復讐の騎士とギャルドラゴン

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騎士アスラ

 雷鳴に似た咆哮が大気を揺らした。轟々と燃え上がり崩れ落ちる村の家々。アスラは、肌に感じる灼熱に目を覚ました。肺腑はいふから突き上げてくる震えがアスラに喉を開かせる。


「――ッウ、ゴッ、ゴエッ! ゴェッホ!」


 アスラが咽るたびに全身の筋と骨が悲鳴をあげた。口から煤混じりの唾液が糸を引いて垂れる。手を伸ばし、草をつかみ、必死になって這いずった。

 雷声。

 顔をあげると、満点の星があった。

 ――正面に。

 夜闇ではない。からだだ。漆黒の巨躯を飾り立てる無数の星鱗せいりんが夜空に見えたのである。

 それは、竜。

 夜空を体躯に写した星色の竜。

 ギャラクティクドラゴンであった。

 竜はアスラを見定めるかのように首を下げ、息を吸い、一声吠えた。爆発的な音圧が家々の火すら薙ぎ消した。

 アスラは歯をカチカチと打ち合わせ、身を震わせてすらいたが、しかし、かろうじて動く右の拳を握り固め吠え返す。


「殺してやる! 殺してやるぞギャラクティクドラゴン!!」


 竜はアスラなどそこにいないかのように首をもたげ、躰の重みを感じさせない身のこなしで飛び立った。星竜のは音は村の周囲を大きく旋回、もう一度、ひときわ大きな声で咆哮を上げ、空の彼方へと消えていった。

 アスラは固めた拳で大地を叩き、二度、三度と呻いた。


「殺してやる。殺してやる。殺してやる……!」


 必ず。必ずや復讐を――。

 

 それから、十年が経った。


 成長したアスラは星竜への復讐心だけを糧に自らを鍛え上げ、かつて自身の村も属していたエイルーン王国領内でも名の通る剣士となっていた。

 星竜を追い求め続けるアスラは出自を隠したまま王国軍の魔物討伐に参加し、さらに功名をあげ、ついには王国では初となる異例の騎士抜擢が申し付けられた。

 玉座の間にて、エイルーン王国、現当主エイダス三世が言った。


「アスラよ。なんじ、その肉体を今この場で捨て、エイルーンに尽くす魂となることを誓うか?」


 アスラは王の前に片膝をつき、瞑目したまま答える。


「……今は、まだ」


 ざわり、と叙任の儀を見守る十名の騎士たちが互いを見やった。騎士の称号を与えるべく用意された切っ先のない直剣を片手に、エイダス三世は片眉を上げた。


「今は、とは?」

「……私の魂に絡みつく怒りは、憎しみは、未だ晴れておりません。このけがれは、たとえへ陛下の御剣であっても、決して斬ることはできないでしょう」

「――アスラ!」


 騎士の誰かが、エイダス三世に先んじて声を荒らげた。

 王は自らの慈悲を見せるかのように片手を上げて制する。


「アスラよ。申してみよ。では、どうすればそのけがれを払える?」

「復讐を。私の故郷を焼き払った、憎き星竜の首と血だけが私の穢をすすぎます」

「……よかろう」

 

 王は剣を逆手に持ち替え、アスラの前に差し出した。


「私怨に我が軍を遣わすことはできん。だが剣と力なら貸すこともできよう。この剣を持ち、必ずや竜の首を取って戻れ。さすれば、汝をエイルーンの名誉騎士とする」

「拝借いたします。必ずや、奴の首を――!」

 

 アスラは両手を捧げだし、剣を取った。

 星浮かぶ空の色をした竜が夜に動けば人の目に見つかるはずがない。

 長い、長い旅――になるはずだった。


「嘘だろ……?」

 

 アスラは呟いた。決意を新たにすべく辺境の村の跡地に馬を向けると、はるか遠方の空に黒点がひとつ、悠々と羽ばたいていたのだ。アスラは馬を走らせた。まさしく神の導きかのように思われた。黒点よ消えてくれるなと願いながら走る。やがて、森が近づくと、そのさらに奥、霞みがかる山中へと黒点は消えていった。

 居場所さえ分かれば、あとは辿り着くのみ。

 アスラは森に入り、立ちふさがる魔物を切り捨て、山へと向かう。今よりずっと昔に滅びたであろう荘厳な遺跡に宿を構え、復讐の一念を持って剣を研ぎ、ついにアスラは山の頂で仇敵を見つけた。


「ギャラクティクドラゴン……」


 呟き、アスラは剣を携え歩きだした。見紛うはずもない。白茶化しろちゃけた岩と大地を覆う、星空を写し取ったかのような巨躯。星竜はしばしば猫がそうするように、長い尾を巻きつけるようにして丸まり、寝入っているようだった。


 ――殺す。殺す。殺す……!


 アスラは殺意を叩きつけるようにして慎重に進んだ。竜の静かな息吹が聞こえる。翼の生えた蜥蜴とかげのはずが、飴や焼き菓子に似た甘い匂いがした。嗅ぎすぎれば毒気を抜かれるような気がし、アスラは息を止めた。

 一歩、また一歩。

 もはや銀河色の額は目の前にある。

 アスラは剣を大きく振りかぶり、人であれば眉間となろう辺りに狙いを定め、


 ――村の皆のかたきだ!

 

 心に念じ、剣を振った。またとないチャンスだった。声をあげて露見するなどもってのほか。たとえ卑怯者と罵られようとも、それはアスラにとって星竜も同じであった。ドス黒い復讐心が乗った刃は吸い込まれるように額に向かい、刃を星色の鱗にあてて、


スッッッカーーーーンンンンンン!!


 とあっさり弾き返された。


「――なっ!? そ、そんな!?」


 驚き見れば、王より給いしアスラの剣は刃こぼれしていた。


「グッ……この!」

 

 アスラは遮二無二なって剣を振った。何度も、何度も振った。刃は当たるたびに火花を散らして弾き返され、甲高い音を立てた。その姿はさながら鉱山労働者が岩肌につるはしを振るうが如くであった。

 繰り返すうちに剣を振るう手から力が失せ、膝が緩み、躰が揺れた。重い剣を振り上げ、次こそはと渾身の力を込めて振った。刃筋の乱れた剣が鱗に当たると、力尽きたかのようにぽっきりと折れ、残響が竜とアスラの心を打った。

 

「――ハァッ、ハッ、ハァ、ハァ……ハハ……ハハハハハハ!」


 アスラは泣き笑いながら膝を落とした。私の力では、人の力では傷一つつけられないとは。復讐に心を奪われたこの十年はなんだったのか。

 無力だ。まったくの無力。

 絶望と虚無がアスラの胸をつき、声をあげさせた。


「アハハハハハハハハハ!」


 涙が止まらない。力が抜ける。騎士の栄誉なぞどうでもいい。ただ仇を取ってやりたかった。それだけで生きてきたというのに。

 止まらぬ笑い声は、しかし。


「――ウケる。なんかヒトがめっちゃウケてんだけど」


 という、軽い声に遮られた。


「うわぁ!?」


 アスラは悲鳴をあげ、後ろにすっ転んだ。

 星竜が瞼を開き、星色の瞳を眠たげに瞬きながら言った。


「ウケる。マジでヒトじゃん。ヤバ」

「は――う、くっ、クソっ!」


 アスラは飛びつくようにして折れた剣を拾い、腰だめに構えた。たとえ勝てなくても死する前にせめて一矢だけでも報いる。覚悟と恐怖が躰を固める――が。


「――てか誰ちゃん? 何用なによう? 剣折れてるし」


 カラカラと脳内に響く竜の声は、アスラから力を奪い取っていく。


「てかヤバ。何? どっから来たん? ヒトちょー久しぶりじゃない?」


 ぐわり、と竜が首を起こした。丸太のような尾が後ろにぶん回され、大蛇がくねるように滑り始めた。


「う、ぁ、あ……」


 アスラは喉を鳴らし、腹に力を込めて叫んだ。


「我が名はアスラ! 積年の恨みを晴らすべくここにいる!」

「おー。アスラちゃん。ちーっすぅ」


 返ってきたのは気が遠くなるほど軽い声だった。ときに人がそうするように、竜が右の前足をふにゃっと上げた。

 ――くる!? と身構えるアスラ。しかし、足に力が入らない。ここまでか。瞑目する。


「……え? ウケる。何してん?」


 その声と一向に降ってこない爪に、アスラは目を開けた。


「な、なに……?」

「ヤバ。ウケる」


 竜が楽しげに口を開き首を上下した。


「ハイタッチしらん? 挨拶、挨拶ぅー。大事じゃん? 挨拶」

「え、なに?」

「あれ? おかしいの私の方? ヒトってよくやってたじゃん。ハイタッチ」

「えっと……」


 アスラは迷った。仇敵と目される竜の、あまりにも毒気のない声に。

 手を触れる? 竜に? 村の仇に? 許されるようなことでは――しかし。

 今このときを生き延びるためならば。

 アスラは恐々と手を伸ばし、その壁のような手に触れた。想像よりもサラサラとしており、ずっと躰の下にしまい込んでいたからか、ほのかに暖かった。


「ちーっすぅ、アスラちゃーん」


 鳴き声、なのだろうか。

 アスラは手を触れたまま言った。

 

「ち、ちーっす……」

「ウケる。ぜんぜん元気ないんだけど」


 竜は手を下ろし、猫がしばしばそうするようにまた手を躰の下に巻き込んだ。


「で。なにしにきたん? ヒトだとちょー寒いじゃんね、ここ」

「え……っと……復讐に」


 すっかり気勢を削がれ、アスラは唇の両端を歪めた。

 瞬間、ピタリ、と竜が止まった。

 しまった、とアスラは思った。逆鱗に触れたか。生唾を飲み込むのとほとんど同時に、竜も喉を鳴らした。未だに悪夢に見る大口が開き、


「復讐とかマジウケるんですけどー!」


 爆笑した。

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