第9話 魔獣と少年

 扉を開けると、そこにはすでに先客がいた。

「よう」

 僕のほうを振り向いたのは、金髪碧眼の美青年――アルフォンス・ハイゼンベルクだった。彼は軽く手を上げて挨拶すると、手に持っていたサンドイッチを口に運んだ。

「やっぱりここが一番落ち着くな」

「まったくだ。この場所を知ってるのは僕たちだけだからね」

 僕ら以外に誰もいない静かな空間。この時間は、何物にも代えられない至福の時間である。

「ところで、最近どうしたんだ? ずっと何か悩んでいるみたいだけど」

「……実は、少し気になることがあってね」

「気になる事?」

「うん。最近、妙な噂が流れてるらしいんだよ」

「噂ってどんな?」

 アルフォンスが尋ねてきたので、僕は自分の聞いた話を伝えた。

「……へぇ~。面白いじゃないか。その噂の真偽を確かめるために動いてみたらどうかな?」

「確かに面白そうなんだけど、ちょっと問題があるんだよね」

「問題?」

「うん。まず一つ目。これはまだ未確認の情報なんだけど、学園内に魔獣が入り込んだかもしれないということ」

「魔獣だって!?」

 アルフォンスは驚いたように目を丸くした。無理もない。魔獣とはその名の通り、体内に魔力を持つ獣のことである。その力は強大であり、並みの冒険者では歯が立たないほどだ。しかも、魔獣の中には言葉を解するものもいるという。そんなものに襲われた日には命がないどころか、下手をすれば国が滅びかねない。

「それは本当なのか?」

 真剣な顔で尋ねるアルフォンスに、僕は首を振った。

「わからないよ。あくまで噂だからね。ただ、もしそれが事実なら一刻も早く手を打たないといけないと思うんだ」

「なるほど……。ちなみに、二つ目は?」

「二つ目は……」

 そこまで言って、僕は口をつぐんでしまった。なぜなら、こちらのほうがより深刻だったからだ。

「その……なんていうか……」

「まさか、そっちの噂の方が本当だとでも言うつもりかい?」

「……うん」

 僕が答えると、アルフォンスは呆れたような表情を浮かべた。

「君は馬鹿じゃないのか? いくらなんでもありえないだろう」

「そう思うでしょ? ところがどっこい、本当のことなんだよねこれが」

「……どういうことだ?」

「昨日、偶然見かけちゃったんだよ。魔獣を使役してる生徒をさ」

「……」

 アルフォンスの顔つきが変わった。それを見た僕は慌てて補足を入れる。

「あ! 別に誰かに言いふらすとかそういうのはないから安心してくれ」

「当たり前だ。もしそんなことをしたら、君には相応の報いを受けてもらう」

「怖いなぁ」

 そうは言ったものの、僕はまったく怖くなかった。

「まあまあ、落ち着いてくれ。僕が見たのはほんの一部だけなんだ。それに、噂が嘘だという可能性もあるしね」

「それもそうだが……ん?」

 その時、アルフォンスの視線が僕の後ろへと向けられた。振り向くと、そこには一人の女子生徒が立っていた。長い銀髪に、白磁のような肌。どこか神秘的な雰囲気を感じさせる少女だ。

「やあ、アベル。また会ったね」

 彼女は微笑みながら僕に声をかけてきた。

「こんにちは、レティシアさん」

「ふふっ。今日もいい天気だね」

「そうだね。ところで、どうしてここに?」

「君の姿が見えたからさ。それで、お邪魔じゃなければ一緒に食事をとっていいかな?」

「もちろんだよ」

「ありがとう。それじゃあ失礼します」

 レティシアはそう言うと、空いていた椅子に腰かけた。彼女の登場にアルフォンスは驚いているようだったが、特に何も言わず黙々とサンドイッチを食べていた。

「ねえ、今の話なんだけど……」

 サンドイッチを半分くらい食べたあたりで、レティシアが口を開いた。

「ん? ああ、魔獣のこと?」

「うん。よかったら聞かせてくれないかな?」

「いいけど、そんなに面白い話でもないよ?」「それでも構わないよ。実は私も気になっていたんだ」

「わかった。じゃあ話すよ」

 それから僕は自分が見た光景を話し始めた。話を聞き終えたレティシアは顎に手を当てて考え込む仕草を見せた後、おもむろにこう告げた。

「魔獣を使役している生徒がいるというのは、多分本当だと思うよ」

「……なんでわかるの?」

「だって、魔獣を従えている人なんてこの学園では一人しかいないでしょう?」

「え? 誰なの?」

「ほら、そこにいるじゃない」

 そう言って、レティシアはアルフォンスを指差した。

「へ?」

 意味がわからずに間の抜けた声を出す僕に対し、アルフォンスは苦笑いを浮かべた。

「すまないな。俺が魔獣使いだってことは秘密にしてるんだ」

「そうなんだ……。でも、どうして?」

「理由はいくつかある。一つは単純に目立つのを避けたいからだな。魔獣使いというだけで、嫌う奴もいるからな」

「なるほど」

「それともう一つは、俺が魔獣使いだと知られることで迷惑をかけるかもしれないと思ったからなんだ」

「迷惑って?」

「例えば、魔獣に襲われて怪我をしたり、最悪殺されるかもしれないってことさ」

「それは確かに困るかも」

「だろう?」

「ちなみに、魔獣の名前は何ていうの?」

「魔獣の名前か。確か……シルバーウルフだったと思うぞ」

「シルバーウルフか。どんな魔獣なのか知ってる?」

「いや、俺は戦ったことがないから詳しくは知らないんだ。ただ、かなり強いらしい」

「ふむふむ」

 僕はアルフォンスの言葉に相槌を打ちながら考えた。

(やっぱり、魔獣を使役してる生徒がいたみたいだ)

 僕は確信を強めた。そして同時に、とある人物の姿を思い浮かべた。

(でも、あの人が魔獣を使役してるところなんて想像できないんだよなぁ……)

 その人物は僕と同じクラスの生徒で、名前はエレオノール・シルフィードという。彼女は貴族であり、かつ魔法の才能に恵まれているため将来有望な生徒として注目されている。実際、僕なんかよりも遥かに優秀な成績を残しており、学年主席の座を維持している。

 ただ、彼女には少し変わったところがあった。というのも、彼女は普段からほとんど喋らず、一人でいることがほとんどなのだ。授業中は先生に当てられて答える時以外はほとんど発言しないし、休み時間も教室で読書をしていることが多い。

 そんな彼女が唯一よく話す相手が僕だった。僕と彼女の間には接点がなく、なぜ僕と仲良くしてくれるのかはわからない。だけど、彼女と話をするのは楽しかったし、正直嬉しくもあった。だから、僕は積極的に話しかけるようにしていた。

「どうしたんだ? 難しい顔をして」

 アルフォンスに言われて僕は我に返った。

「ごめん、ちょっと考え事してた」

「何か悩みでもあるのか?」

「いや、大したことじゃないから大丈夫だよ。それよりさ、魔獣の件は噂通りだと考えるとすると、これから面倒なことが起こるかもね」

「面倒なこと?」

「うん。魔獣に襲われたり、襲われなくても他の生徒たちに絡まれたりするかもしれないってこと」

「ああ、そういうことか。確かにあり得る話だな」

「まあ、なるべくなら関わり合いにならないようにした方がいいよ」

「そうだな。お前にも迷惑がかかるかもしれないし、そうしよう」

 アルフォンスはそう言うと、残っていたサンドイッチを口に放り込んだ。僕たちはその後すぐに食堂を後にした。

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