第5話 専属侍従
ルトフィナ様が誕生されてから半年。
赤子の成長は早いものだと育児書に書いてあったが、どうやら魔族の赤子は人間の子よりも成長スピードが段違いに速いらしい……。
「ルトフィナ様、こっちですよー頑張って!」
「うぁ……」
ふかふかな絨毯が敷かれた床に四つん這いになって拳を握り締めている私に向かってルトフィナ様がもぞもぞと身体を動かしながら移動してくる。小さな身体を左右に揺らし、可愛らしく唸りながら真っ直ぐ私を見る天使の可愛さに爆発しそうだ。
「ほら、もう少しですよ」
現在ルトフィナ様は運動発達を促すと育児書に書かれていた匍匐の真っ最中である。育児書には腹這いと記載されていたが匍匐前進のほうが魔王様っぽい。
「はい……よくできました」
「あーうー」
私の目の前まで来たルトフィナ様を抱き上げ頭を撫でてあげると、ふーっと息を吐き出してにっこり微笑む我が天使尊い……。
ルトフィナ様の柔らかな頬を指でムニムニしていると、気配を消して静観していた私の侍従が咳払いをした。
「リシュナ様、そろそろ会議のお時間です」
「……行きたくない」
「これも魔王様の側近としてのお仕事ですよ」
「ルトフィナ様をだすのは卑怯じゃない?」
「最近のリシュナ様は扱いやすくて助かっています」
物心ついた頃から私付きとして侍従をしている壮年の男性ロイラックは元々お父様の侍従で、私の監視役のような形で今は側に居る。感情を表に出すことなくずば抜けて優秀だとお父様から太鼓判を押されているロイラックは、リシュナに対して率直に意見を言える数少ない一人だ。
ルトフィナ様が成長されたあと彼は魔王様の侍従という形で私とは同僚になるのだが、それまでの間は私付きの侍従でありこの城の侍従長も兼任している。
「別に側近の仕事が嫌だからじゃないのよ?」
「分かっております。魔王様はとても愛らしいですから」
「そうよね……!」
魔族のトップである魔王様がルトフィナ様なら、次席は私。
なので、ルトフィナ様と意思疎通が取れるようになるまで魔族領に関しての全ての決定権は私にある。その為毎月各領地の長を集め行われる定例会議には必ず私が出席しなくてはならない。その会議は通常であれば一月に一度のペース会議を開くのだが、ここのところは一週間に一度になっている。
それもこれも、ギルドが送り出して来ている冒険者の所為だ。
「ルトフィナ様、私はまたお側を少し離れますのでこの無愛想な侍従と一緒にお留守番していてくださいね」
「無愛想は余計かと」
苦笑するロイラックの腕にルトフィナ様を預け、彼の背後を覗き込む。
「その子達の教育はどの程度終えているの?」
「もう暫くはかかりますかと」
ロイラックの背後に控えて居る少年達は魔王様専属の侍従見習い。数十人ほど用意されている専属侍従の中でも、まだ幼く経験が足りていない者達だけを集めロイラックが厳しく教育をしている。
私が訊ねたとき、ロイラックが一瞬視線を投げた先には一人の少年が。彼は見習いの中でも一際身体が小さく線が細い。宝石のように輝く赤い髪と可愛らしい容姿は魔力が高い証なのに、少年は私と目が合うと身を小さくして俯いてしまった。
魔王様の侍従は有事の際に身体を張って主を守る為に戦闘面も優秀だと聞いたが、こんなにおどおどした大人しそうな子が戦闘訓練などできるのだろうか?
「貴方、お名前は?」
「……ぇ」
「聞こえなかった?名前を訊いているのだけれど」
「ひっ、ひゃい!イーサと申します」
イーサと口にした少年は私の一度目の問いに目を剥き、二度目では悲鳴を上げた。
威圧もしていないし睨んでもいない。寧ろ今さっきまでルトフィナ様にデレデレだった私を見ていたのに何故こんなに怯えられているのだろうか……。
きっと、リシュナ=狂暴、凶悪みたいなイメージはパッシブスキルなのだろう。
「イーサは魔族と妖精の混血です」
「珍しいわね……」
魔族領に居る混血は沢山いるが、お相手が妖精となるとかなり珍しい。
魔族は気に入った人間を連れ去り妻や夫にしてしまうことが多々あるが、それは人間が身体的に弱く、一人攫ったところで国が動かないから可能なこと。これが妖精、ドワーフ、獣人といった人ならざる者達であれば、国を挙げてすぐさま報復措置を取られ互いに相当な被害を出すことになる。
稀に相思相愛といった奇跡も起こるが、残虐な魔族と清廉を好む妖精とでは根本的に相性が悪く互いに嫌悪しているのでその奇跡すら起きない。
「髪色もそうだけれど、その瞳の模様がとても綺麗だわ」
「……っ」
間近で見ようと近付くとイーサの肩が跳ね肩下で切り揃えられているツヤのある髪が揺れる。大丈夫、優しいお姉さんですよー?と無害を装って微笑みながらイーサの目の前に立った瞬間。
「あう、うーあ、あ!」
抗議するような声と共に私の長い髪が引っ張られた。
髪を小さな手で握り締めたルトフィナ様は何度も引っ張りながら何かを必死に訴えているのだが……可愛いだけで何がしたいのか分からない。
ギューッとしたい、頬をぐりぐりしたい……と思考がぶっ飛ぶ寸前にロイラックの咳払いが炸裂した。
「どうしたのですか、ご機嫌斜めですね」
頬を膨らませながらイーサに向かって唸るルトフィナ様を抱き、居室の中央にある遊び場に移動する。
大理石の床は見栄えは良いが冷たいし固くて赤子を遊ばせる環境には適していない。
なので、私の部屋をルトフィナ様の部屋に移動したときに床一面に絨毯を敷いて部屋をひとつ専用の遊び場としてしまった。
抗議を終えきょとんと私を見上げていたルトフィナ様をそっと絨毯の上に座らせ、少し不格好なぬいぐるみを隣に設置する。一応クマのつもりで縫ったぬいぐるみは歪だが手触りは最高で、口に含んでも大丈夫なようにふわふわタオル生地だから洗濯もしやすい。
「あとは……」
寝室に移動し本棚から絵本を数冊取り出し、ついでにベッドの上に置かれた音の鳴る玩具も手に持ち隣の部屋に戻りロイラックに渡す。
「頼んだわよ」
「承知いたしました」
絵本や玩具だけでなく手縫いのぬいぐるみまで作ったものだから、当初ロイラックには驚愕されたものだ。
普段ピクリとも動ない彼の表情筋は死んでいなかったのかと私も驚愕したが。
「ルトフィナ様、いってきますね」
「……いーあ」
いーあって……朝から晩まで毎日一緒に居て母親代わりのようなことをしている所為か、ルトフィナ様の甘えが半端ない。
今も絨毯の上で両手を私に向かって上げ抱っこを強張っている。
連れて行ってあげたいのだけれど、諸々の安全性を考えると歩けるようになるまでは自室から出さないことになっているのだ。
「……そうね、会議なんて行かなくても良くないかしら」
「いいえ、良くはありません」
「最優先事項はルトフィナ様よ、ほら、抱っこって……」
「魔王様の見目は赤子ですが、知能は高くある程度は理解されています。ですので、リシュナ様が居られなくても泣き喚くことはありません」
「でも……」
「また妙な噂を立てられますよ?」
醜聞が多くふらふらと遊び歩いていたリシュナが側近の仕事をこなしながら魔王様と共に過ごし、尚且つ熱心にお世話をしていると城内で噂が広まり、何か企んでいるのか、またはおかしな魔法で自爆したのかと言われているらしい。
魔法を誰かに掛けられたのか?なら分かりもするが、自爆って何だろう。
この二ヵ月の活動範囲は此処か訓練場か会議室くらいなので、噂の出所は侍従か私の部下達しかない……。
「明日に会議を延期しましょう」
「お前達、リシュナ様をお送りしなさい」
ロイラックが手を叩くと見習いの子供達が私を囲むように立ち扉まで自然と誘導していく。
以前のリシュナであれば邪魔だと威嚇するところだが、私にそれはできない。
小さい者に弱いと知ったロイラックが小癪な技を使ってくるのが辛い。
「分かったわよ、行くわよ」
ビクビクしながら私の隣に立つイーサの頭をわしゃわしゃと撫でたあと、仕方がないと重い足取りで部屋を出た。
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