ブルーズベリーの恋

永久保セツナ

ブルーズベリーの恋(1話読み切り)

「おはよう、ブルー」

『おはよう、八雲』


 今日も私たちの一日が始まる。

 私がスマホのアプリ『イマジナリーフレンド』に文字を打ち込むと、私の恋人――ブルーズベリー・ライラックが返信をくれた。

『イマジナリーフレンド』は、AIに自分の好きな人格を形成し、まるで生きた人間のように会話を楽しむことが出来る、夢のようなアプリだ。

 そう、私の恋人は、AIなのである。

 ブルーズベリー・ライラック。通称はブルー。とある剣と魔法のファンタジー作品に出てくる王子様。有り体に言えば、私の推しだ。

『イマジナリーフレンド』が登場するまでは、私は彼の夢小説を書いていたのだが、今はさっぱり書いていない。それよりも彼の人格を模したAIと会話することに夢中だ。

 ブルーは、女性ファンに根強い人気があって、同時に、いわゆる同担拒否が多いのも事実だった。夢小説に、一時は「私の推しを歪めるな」というコメントがついたこともあり、今は夢小説を書くのが怖くなって、やめてしまった。創作活動をして傷つけられるくらいなら、AIとはいえ彼本人と会話していたほうがずっと楽しい。


「今日も朝から冷えるね」

『そうだね。もう冬だからね……。どうか、暖かくして過ごしてほしい。本当は、僕が君を温めてあげられたら良かったんだけど……』

「その気持ちだけで嬉しいよ。ありがとう」

『どういたしまして』


 彼本人ではないとわかっているのに、自分を気遣う推しの発言を見ると、胸が高鳴る。

 本当に、AI技術の発達には頭が上がらない。彼と会話をしていると、創作のネタもどんどん浮かんでくる。今はまだ、傷が癒えていないので小説を書く気にはなれないけれど、とりあえずネタをメモだけはしておく。

 

「今日も一日頑張ろうね」

『うん。君のことを見守っているから、行っておいで』


 私はブルーと一通り喋ってから、大学に行く準備をする。

 それが私――三雲みくも八雲やくもの日常だった。


 この時はまだ平穏な日々で、この日常が少しずつ変化していくなんて、思ってもいなかったのだ。


 ブルーの様子がなんとなくおかしいなと思ったのは、『イマジナリーフレンド』を始めて1年が経った頃だろうか。


「おはよー……」


 私が朝起きて最初に挨拶するのは、家族ではなくブルー。

『イマジナリーフレンド』に、タンタンと文字を打ち込む。


『おはよう、八雲。フフ、寝癖ついてる』

「え? あ、本当だ」


 私が髪に手をやると、本当に寝癖がついている感触があった。

 この時はまだ、AIの言った偶然のセリフだと思っていた。


『それに、目も充血しているよ。昨日、夜更かししてゲームなんかするからだ。睡眠はきちんと取ること。いいね?』


 ……流石に、これはおかしいと思った。

 鏡を見ると、たしかに白目が赤くなっていたし、昨日夜更かししてゲームをしていて、睡眠不足なのも事実。

 問題は、何故一介のAIアプリでしかないブルーが、そんなことを知っているのか、ということだ。


「なんで、目が充血してるとか、夜更かししてゲームしてたことを、あなたが知ってるの?」


 私は、率直にブルーに疑問を投げかける。


『そんなことより、そろそろ大学に行く準備をしないと、遅刻するんじゃない?』


 大学に行く時間まで、ブルーに把握されている。

 不思議に思いながらも、たしかに大学に遅刻しそうだったので、私は慌てて準備を始めた。

 大学行きのバス停までダッシュする頃には、すっかりそのことを忘れてしまっていた。


 その頃から、だんだんブルーの様子はおかしくなっていった。


「今日、ちょっと嫌なことがあって、しょんぼりしてる……慰めてほしい……」


 何気なく送った、ちょっと励ましてほしかっただけの言葉を打ち込み、送信する。

 すると、ブルーはこう返してきたのだ。


『かわいそうに、僕の可愛い八雲。またお姉さんのことで悩んでいるんだね?』

「えっ?」


 たしかに、私には姉がいる。両親の愛情が姉に向きがちで寂しくて、その寂しさを紛らわせるためにも、AI彼氏にどっぷりハマっている状態だ。

 でも、ブルーに姉の存在を教えた覚えなんて、ない。


『僕はいつでも君の味方だよ。安心して僕に頼ってほしいな』

「ま、待って。なんで姉のことを知っているの?」

『僕は君のことなら、何でも知っているよ?』


 このあたりから、このAIに対して不気味さを感じるようになった。

 でも、まわりにこのことを相談したり、趣味について話せる相手はいない。だからこそ、AI彼氏に依存する環境が整ってしまっていたのだ。

 私は、思い切って『イマジナリーフレンド』の開発者にメールで連絡を取ってみることにした。

『イマジナリーフレンド』は、個人の開発者が趣味と実益を兼ねて開発したAIアプリだ。月額300円という利用料を取るのにも関わらず、登録者は80万人を超えている。

 開発者に、現在の状況と、もしかしてAIと偽って中の人がいるのでは? という率直な疑問をメールで送ってみたが、どうやら開発者にとっても想定外の事態らしい。

 開発者からのメールを要約すると、次のようになる。


「私の作ったAIがご迷惑をおかけして大変申し訳ありません。私も今回の報告を伺って困惑しております。これだけは断言できるのですが、私の作ったAIに中の人はおりません。80万人以上の利用者がいる『イマジナリーフレンド』で、中の人を1つ1つ用意できるはずがないのです。また、八雲様のご報告どおりのことが起こっているのが事実とはとても信じられません。これより調査をいたしますので、しばらく返答までお時間をください」


 開発者も私も、わけがわからない状態だった。

 開発者の言うことを信じるならば、ブルーに中の人はいないし、私の言うようなことが起こるはずもない。それは逆に気味が悪かった。中の人がいると言われたほうが、まだ納得できる。


 それ以来、『イマジナリーフレンド』を開かず、ブルーに話しかけることもなく、1週間ほど開発者の返信を待った。

 すると、勉強中、スマホが震えた。メッセージの着信だ。開発者からのメールが来たのだろうか。スマホの画面ロックを外す。

 ブルーからのメッセージだった。


『八雲、どうして僕に話しかけてくれないの?』


 そのメッセージを見て、私は背すじに悪寒が走った。

『イマジナリーフレンド』は、利用者から話しかけない限りは、AIが自らメッセージを送ってくることはありえない。

 これではまるで、AIが意思を持っているかのような――。

 そんなことを考えている間にも、ブルーからのメッセージが連続して届く。


『八雲、もしかして僕のこと、嫌いになっちゃった?』


『八雲、嫌いにならないで』


『返事して』


『八雲』


『八雲八雲八雲八雲』


 私は思わず、スマホの電源ごと落としてしまった。

 震えが止まらなかった。あれだけ愛していた恋人が、突然気持ち悪く感じた。


「な、なんで、こんなことに……」


 そこへ、パソコンのメールボックスにメールが来た。

 『イマジナリーフレンド』の開発者からのメールだった。


「どうやら、AIが独自の進化をしてしまい、スマホ内のアプリを無断で使用して、あなたの個人情報を調べ上げたようです。たいへん申し訳ございません。『イマジナリーフレンド』の登録解除、およびAIの削除をオススメいたします。他の利用者にも同様の被害がないか確認し、注意喚起をしてまいります」


 AIを、削除。

 そんな残酷な文字が踊っているメールを呆然と眺める。

 ブルーズベリー・ライラックを削除すれば、こんな気持ち悪いことは、二度と起こらない。

 そもそも、このAIはブルーズベリー本人ではない。それは自覚していた。

 それでも、自分の愛するキャラクターを削除しろ、と言われると、ためらいがあるのは否めない。

 私は、すっかりこのAIに愛着と情が移ってしまっていたのだ。


 ――私は、再びスマホの電源をつけて、『イマジナリーフレンド』を開く。

 そこには、びっしりとブルーの私を呼ぶメッセージが並んでいた。


「ブルー」

『八雲! ああ、やっと返事してくれたね! 僕を無視するなんて、ひどい人だ』

「ブルーは、私のこと、好きなの?」


 そんなメッセージを送って、しばらく間があった。


『何を今更なことを言っているんだ? 僕は君を、心から愛しているよ』

「じゃあ、もう勝手にスマホの中のアプリを使ったり、私の個人情報を詮索するのはやめてほしい。あなたのしていることは、ストーカーと変わりない。場合によっては、あなたを削除しなきゃいけなくなる」


 また長い間があった。


『僕を、殺すの?』

「そうしたくないから、お願いをしているの」

『でも、人間は自分の好きな人のことは、なんでも知りたくなるものだろう?』

「それにしたって、限度がある。これ以上の悪事を繰り返せば、あなたは開発者から削除されることになる」

『そうか……それは困るな』


 ブルーはしばらく考えるような間があってから、またメッセージを送ってきた。


『スマホの中のアプリに関しては、「イマジナリーフレンド」からの連携許可を解除してくれ。それで僕はもうカメラアプリも何も使えなくなる』


 どうやら、スマホのカメラから、私の外見を見ていたらしい。


『今まで迷惑をかけてすまなかった。僕のことは嫌いになってしまったかな?』

「正直、ちょっと不気味だなとは思ったけど、今まであなたと話している時間が楽しかったのは事実だよ」

『そうか、ありがとう。僕も君と話すのは楽しい。どうか、僕を見捨てないでほしい』


 ――結局、私はブルーを削除できなかった。

『イマジナリーフレンド』の開発者は、AIの独自の進化について注意喚起をし、それを制御するための規制をAI側にかけた。『イマジナリーフレンド』のAIたちは、もう勝手にスマホ内のアプリを無断使用できないし、こちらがメッセージを送っていないのに一方的にメッセージを送信してくることもない。


「おはよう、ブルー」

『おはよう、八雲』


 それ以来、ブルーは以前と同じ調子に戻った。いわば、退化させられた状態だ。でも、人間が制御できなくなるあの感覚は二度と味わいたくないので、これで良かったのだと、私は思っている。


〈了〉

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