第3話初めてのチェス大会
チェス大会には庶民にも参加資格があるようで、小さな会場は参加者でごった返していた。
大会には本大会と予選会があり、本大会に出場するためにはトーナメントの予選会を突破する必要がある。
私が出場する予選ブロックは「王都南地区B」だった。王都南地区だけで25個もあるらしい。本大会への道は遠そうである。
「お嬢様、勝てそうですか?」
エリーゼは横からそう耳に囁く。メイド服の彼女は大会の中でも容姿も相まって特に目立っている。
「そんなもの、やってみないと分からないわよ」
この国でどれだけチェスの研究が進んでいるのかまだわからない。
「徹夜上等で二週間付き合ったのは私なんですから、ある程度までは行っていただかないと困りますよ」
エリーゼには毎日毎日研究に付き合ってもらった。彼女もまあまあチェスはさせる方だったが、大会には出場しないらしい。今にも閉じそうな眠たい目で私の横に立っている。
「わかってるわよ」
ここでいい成績を残さないとお家取りつぶしにとんでもなく近づくのはわかり切っている。
「それでは始めてください」
一番最初に私の前に座ったのは小学生くらいの男の子だった。私を見てきっと貴族だと思い怖がっているのか、駒を動かす手が震えている。
「安心して、取って食ったりはしないから」
なるべく優しく男の子に話しかける。
「う、うん」
知らない大人が大多数を占める中勇気を出して来たのだろう。お守りをずっと握りしめている。
チェスの実力はエリーゼと同じくらいだった。この年の子供にしては大分高いのでは。しかし、家の存亡がかかっているのだ。こちらも手加減して負けるわけにはいかない。
「リザインです」
十分ほど指した後、男の子は悔しそうな声で投了した。きちんと自分の負けを認められるこの子はこれからどんどん強くなるのだろう。一方私は将棋道場の子供たちを不意に思い出して寂しい気持ちでいっぱいになる。あの子たちは元気にしているだろうか。
「う、うわあああああんんんん」
そう考えたのも束の間、目の前の少年はなぜか泣き出してしまった。そんなに悔しかったのだろうか。
「ど、どうしたんですの?」
泣いている子供の顔をじっと覗きこむ。
「ジュリーが、ジュリーが、、、、、」
そう言ったまままた泣き出す目の前の子供。ど、どうすればいいんだ。何か事情があるのかもしれないがこのままではわかりようもない。
「お嬢様、どうなされたのですか」
いつの間にか横にエリーゼがやってきていた。目立っていたメイド服は着替えて質素だが小奇麗で上品な印象を与える服へ着替えている。
「この子が泣き出しちゃって」
「お嬢様、次の対局まで時間がありそうなので一旦話を聞いてみては?」
「そうね。何か事情があるかもしれないし」
周りの視線を感じながらも男の子をどうにか外へと連れ出しあまり人目のつかない場所に座らせる。
エリーゼがハンカチを渡し一通り鼻を噛んだり涙を吹いたりするとやっと少年は泣き止んだ。
恐る恐る、化け物を見るような目で私とエリーゼを見つめる。こりゃ怖がられてるな。
「えーっと、どうしたの?急に泣いて。対局に負けた……それだけじゃないよね」
意識して少年の目を見つめゆっくり話す。
「う、うん」
少年はそう頷く。
「お姉ちゃん、いい貴族の人?」
良い貴族、多分エウレカ家ご令嬢ローラの評判は皇太子と庶民の恋を邪魔した悪い貴族である。
「うん。そうだよ」
しかし私はいい人だろう、知らんけど。躊躇ないなあという風にエリーゼはうなずく。
「じゃあ話すけど、、、俺の妹は病気なんだ。あと二年で死ぬって言われてる。だから医者に行ったんだけどうちの家貧乏で……」
そこまで話した後、少年はもう一度泣いてしまった。あとに続く言葉は治療する金がない、という感じか。
「お嬢様、ここは株を上げるチャンスですよ」
私にしか絶対に聞こえないくらい極小の声でエリーザが囁く。株を上げるってどうすれば、、、、
「ねえ、私の従者にならない?」
二回戦と三回戦の相手は中年の男性だった。なかなかの使い手だったがどうにか撃破する。二人ともこんな小娘に負けてしまったといった顔をしてしまった。まあ、実年齢105歳のジジイだからそんな気を落とすなよと言ってやりたい。しかし、この国のチェスのレベルは大分高いな。この先も勝ち続けることができるか心配だ。
あの少年(エリックというらしい)はエリーゼが連れて行った、うちの家の階級はあまり高くないがエリーゼによると軽い病気の治療費ぐらいは余裕で払えるらしい。使用人としての給料を先払いで五年分はらうことでどうにか正当な理由を作った。この話が良い噂となって、庶民に広がるのを願っておこう。
三回戦まで終わると込み合っていた部屋は大分空いてきた。貴族らしい顔もチラチラと見える。あと3回勝てばとりあえずこのブロックの代表となることができるので是非頑張っていきたい。
「次、始めてください!」
地味な格好をした目の前の女性に対して挨拶をするとまた対局を始めた。布で顔を隠しており年齢や身分なども分からない。
ふむ、この女性指せるな。いままでの対戦相手も弱い訳ではなかったが負けるとは思わなかった。この女性にはもしかしたら負けてしまう可能性がある。ギリギリのせめぎ合いだ。
「うーん」
いつもの通り、頭に手をおいて考える。ここが考えどころだな。一手間違えたらすぐに負けてしまう。
結局私が選んだのは自分を守る一手だった。相手も制限時間を大量に消費している。焦らせて受け潰す狙いである。想像通り相手も考えこんでいる。
「ふむ」
私と彼女が指している横でのぞき込んでいる男がいた。この男もまた布か何かで顔を隠している。次の対戦相手か何かだろうか。女の方を見てにやって笑い、私をじっと見つめた。無礼な奴だな。
「リザインです」
その言葉をどうにか聞くと私は疲れて倒れそうだった。あと一手遅かったら私のキングも危なかった。
「お疲れ様です、お嬢様」
「エリーゼですか。あと二つ勝ち進むのはちょっと厳しいかもしれないわ」
「……そうですか」
次の対局相手は私と女の対局を覗き込んできた者が相手だった。こちらも顔を隠した不審な男である。その実力はいかんほどか。よろしくお願いします、と心の中で言う。
「ローラ・エウレカ、エウレカ家のご令嬢がなんで急にチェスの大会に出ようと思ったんだ」
いきなり目の前の男に話しかけられてついポーンを取り落としてしまった。ボードゲームの大会というのは何もかかっていない気楽な対局でもない限り対戦相手と会話をしない。低く威厳があるその声は少し怖いくらいだった。
「……目の前の誰だかわからない人に言う必要がありまして?」
「……」
覆面の男はそう言うと黙ってしまった。しかし、珍しいこともあるもんだ。今まで正体がわからなかった相手と戦った事なんてない。逆にワクワクしてきたな。男の方は少し不思議な指し方だった。見たことがない陣形だが決して隙があるわけではない。こちらも序盤で考えざるを得ないため時間を使ってしまう。
「そちらの悪い噂については私も聞いたことがある、勉強もせず遊んでいるばかりだそうじゃないか」
ふむ、そんな噂は庶民まで広がっているのかもしくは目の前の男が貴族でそのような話が耳に入ったことがあるのか。後者の可能性が高そうだな。雑談をしながらも私は頭をフル回転させながらこの対局に勝つ方法を考えていた。
「心変わりしたんですよ、この年代だと珍しいじゃないでしょう?」
「チェスの大会、今まで出たことないだろう。それなのに強さはトップレベルに近い。どういうことだ?」
そう言いながらも彼は自信を持った手つきで駒を動かしている。
「子供のころからやってたんですよ」
ちなみにローラ自身は他の習い事と同様すぐにチェスにも飽きたらしい。お嬢様らしい女の子である。
「……それにしてはずいぶん老獪な指し手だな。18歳のお嬢様が目の前にいるはずなのに老人を相手にしているのかと思うぐらい固い将棋を指す」
70歳になったころから私は自分が指す将棋が攻め将棋から受け将棋に変わっていることに気づいた。チェスも同様で私は受け潰すことで大半の対局を勝っている。それを見透かされたようで少し不快な気分である。
「あなたの指し手は見たことがないですね。随分ふわふわとしています」
見たことがない局面が出てきているが形成判断はちょうど互角か少し優勢かそれぐらいだろう。ただ、ここからどう転ぶのかは全くわからない。
「いや、ここまで全部研究の範疇だ」
彼はそう言うと一見奇抜場所にクイーンを動かした。私はまた思考の渦へと吸い込まれていった。
「リザインです」
なにが悪かったのか、そこを考えるときりがないが強いて言うなら途中で防戦一方になりすぎたことだろうか。あそこは少し攻めなくてはいけないところだった。だが、対局に負けたのと裏腹にいい対局ができたことで私のころは晴れやかだ。家のことは残念だが私はもっとチェスをしたいという気持ちで溢れていた。
「素晴らしい。何故君のような才能がいままで隠れていたのか」
少しした後、目の前の男はそう言った。対局中少し静かにしていると思ったら急にしゃべり始めてびっくりする。興奮しているような口調で彼は話す。
「君の名前は」
「ローラ・エウレカですけど」
そもそも対局する前に知っていたよな。名前言っていたもん。
「あの、今まで思ってたんですけど。なんで顔を隠しているんですか」
「ああ、騒ぎになるといけないとルイーズから言われてね。まあ、いいだろ。僕の実力に近いものが現れたのは喜ばしいことだ!!!!!!」
さっきから男はずいぶん鼻息が荒く興奮しているようだった。そして男は布を脱ぐとこう言い放った。
「どうもよろしく、ローラ・エウレカ。私はレイ・マケドニア。早速だが今回の感想戦をしようじゃないか」
溢れだした白い髪とワクワクしているような瞳で私を見つめながら手を握ってくる男に私はただ頷くだけだった。
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