第12話 サプライズ


「……っ、ううっ」


魔界屈指の魔力を保有し、剣技、魔法、体術と全て最高クラスで、魔族師団の長という地位に就いている私が、今にも破裂しそうな心臓を片手で押さえながら床に膝を突いている。

運動したわけでもなく、魔力が切れたわけでもないのに呼吸するのも辛く、動悸、息切れ、胸の痛みに立っていられない。

俯いていた顔をノロノロと上げ私に膝を突かせた犯人を視界に収めた瞬間、その場でバタッと床に倒れ伏した。


無理、降参。この場に白旗があったらブンブン振り回しているところだ。


「リシュナ様……」

「可愛いが辛い!」

「えぇ、それは分かりますが、リシュナ様」

「可愛い、可愛い……可愛い!」

「ルトフィナ様が怯えているのでお立ちください」


ロイラックの呼び掛けを無視して胸の丈を叫びながら床を拳で叩いていたのだが、溜め息と共に告げられた言葉に瞬時に立ち上がる。

室内に待機しているルトフィナ様の侍従達から小さく悲鳴が上がった気がするが、そんなことよりもロイラックの身体で隠された私の天使のほうが大事だ。


「ルトフィナ様……」

「ん、リジュ……ナ」


怯えさせてしまっただろうか……とそっと窺うと、ロイラックのスラックスにギュッと捕まりながら立つルトフィナ様がニパッと笑い拙い言葉で私の名前を呼んでくれた。

そう、数日前まで可愛いお尻をフリフリしながら床を匍匐前進していた天使は、いつの間にか自分の足で立ち、尚且つ私の名前まで呼べるようになっているのだ!

Sランクパーティへの潜入を前日に迎えやっととれた貴重な休憩時間。

連日彼等と共にギルドで打ち合わせをしながら、城へ戻ったら溜まっていた書類仕事。それらを片付け部屋へ戻ればルトフィナ様は既に寝ていて、ここ二日ほどは側に居られなかった。

だから、疲れとストレスでボロボロだった私が、部屋に入るなり天使に初めて名前を呼ばれたらデロデロのメロメロになるのは仕方がないと思う。


「……ルトフィナ様が!」


カッリス様との入念な打ち合わせや、私が魔王城を留守にする間のルトフィナ様の護衛の采配。私の代わりにルトフィナ様の側にヘイルとトイスを就けたので、魔族師団の隊を束ねる代わりの人選、緊急時の対応。

更に、ラウスを手元に長く置く為に頑なに自領に結果を張らないルーベ爺への抗議の手紙など……かなり忙しかったのだ。

無理矢理時間を作るが短い逢瀬すら叶わず、何度か私は何をしているのだろうと賢者タイムに突入することもあったほど。

でも、そう、それはやっと報われたのだ!こうしてご褒美が待っていたのだから!


「リジュ……ア」


ふらふらしながらゆっくりと歩いて来るルトフィナ様にハッとし、身を屈めて両手を広げて待てば、私の腕の中にポスッと天使が倒れ込み褒めて?とモジモジしながら見上げてくる。

ナニコレ、可愛いが止まらない……。

ギュッと抱き締め、凄い!という言葉を連発しながらルトフィナ様の柔らかい髪をわしゃわしゃとしたあと抱き上げ暴走していたのだが、ロイラックの咳払いで我に返った。


「ロイラック、見た!?見たわよね?ルトフィナ様が、歩いたわ……!」

「えぇ、私共は昨日に拝見させていただきました」

「昨日!?何故私に報告しないの!」

「ルトフィナ様はリシュナ様が居られないときに歩行の練習をされていましたので、御自身で披露されたほうが良いと報告は控えさせていただきました」

「まぁ、練習されたのですか?」

「ん……」

「リシュナ様のお名前も、何度も口に出し練習されていたのですよ」

「リジュ……リシュ、ナ」


コクコクと頷き私の名前を一生懸命口にする天使に涙と鼻血が出そうだ……。

最近少し重くなってきたルトフィナ様を抱き上げながら、子供の成長は早さをしみじみと感じる。

人間より遥かに成長速度が速い魔族の幼少期はとても大切な時間なのだ。恐らくもう数日もすればふらつくことなく普通に歩けてしまうだろう。


「……あっ!ロイラック、大変なことに気付いてしまったわ」

「何事でしょうか?」

「私が城を留守にする間に、ルトフィナ様が走ったり、言葉を沢山話すようになるじゃない?」

「そうですね」

「その瞬間に立ち会えないかもしれないわ……!」

「絵師をお呼びしましょうか?」

「絵師なんて……それは呼びなさい。いえ、動いている姿を記録しておくようなものはないの!?」


この世界にビデオがないのは分かっているが、せめてそれに近い物はないのかと叫ぶ。

こう、魔法の力で映像をえいやっ!と残せないかと思案し、そんなものがあったらとうに残していると不甲斐ない己の力量を嘆いた。


「リジュ、ないの?」

「……」

「リシュナ様。無言で凝視してもルトフィナ様には何も伝わらないかと」

「わ、分かっているわ。ルトフィナ様、ないの?とはどのような意味でしょうか?」

「ないの?……なーの?」


駄目だ、何を言っているのかさっぱり分からない。

助けを求めロイラックを見ると、頷いた彼が「最近、リシュナ様が不在のときによく同じようなことを呟かれています」と口にした。


「……居ないの?ってことかしら」

「恐らくそうではないかと。リシュナ様はここ数日お忙しくされていましたので、お寂しかったのではないかと。それと、リシュナ様を追い掛けようとするルトフィナ様に侍従達が歩けるようになれば部屋の外に出られると口にしたようで」

「それで練習を?」

「恐らくは」


腕の中で私の返事を待つルトフィナ様がいじらしい。

確かに、歩けるようになれば外に連れ出しても構わないとお父様達からは言われているが、それも周囲を護衛で固めたうえでの庭園散歩くらいだろう。見通しが良く、広い場所でなければ危なくてまだ連れては行けないのだから。


「楽しみにしていたのかしら……」


無愛想が定番のロイラックが痛ましげにルトフィナ様を見つめている。

その気持ちは痛いほど分かるわ……だって、明日から数週間はSランクパーティに潜り込むので朝から晩まで私は居ない。どうにかすれば顔を見る時間くらいは取れるかもしれないが、あの四六時中ベッタリのローガンを欺けるかと考え天を仰ぐ。

野営でのテントは女性同士で使うから、私を嫌うフローリアの監視の目さえ掻い潜れれば何とかなる。


「ルトフィナ様」

「……ん」


そっとルトフィナ様を腕から降ろし絨毯の上に座らせ、侍従からルトフィナ様のお気に入りだというぬいぐるみを受け取り横に設置する。首を傾げながら私を見上げるルトフィナ様にこれから残酷なお知らせをしなくてはならない。

見た目は赤子でも、中身はもっとうんと賢い魔王様だ。説明すれば分かってくれると、このとき私はそう思っていた。






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