第3話 運命
人類は子どもを産まなくなっていた。
自身の贖罪を顧みようとしない人々は「このままでは国が大変だ。」と訴えた。
しかし、“希望を持った”若者たちは断固としてその独善的な言い訳を聞き入れなかった。自分の子どもに対して、「未来を託したい。」と言える者がほとんどいなかったからだ。
いるとすれば、子孫に対して遺伝子という強力な資産を与えられる者か、あるいは一寸先の未来さえ見通せないのにも関わらず、人を信じ続けることのできる、信仰心の深い純真無垢な博愛主義者だけだった。
ハッシャバイの保護者であるツムギさんもまた“希望をもった“若者の一人だった。
彼女は地元の教育大学を卒業したあと、スペインに留学し、大学院で芸術学を専攻した。
西ヨーロッパを巡りながら、まるで16世紀の絵画から引っ張ってきたような、目が青く彫りの深いコーカソイド系の男性達と素敵な恋愛をして、現在は地元であるこの場所に戻り、中学校の非常勤講師として働いていた。
彼女が改めて故郷の地に降り立った時、30代後半に差し掛かろうとしていた。
自分の気持ちに対して“ありのままに”生活を営んできた彼女は、分身が欲しいと思った。
やりたいことのために徹夜を繰り返し、パブをはしごした後、ベッドで抱かれていたあの頃には感じない衝動だった。
秋が深まり、生命の息吹も絶えた日曜の午後だった。
ニュースサイトを閲覧していると、見慣れない生物が簡素なイラストになって、手を振っているのを見つけた。
それは新興住宅地から300kmほど離れた学園都市に点在する、ベンチャー企業の広告だった。
今後、大手広告代理店と厚生省のバックアップを元手にクローン分野に新規参入する。そこでは、労働のための安価な命を製造するとの記載があった。
個人でも投資することができ、出資額を高めに設定すると、自身の遺伝子を組み込んだ生物が付与されるらしい。
もう“ひとり”じゃない。
ツムギさんは心躍った。運命的な出会いだった。
さっそく、ドネーションをクリックして、遺伝子キットに髪の毛を送付した。
ほんの二週間程度の審査で、彼女の元に新しい家族が増えた。
半年と9日の歳月を経て、小学校低学年と同じサイズの生物が、お菓子の家を訪れた。
彼女と同じく大きな瞳を持ったふしぎな生物は、熱く抱擁された。
“愛というシャワー”に囲まれていた彼にとって、初めてのぬくもりだった。
彼女の身体を痛めつけず、醜い姿のまま受け入れられた彼は、ハッシャバイと名付けられた。
“ハッシャバイ”というのは彼女にとって、思い入れのある曲だった。
留学中、初めて付き合っていたボーイフレンドとの恋に破れ、私という存在があやふやになる時期を過ごした。
その様子を見かねた、ルームメイトのフランス人は「元気を出して。」と言って、この曲を演奏した。
至るところの弦が切れて、チューニングの狂った大学のピアノであっても、うねるような旋律から放たれる陽気なグルーヴは、彼女の心の孤独を丁寧に埋めていった。
ツムギさんは円盤型UFOみたいな形をしたレコードプレーヤーで、彼にこの曲を聴かせた。
JBLのスピーカーに二人で耳を傾けながら、ツムギさんは近くの業務用スーパーで買った安物の果実酒を片手に彼の頭を撫でた。
ツムギさんの笑顔を見るたび、ハッシャバイの心の中はぽかぽかと温まった。
そしてその日の夜は、二人とも決まって深い眠りに落ちるのだった。
ぐっばい、ハッシャバイ。 @sidly
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