ギャラクティクドラゴン
星色の竜が高らかに笑う。まるで腹を抱えるのが目に見えるかのように。笑い声はアスラの耳に嘲笑として届き、折れた剣の柄を軋むほど強く握らせた。
「
怒声は竜の哄笑に掻き消される。人が一人、竜が一匹いるだけの山中に楽しげな声だけがこだまし、小さくなるにしたがい、アスラの肩も落ちていった。
「――っはー……笑ったわー。ちょー久しぶりに笑ったかも。復讐て。ヤバ。涙でてきたんですけど」
竜が息吹を整えながら首を下げ、呆けたように続けた。
「――は? なに? 泣いてんの?」
問われ、アスラは頬に手をやった。赤黒い手甲に覆われた指先に水滴がついた。握りしめ、もはや顔をあげる気力すらわかず、呟いた。
「嗤うな……私の復讐を、嗤うな……」
「……は? え? なにそれ? もしかしてマジなやつ?」
竜が所在なさげに左右を見回し、下顎が地につくほど低く下げた。
「え。ごめーん。私ネタかと思ってた。あー泣かないでよー、マジごめんてー」
言いながら、ずい、と鼻を突き出した瞬間、アスラは折れた剣を振った。剣は竜の鼻先に当たり簡単に弾かれた。
「あーもーごめんてー。なんなん復讐って? 私で良かったら話とか聞くしさー? ね? ちょい泣くのやめよ? ヒト泣いてるの見るのすっごいキツイ。なんか色々おもいだしちゃうじゃん。ねー……誰ちゃんに復讐? したいん?」
ダラダラと城下の町娘より軽い謝罪を繰り返され、アスラは力なく剣を手放した。
「お前だよ。お前に……復讐にきたんだ……」
「……え!? 私!? 私なんかしたっけ!?」
竜が大げさに目を見開いた。
アスラは
復讐だけを頼りに十年を生きたこと。
そして、いま、希望が潰えたこと。
語り終えたアスラは死人のような顔で座り込んでいた。
「嗤え。嗤って、喰らえばいい」
消して届かぬと知れば心の中身も虚無となる。もはや生きる意味すら途切れた。
静かに聞き入っていた竜は。
「なにそれ……かわいそうすぎん……!?」
「……は?」
竜は泣いていた。ヒトからすれば巨大と評する他にない星色の瞳を潤ませ、時折、声すら震わせて言った。
「それもう辛すぎん!? ヒトの十年とかちょー長いじゃん! そんなん、そんなずっと、もうさぁ……ヤバ。すっごい涙でる。どうすんのこれ止まんないんだけど」
「……お前がやったことだろ」
アスラの空虚な呟きに、竜はサラリと答えた。
「いやそれ私じゃないわー。絶対」
「――は?」
「だって私、岩とか雲とかしか食べんし。ヒト襲う意味なくない? てか私これでも愛されドラゴンなんですけど。麓にヒトとかたっくさん贈り物くれたんですけど?」
なにやら怒っているのか早口であった。すでに涙も引っ込んでいる。
アスラは困惑しながら尋ねた。
「では私の見た竜はなんだ? その星のような躰……そのような竜が他に――」
「え? マジ? 星みたい? うれしー! ちょー綺麗っしょ? 私けっこう――」
「聞け」
「え。あ、はい」
アスラはため息をつきつつ尋ねた。
「お前のような柄の竜が他に――」
「お前ってやめてほしいんですけど」
「――おい」
「はい」
竜は嘘をつくのだろうか。わからない。
しかし、竜自身が自分ではないというからには、確かめずにもいられない。
「お前のような柄の竜は、他にもいるのか?」
「そりゃいるっしょ。まぁでも私くらいかわ――」
「教えろ」
「……はいぃ?」
竜は呆れたように下顎を地につけ、ごろん、と躰を寝かせた。
「えー……復讐とかやめなーい? ダルいしさー。死んじゃって悲しいのは分かるけどさー? 後ろ向きすぎんよー」
「お前に何が分かる!」
アスラの怒声に、しかし、竜は気だるげに尾を上下しただけだった。重々しく荒々しい音を立て、鱗に覆われた尾が大地を打った。
「やー、たぶん私アスラっちよりよく分かるよ? ヒトってすぐいなくなっちゃうじゃん? 私さー仲良くしてた子いっぱいいたのにさー……もう麓も誰もいなくなっちゃったしさー、誰も来てくれないしさー? あ、ヤバい。寂しすぎて狂う」
竜は砂浴びをする鳥のように躰をじたばたくねらせ大地を揺らした。なにやら咆哮めいた唸りを幾度か立て、また元の姿勢に戻って深々と息を吐いた。
「マジさー、今を生きよ? 前向いた方が楽しいって、絶対」
「前に進むために、過去を斬らなくちゃいけないんだ」
「そんなことないってー、アスラっち可愛いしいけるいける!」
言いつつ、またゴロゴロとのたうつ竜に、アスラは出会ったときより僅かに柔らかな声で頼んだ。
「頼む。教えてくれ。私が射つべき相手はどこにいる?」
「えー……でもさー……もー……じゃあちょっと友達に聞いてみるー?」
竜は面倒くさそうに立ち上がり、一度、瞑目した。
「おけ。今ちょい念波とばした。暇な子いるみたいだし、行ってみよっか」
「い、いいのか!?」
「アスラっちが教えろって言ったんじゃん! 準備しよ! 準備!」
「――準備?」
「まず私ツノ磨かないとだし!」
「……は?」
竜は有無を言わせなかった。アスラを透明な魔法球に閉じ込めると、左前足のつま先から垂らすように魔法の鎖でつなぎ、さながらアクセサリー感覚でぶらさげて近隣の泉に降りた。
竜は長い尾の先にある毛束を泉に浸し、自らの顔を水鏡に写しながら、ツノを磨いた。念入りに念入りに念入りに、角度を変えながらあらゆる方向からたしかめ、次は爪を磨きはじめた。あまりに時間がかかるために焦れたアスラが手を貸すと竜はまるで少女のように喜んでみせた。
そして。
「次はアスラっちだねー」
「……なに?」
竜の声はアスラにとって不服だった。すでに日が頂点を越えている。この調子では一日以上も奪われるかもしれない。
しかし、竜は譲らなかった。
「そういうの好きならごめんだけどさー。アスラっちには地味かなーって。目ぇ強めだし、キラってこ? 私、いっぱいもらったから似合うの絶対あるよ!」
「いや、私は……」
「ダメダメ! 友達のとこ連れてくんだもん! おしゃれしないとかありえん!」
竜はまたアスラを魔法球に閉じ込めると軽々と飛び立ち、古い火口ちかくに開いた横穴へと連れ込んだ。龍のねぐらと思わしきそこは、見渡す限りが金銀と宝飾で埋め尽くされ、城に出いりするアスラですら見たこともない美しい布が下がっていた。
呆けるアスラに、竜は自慢気にすら聞こえる声で言った。
「すごいっしょ。ぜんぶヒトがくれた私の宝物。アスラっちに貸したげるね」
「これを……!? くれたって……どうして……」
「なんかー、雨が降らないからなんとかしてーとか、そんなん。怒らないでくれてありがとうとかゆわれたときもあるよ。めちゃウケるよね。怒らんっつーの」
カラカラ笑う竜に呆れつつ、アスラは布に手を伸ばし、触れた。と同時に手を引いた。
「いや、しかし……私は……」
「は? じゃー連れていけないんですけど?」
せっかく見つけた細い糸だ。逃す手はない。
アスラは甘んじて恥辱を受け入れると決めた。
「――ヤッバイ! コレちょー似合うんですけど!」
一方で、竜は呆れるほど楽しそうだった。
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