別に哲学がしたいわけじゃない

Soh.Su-K(ソースケ)

喫茶店にて

「なぁ、デートって何?」


 男の唐突な質問に女は思わずむせ込んだ。


「おい、大丈夫かよ?」

「いやいや、大丈夫かって言いたいのこっちだわ」

「俺は大丈夫だが?」

「アンタが『デートとは何か』とか言い出してる時点でおかしいんだって」


 そう言って女は男を指さした。


「アンタ、大学の時はモテてたじゃん。デートなんていくらでもやったでしょうに」

「まぁ、そんなんだけどさ……。アレってデートって言えるのかなと……」

「そこまで自信なくなったわけ……?」

「元々自信なんてない、劣等感とコンプレックスの塊だぞ」

「知ってる。アンタにとっての告白なんて、ただの確認作業だったわけだし」

「どういう意味だよ……?」

「相手を完全におとしたって実感を得てから告白って作業をするだけだったでしょ?見てくれもいいし、話しやすい。軽く押せばどんな女でも落ちてた訳だし」

「俺はイケメンじゃないんだが」

「アンタの思ってるイケメンではないだろうけど、アンタはイケメンの部類に入れられる人種だ」

「そうなのか……?」

「そうなの。ブサメンなら私はこうやって会ったりせんぞ」

「ハハハ、確かに」


 男は冷め始めたホットコーヒーを飲む。


「で、なんでそんな事言い出したの?」

「なんでも何も、ホントに分からないんだよ。デートって何?」

「『(親しい)男女が日時を決めて会うこと。その約束』」

「ググった内容をそのまま音読するの辞めてください」

「グーグル先生は物知りだからな」

「そういう事を言ってんじゃねーよ……」

「はいはい、分かってる分かってる」

「だいたい、その意味だったら今の俺らもデートになるじゃん」

「まぁ、傍から見りゃデートでしょ。てか、何があったのよ?」

「いや、10年くらい必死に働いてさ、仕事にもやっと余裕が出てきたんだけどさ、そうなると、自分が独りだって事を痛感してさ」

「虚しくなっちゃったか」

「そんな感じ。で、いざ彼女作ろうにも、そういう恋愛みたいな事を全くやってなかったから、何をすればいいのか本格的に分からなくて困ってる訳だ」

「難儀やな」

「そういうお前だって独りじゃん」

「バッカ、私は自分の意思で独りなんだ!」

「寂しくないの?」

「推しがいるから大丈夫」

「はぁ……、『オタクは溶けて推しだけが残った』か……」

「なにそれ?」

「オタキングが言ってた。確かになって思ったわ」

「そんなん見てるから恋愛が分からんってなるんじゃないの?」

「一理ある。でも、新しい知識とか思想を頭に入れるのって楽しくない?」

「それ、非モテロード爆進するだけじゃね?」

「いや、それも分かる……。けど、楽しいんだよ……」

「だったら良くない?てか、なんでいきなり彼女欲しいみたいになったのよ?」

「そろそろ俺も30半ばじゃん。このまま進んだ先ってのが少し見えてきてさ……」

「おぉ、漠然とした未来への恐怖……」

「お前はないの?」

「私には推しがいるから!」

「あぁ、それで現実逃避してる訳だ」

「うるさい!私は幸せだ!」

「本当に?」


 女の手が一瞬止まる。


「幸せに決まっておろうが!」

「今、一瞬躊躇したな?」

「してない!」


 男が軽く笑った。


「お前も同じか」

「一緒にするな!私は幸せなんだよ!」

「『人は何かに酔っ払ってないと生きていけない』ってか」

「ここで進撃のセリフ言うのやめろ」

「ケリーはかっこいい」

「そんなん言ってるからモテないんだよ!ニヒリズムなんて時代錯誤だ!」

「けど、そのニヒリズムにすがらないと生きていけない人間もいるだぞ」

「アンタはそうじゃないでしょ」

「まぁな」

「アンタの問題は、仕事ばっかだった故の超合理主義でしょうに」

「いや、分かってるんだよ、そんな事……」

「だったら……」

「だからって簡単に治せるもんじゃない。そりゃ、快楽主義の方がモテるかもしれん。けど、その先がどうなるのか、そんなんも見えちまうから、バカになりきれないんだよ……」

「そこがガチガチの合理主義者だって言ってんの」

「だから、これは治らんのだ……」

「はぁ……」


 女はため息を吐いた。


「『自制とは、理性に従がいて人間の欲求を抑制することなり』ってのを地で行ってるわけだしな、アンタは」

「マルクスは嫌いだ」

「そう?好き嫌いとか関係なく、的を得た事言ってんじゃん?」

「誰にでも言えそうな事じゃねーか」

「誰にでも言える事でも、哲学者が言えば名言になるんだよ」

「結局は権威主義じゃねーか」

「世の中なんてそんなもんでしょ」

「『みんな、アンタに用があるんじゃない。アンタの肩書に用があるんだ』か」

「魔王のCMとか懐かしい」

「CMでああいうこと言われると痺れるわ」

「たまにいいCMあるよね」

「ACとか特にな」

「私、アレ好きだった、自殺防止かなんかの奴。女の子が屋上で絵本読んでる」

「あ、『屋上の少女』とかってタイトルだったな」

「あれは凄い好き」

「……、何の話してたか分からんくなったな……」


 男が冷えたコーヒーを飲む。


「要は、彼女欲しいって話じゃないの?」

「まぁ、端的に言えばそうなんだけど、ただ、付き合うって面倒じゃん?」

「アンタは何がしたいんだ!!」

「怒るなって。実際、仕事第一人間になっちまってんだし、このまま彼女作っても『私と仕事、どっちが大事なのよ!』っていう、ドラマやら小説やら漫画やらで、自分の名前よりも見聞きした状況になるのが分かりきってんだわ……」

「断言する、絶対にそうなる」

「だろ?だったら要らないよなって」

「ホント、平和主義よね、アンタって。そんな見た目してんのに」

「見た目は関係ない」

「要は、『都合のいい女が欲しい』って事でしょ?SNSでフェミニスト(笑)から叩かれろ」

「フェミニスト(笑)って、お前も叩かれろ」


 二人は一頻り笑う。


「性的欲求を満たしたいなら風俗行けばいいって言ってたのアンタでしょ?」

「別に性的欲求を満たしたいから彼女作るって話じゃないんだよ」

「じゃあ何?」

「何だろうな……、俺はなんで彼女が欲しいんだろう……?」

「迷子にも程がある……。結局は寂しいってのが原因じゃないの?」

「みんな寂しいから結婚するのかね?」

「一緒にいたいからじゃないの?」

「けど、気持ちなんて移ろうものだろ?今は一緒にいたいと思っても、明日には違うかもしれない。それを込みで結婚するってのが、俺には理解できない」

「とか言いながら、結婚はするつもりなんでしょ?」

「血を残せってのが親からの命令みたいなもんだからな」

「古風よね、アンタんとこ」

「そのせいで俺は婚期を逃しまくったんだがな」

「それはあるね」

「結局、あの人達が望んでるのは俺の幸せではなく、自分達のステータス向上なんだよ」

「親が子を不幸にする典型、ご愁傷様でした」

「両親が死なない限り、自分の幸せなんてないと思ってるよ。これは学生時代に気付いてた事だけど」

「学生って、大学生?」

「いや、中学」

「達観が過ぎる……」

「実家を捨てればどうにでもなったんだろうけど、結局捨てないっていう選択をした訳だし。ただ、それは俺自身がやった選択だから、その責任は俺が取らないと」

「けど、虚しいと……」

「そういう事だろうな」

「今更だけど、親を捨てるとか?」

「捨てた所で、既に形成されたこの性格をどうにか出来る訳でもないんだし」

「手詰まりって感じなのね」

「はぁ……」


 男は冷え切ったコーヒーを飲み干した。


「悩んでも仕方ないか……。また話でも聞いてくれ」

「私で良ければいつでも。じゃ、先帰るね」


 女は席を立って店を出ていった。


「はぁ……」


 男は溜息を吐いた後、伝票を持って立ち上がる。


「すいません」


 レジにいたバイトと思わしき青年に伝票を渡す。

 青年はチラチラと男を見ながらレジを打った。


「あの……、何か……?」

「あ!いや、その……」


 急に話し掛けられた青年はおどおどとした後、恐る恐る男に小声で話し掛けた。


「あの……、その……、悩み事があるなら俺が相談にのりましょうか……?」

「……はい?」


 突拍子もない申し出に男は首を傾げる。


「いや、その……」


 青年がそう言っていると、奥から店長らしき男性が出てきた。


「おい、失礼な事を言うな!」


 小声で青年を叱ると、男に向き直り頭を下げてきた。


「申し訳ございません。お客様がかなりお疲れのご様子でしたので、コイツなりに心配しているんだと思います」

「はぁ……」


 そんなに疲れた顔をしていたのか。

 思わず顔を触る。


「その、私が言うのも何ですが、数日お休みを取られた方がいいのではありませんか?私から見ても、お客様は相当お疲れのようで……」

「そう……、ですか……。そうかもしれません」


 確かに、ここ最近立て込んでいてまともに休みを取った記憶がない。

 見ず知らずの喫茶店の人にまで心配されるほど、自分はやつれていたのか。

 男は納得しながら、明日から数日休みを取ることにした。


「ちょうど数日休めそうなので、お二人の仰る通りゆっくりすることにします。ご心配頂き、ありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそ差し出がましい事を……」

「そんな事ありませんよ、お心遣い、ありがたいです」


 そう言って男は二人に頭を下げた後、店を出ていった。


「ヤバいっすよ、あのお客さん……」

「だからって、いきなり本人に言ってどうすんだよ……」


 男が去った後、店長と青年はコソコソと話していた。


「でもですよ!アレはマジでヤバいっすよ!終始独りでなんか話してるし!しかも、独り言って言うより、みたな感じで!」

「誰かと通話してたとか……」

「いやいや、完全にに話し掛けてましたよ……」

「ストレス社会だからな、もいるんだよ……。休みを取るより、心療内科辺りに通院した方がいいと思うんだがな……」

「流石に、そこまではいくら店長でも言えないですよね……」

「下手に通院した方がいいとか言ったら、名誉毀損とかで訴えられるかもしれんだろう」

「あの人かなりやつれてたし、ジャンキーとかなんですかね……」

「分からん。下手に関わらない事だ……」


 翌日からその店の出入り口には、見えない場所に盛り塩が備えられるようになった。

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