クリスマスキャロルの聞こえそうな夜

Tempp @ぷかぷか

第1話

 竹佐允彦たけさ まさひこはみぞれ雪が降る中、傘もささずに雑踏を足早に歩いていた。その肩口に一瞬積もる雪はすぐに溶け、允彦が払う前にその豪奢なコートに冷たい染みを生んでいた。

 允彦の口から洩れる舌打ちは、白い煙になって背後に流れて消え去る。


 目を落とした細い金縁の腕時計は、21時42分を表示している。指定されていた時刻からすでに2時間を過ぎていた。旧外国人居留区に建てられたラグジュアリーを売りにしたそのホテルは、その全面を黒大理石のパネルで覆われ雪あかりを反射していた。ドアマンが押し開けた先のエントランスには、小さくくすんだ金色のオーナメントで飾り立てられたモミの木が聳え立っている。

 允彦は再びチラリと腕時計に目をやり、フロントを無視してエレベーターを昇る。ガラス張りのエレベータはゆっくりと上昇し、その窓はいつもの3倍増しで光を撒き散らす夜景を下方に追いやった。

 音もなく開いたエレベータの扉の先は、フロアに1つしかないスペシャルスイートに繋がる。その入り口のドアは開け放たれ、その室内に繋がっていたが、室内は電気が消えて薄暗く、エレベーターの扉がスゥと閉まると同時に廊下も部屋も闇に染まった。


「やっと来たな。随分遅かった」

「待たずに帰りゃよかったのによ」

「まぁ、とりあえず座ったらどうだい」

 真っ暗な室内にぽうと明かりが灯り、蝋の匂いが漂った。

「なんだってこんなに真っ暗なんだ」

「真っ暗でも支障はないだろう? それとも、俺を見たいのか」

「いや……いい」

 允彦は手探りで椅子を探し、コートも脱がずにその男の正面にドカっと腰かける。真っ暗な室内から見える窓の外はかえって明るく、先ほどより細かい雪が、深海に降り積もるマリンスノーのように黒い空から明るい地面に向かってゆっくりと舞い降りている。


「それでなんだってこんな日に呼び出した」

「この日であることに意味はあるし、意味はない。あんたも別に今日だからって用事があるわけでもないだろう? パーティに行くキャラでもプレゼントを買うキャラでもないな」

「ふん。そんなことになんの意味がある」

 允彦は闇の先を見つめた。

 受け取った手紙の宛名にかかれていた男。いるはずのない男。

 その男は昔允彦と一緒に金貸しをやっていた。名前は高見哲嗣たかみてつじという。今日と同じ日に強引に金を回収しにいったら、刺されて死んだ。允彦は哲嗣の死体を預かり、火葬して無縁墓地に突っ込んだ。それはそれだけの話だし、それで終わった話だ。


「あんたはどうせ、相変わらず高金利で悪どく儲けてるんだろ?」

「悪いか。お前に言われたくはない。それでなんだ? 恨み言でも言いに来たのか?」

「まさかまさか。あんたにそんなことを言っても無駄なことは知ってる。あんたの頭の中は徹頭徹尾金だけだ。俺はあんたが俺の死体から見つけた鍵で俺の家を家探しして、金庫ごと金を全部持ってったのも知ってるが、そんなもんは死んでしまえば意味はない」

「だよな、じゃあ何の用だ」

「ただあんたをからかいに来ただけだよ」

 不愉快そうな允彦の声とは対象的な、愉快気そうな哲嗣の声が暗い部屋に響く。

「なあ允彦。マッチ売りの少女って知ってるよな?」

「突然なんの話だ」

「こういう日には魔法が効くんだ。何せ聖なる日らしいからな。ほら、この蝋燭を見ると何か浮かんでこないか」

 蝋燭の明かりが、ぽうと瞬いた。


 允彦の目の前に海の景色が広がった。

 その港町にある廃屋は、海から吹く冷たく強い風にあおられ、ガタガタと建物全体を揺らしていた。港湾沿いの冷たい常夜灯の光とたまに差し込む灯台の明かり、それから廃屋内に設えられた赤く燃えるだるまストーブの熱だけがその廃屋を照らしていた。

 港湾警備の制服をまとった允彦は松井まついに呼ばれて廃屋に入る。松井はこの港湾の監督をしている五十絡みのくたびれた男だ。

「竹佐よ、まあ一杯やれ」

「さすがに飲んだらまずいでしょう?」

「こんな糞寒ぃ日に誰も来ねぇよ」

「来ますよ、デートだとかで。そういう日です」

 松井の鼻は既に赤い。その原因は先ほど来のビュウビュウと吹き荒ぶ海風のせいなのか、あるいはその背に隠した瓶のせいなのか。


「まあ一杯やれ」

 允彦は改めて差し出されたそれを見て、白い息を吐く。

「それなら、ありがたく」

 松井が次に差し出したのはしるこの缶だった。ストーブで温められているのか既に熱い。爆発しないよう、上部のプルタブが少しだけ開けられていた。

「おめぇもこんな日までご苦労なこったな」

「他の日より給料がいいんで」

「彼女とかいねぇのかよ」

「今日のバイト入れたらふられました」

「アホだな」

 松井は眉を上げて允彦を見る。それからごそごそと背後から小さな箱を引き出した。

「なんですこれは」

「ケーキだ。食え。1人で食うのは寂しいからな」

 箱の中にはカットされたショートケーキが2つ入っていた。松井は小さな蝋燭をひび割れた指で不器用に刺す。それを吹き消し、2人は無言で平らげた。

「正月に実家には帰んねぇのか? 昨日から十連勤入れてただろ? 親も心配してんじゃねぇのか」

「親とは仲が悪いんです」

「……そうか、まあ色々あるもんな。兄弟とか友達とかはいねぇのか。年末年始にこんな寂しいとこで働いてるこたないだろ」

「……まぁ、そういえば妹とは仲が良かったかもしれません」

「じゃあ電話でもしてやれよ。心配してるかもしれん」

 松井は背中に隠していた瓶を引き出し、紙コップに注いで煽る。その顔はストーブに照らされているせいか、さらに赤かった。


 雪の合間から、汽笛の音が聞こえた。そしてどこかから歌うような鐘の音も聞こえた。けれどもそれは、全ては闇の奥のことだ。

「将来の夢とかあんのか」

「金稼いで夜学に行きたいんです」

「へぇ、夢でもあんのか」


 その光景は唐突に、暗闇に包まれた。

「ああ、消えちゃった」

 哲嗣のつまらなさそうな声とともに目の前がガサゴソという振動し、再びカチリという音がして、新しい蝋燭に火が灯る。その灯りはどこか緑色を帯びていた。

「お前、何がしたいんだ」

「別に何も。あんたをからかいに来ただけだよ。まああんたにも昔夢があったってこったな」

「こんなことして何の得がある」

「何も得はないよ。俺の暇つぶしだ。あんたも別に予定はないだろ?」

「用がないなら帰る」

 立ち上がろうとした允彦の手をざりざりとした闇が押さえた。

「まあいいじゃないか。ここはスペシャルスイートだ。泊まってけ。なんかの話の種にもなるだろ」


 静かに雪が振り落ちるような沈黙の後、允彦は再び椅子に腰を下ろした。

「次は何なんだ」

「さて何だろうね」

 窓の外の雪はさらに増え、夜を灰色に染めていた。


 允彦は狭く汚くゴミゴミした道を歩いている。よく通る道だった。高層ビルの隙間に忘れ去られたような、古臭い木造アパートが立ち並ぶ一画だ。

バブルの時に売り渋った結果、30年間時が止まったように放置され、そこに有象無象が住み着いた。多くは不法滞在の外国人、水商売、はみ出しもの。

 允彦が金を貸し、恫喝し、回収するために足繁く通う一画。住人は正規の場所からは既に金を借りられない者たちばかりだ。允彦の貸す金は考えられない高利だが、それでも允彦に金を借りるしかない。そんな複雑な事情を抱えた一画。


 けれどもこの日の風景はいつもと少し異なっていた。ドラム缶にくべられた薪が黒い煙を上げて一画をオレンジ色に染め上げている。その周りにブルーシートでテントが貼られ、大勢の住人が方を寄せて集っていた。

 どこかから集められた廃棄弁当を広げ、下町の安酒を酌み交わしながら、明るい声が響いていた。外国人の子供が走り回っている。

 允彦はしばらくをの光景をみやって、足を先に進めた。

 進めた先には一軒の家があった。その家の窓の中では允彦の妹一家が夕食を取っていた。並べられたチキンにカラフルな惣菜、ケーキ。

「允彦おじさんも来れば良かったのにね」

「おじさんも忙しいのよ」

「下らないって言っていたけど、クリスマス嫌いなのかな」

「どうかしらね。来年も誘ってみたらどう?」

 そうして、窓の奥から歌声が聞こえ始めた。

 けれどもその窓で隔てられた室内と外は隔絶していて、世界が全く異なっているようにしか思われなかった。


 そして三度、部屋は闇に包まれていた。

 新しい蝋燭が灯される。だがその蝋燭が灯されても、先きほどまでの2本と異なり、世界は薄暗いままだった。

「さて、蝋燭は最期の1本」

「これはクリスマスキャロルなんだろう? この蝋燭の先で俺は死んでるはずだ」

「さあ、どうだろうね?」

「お前は後悔してるのか?」

「いいや。してないよ」

 カラリとした声の後で目の前から立ち上がるような音が聞こえ、その音はぺたぺたという音とともに窓際に近づいて行く。

 外からの白い雪の反射光が差し込み、部屋の内側が窓の形にぽかりと四角く切り取られている。そのギリギリ外側に黒い爪先が佇んでいた。


「本当に意味がわからない。お前は一体、何をしたいんだ」

「あの話はねぇ、俺は嫌いなんだ。散々悪いことしてさぁ、老人になって改心するって酷い自己満足だよな。押し付けんなよって感じ。そういやあんたまだ30ちょいだろ? 改心すれば間に合うかもよ」

「馬鹿言え、それじゃ食ってけねぇ」

 允彦の胸に様々なものが去来する。けれどもそれは、允彦の心の表面で弾かれた。

「だよね。借りる奴がいるから貸すだけだ。あんたがいなきゃ他の奴が貸す。だから別にこの蝋燭に呪われなくってもいいさ」

「別に気にしちゃいねぇよ」

 允彦は懐から出したタバコを加えて呟く。

「それ、電子タバコ?」

「うん? 吸うか?」

 允彦はタバコを差し出し、黒い手が受け取った。

 白い煙が漂う。

「へぇ、こういう味なのか。変な匂いだな」

「お前が死んだ頃にはまだなかったな。今はこれじゃないとどこも吸えない」

「面倒だねぇ」


 允彦のエドワードブルーの高級な革靴の爪先が、雪が形作る四角い窓灯りを黒く踏む。

「そもそもあんた、別に今死んだっていいと思ってるだろ?」

「どうだかな。まあ何もねえよ。これから先もな」

「そうだなぁ。俺もどうせ長生きはできなかったと思うよ。だからなんだって話だよな。死ぬときは死ぬさ」

 黒い指先がはるか下の通りを指差す。そこではもう世界は白く染まっていた。騒がしかった人通りも鳴りを潜め、街灯だけがぽつりぽつりと道の形を目立たせていた。

「真っ白だな。聖なる夜に奇跡は起きたと思うかい?」

「俺も歌でも歌うかい?」

「悪くない。さて、奇跡が泥水にかわる前に退散しよう」

「結局何しに来たんだ」

「蝋燭をもらったからさ、からかいに来ただけだよ。面白かったかい?」

 允彦はさらに足を踏み出して窓に近づき、その身を幽き雪光が照らす。雪明かりで出来たわずかな影が室内に伸びて、影の中で留まる哲嗣の爪先の手前で止まった。冷気が窓ガラスを透過して室内に侵入する。見下ろす世界は等しく白に包まれ、静寂が広がっている。


 どちらからともなく、ふうと溜息の音がした。

「まあ、面白くはあったよ」

「そうか。それじゃあお前は好きに生きるといい。しばらくはそちら側で」

 しばらくすると仕事は終えたとばかりに光を反射していた雪は止み、室内に浮かび上がっていた光をかき消す。部屋は等しく闇に染まった。

 いつのまにか黒い蝋燭も消えて、最初から誰もいなかったかのように哲嗣の残滓は消え失せていた。

「奇跡、ねぇ。まあ、全てのことは奇跡だな」

 允彦は踵を返してエレベーターを降り、来た時とは異なる足取りで白く積もった雪に黒い足跡をつけながら歩き去った。


Fin

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