、悲鳴を上げそうになった。何故ならば彼女が靴で踏んでいたのは、目を剥いて首から血を流している成人男性の、おそらく死体だったからである。
「―――!?」
悲鳴が口から洩れなかったのは、とっさに口を覆ったからだった。開きっぱなしの戸を潜り、隣室へ飛び込んだ時点で玄関が開く。
ごそごそという気配がした。靴を脱いでいるのだろうか。やがて、死体があった部屋に入ってきたそいつを、少女は目の当たりとした。
ウィンドブレーカーを着た茶髪の青年。手に提げているビニール袋を床に置き、死体のそばに腰かけると何やらごそごそし始める。
その光景を、隣室から少女はじっと見ていた。息をひそめながら。幸いなことに気づかれた様子はまだない。忍び足で廊下に出ようとする。
「うん?」
青年が振り返った。少女の位置からではその動作は見ることができなかったがしかし、聞こえてきた声だけで十分だった。
凍り付くように動きが止まる少女。
やがて、青年は興味を無くしたか。ごそごそと作業を再開したようだった。何をしているのか確かめたいとは思えない。そんなことより脱出しなければ。だが位置が悪い。青年が陣取っている場所からは廊下が丸見えだ。ガレージも玄関も使えそうにない。
少女は、奥に退路を求めた。
踏み込んだそこは台所。見渡す。勝手口があるはずだ。そこから脱出しなければ。
視線を巡らせた少女は、目当てより先に別のものを発見した。
部屋の隅に縮こまり、震えている小さな子供。
まずい。声を出されたら一巻の終わりだ。
少女は即決した。子供に歩み寄ると、耳元でささやいたのである。
「だいじょうぶ?」
びくっ。
子供が震え。顔を上げる。口を開きそうになったところで、手で塞ぐ。
「助けに来たの。落ち着いて聞いて。あいつは気付いていない。今のうちに、裏口から逃げる。いい?」
子供は、頷こうとしたのだろう。口を押える手からその動作は伝わってきた。
「手を放すけど、静かに」
子供は言われた通りにした。周囲をきょろきょろ。不安なのだろう。
だから少女はそっと、子供の手を握った。
「行くよ」
勝手口のチェーンを外し、鍵をそっと回し、外に出る。
そこは住宅街だった。ごくありふれた、日本の。
庭を可能な限り素早く抜ける。表に出る。階段を降り、門扉を開く。街灯に照らされた車道へ出る。そのまま走る。立ち止ればあいつが追いかけてきそうな気がして。
太い道に出た。車がびゅんびゅんと飛び交っている。ここまで来たらもう大丈夫だろう。手を引いている子供も無事だ。走ってくる自転車の前に飛び出す。手を振る。急ブレーキの不快な金切り音が響いた。ライトが眩しい。
「助けてください!人が、人が死んで!!殺されてたんです!」
「―――何だって?」
自転車の男性は興味を惹かれたようだった。助かった。よかった。
彼は自転車のスタンドを立てると、すたすたと子供の方に歩み寄る。
「大丈夫かい?」
「……うん」
あれ?
少女はこの段階に至って、不審を覚えた。男はこっちを無視して子供の方にのみ、注意を向けていたからである。
「あ、あの」
「?」
男性は周囲を一瞥。何もいないことを確認すると、子供の方に向き直った。
—――見えて、ない?
少女の内にむくむくと、疑念が膨れ上がっていく。
それは、彼女が差し出した手。男性に向けられたそれが、すり抜けた瞬間に最大となった。
—――そうだ。私もう、とっくに殺されて……
男性に見えていないのも道理だった。子供がきょろきょろしていたのも。何故ならば少女はとうの昔に、亡者となり果てていたからである。
ここにいるのは、彷徨い出てきた亡霊に過ぎない。その姿を見ることは誰にも叶わないのだった。
—――嫌。
後ずさる少女。眼前の二人の生者から逃れるかのように。
「嫌ああああああああああああああ!」
少女の幽霊は、その場から逃げ出した。
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