第3話


 1年2年3年。無事に終わって、わたくしは気を抜いてしまったのか。


 卒業パーティの日、今日は準備があって迎えに行けないと殿下に言われた。

 だから会場にはひとりで行った。


 会場にひときわ目立つあの金髪は──。

 いつもの美丈夫が騎士服に金モールを下げて、可愛らしい少女と歩いている。彼女のコロコロと笑う声まで聞こえるよう。


 彼女はひとつ下の2年生。編入生で伯爵家の養女だという、ひときわきれいなフワフワの金髪に青い瞳の、誰もが見惚れるお人形のような子だった。


 生徒会長をしている殿下に勧誘されて生徒会に入ったと聞いた。

 有能で誰にも愛想がよくて機転が利いて美しい。

 どれを取ってもわたくしは及ばない。


 生徒会が忙しいという殿下に「お気になさらず」と言うしかない。

 わたくしと一緒に過ごすことは減り、

 彼女と仲良さそうに寄り添う姿を何度か見た。

 あの前世の記憶が甦って苦しい。


 その子がヒロインなの?

 わたくしは婚約破棄されるの? 断罪されるの?


 ああ。こんな時に奪われてしまうなんて。

 奪われるなんて、殿下はわたくしのものでもないものを。

 ものだと思うなんて、なんて思い上がっていたものか。


「おい」

 いや、もうこんな時に誰なの。わたくしは家に帰って泣くのだわ。

 自分のモノだと思っていたのかしら。長年一緒に居れば愛情も湧くのかしら。


 いいえ、私は怖かったの。あの時みたいに奈落の底に落ちたくなかった。

 怖くて怖くて正面から殿下を見ようとしなかった。出来なかった。


 ああ、落ちて行くわ。どん底まで落ちて行くわ。

 わたくし、救いようがない馬鹿ね。


「おい」

 振り向けばいつもの殿下が居らしゃった。仏頂面であまり笑わない人。

「殿下……」

「何を泣いている」

 あきれ顔です。

「だって、殿下が他の方をエスコートして──」

 あら、衣装が違う? 人違い?

 だって間違えるはずが……ない、

 そうかしら?

 わたくしはこの方の事をどれだけ知っているの?


 わたくしは前世に引き摺られて、何もかも見失ってしまったのか。


 前を見れば殿下によく似た後姿が見える。騎士団長の御子息だわ。

 殿下と又従兄弟だと聞いている。お顔を見れば全く違うのに、どうしてわたくしは間違ってしまったのだろう。


「何を言っている。行くぞ」

 手が差し出された。

「はい」

 ああ、剣ダコのある硬い手。いつもの手だ。

 触れる手のぬくもりと確かな手触り。

「殿下」

「何だ」

「浮気しないで下さい」


 その時のわたくしはとても酷い顔をしていたと思う。

 今にも泣きそうで、鼻の穴を広げて、唇をへの字に曲げて、

 プルプルと震えて……、

 噴き出さないのが可笑しいくらいの顔で言ったのだ。


 でも殿下は真面目に答えてくれる。

「私がいつ浮気をした」

「そうですわね。結婚しても浮気をしては嫌でございます」

「面倒な事はせぬ」


「わたくし、沢山子供が欲しいのですわ」

 前世では子供を作る暇もなく死んでしまった。


 ああ、前世の事を考えるのはもう止めよう。

 わたくしは生まれ変わったのだから、今世を生きるわ。


「たくさん産んで差し上げますわ、わたくしが」

 キッと睨んで強調する。

「あ、ああ、産むのは任せる」

 さすがに驚いているわ。

「作る方は任せろ」

 ちょっと色っぽい流し目で言われてしまった。

 いや、あの、その、ええと……。

 こんな時にそんな顔をするなんて、ずるい!


 わたくしの顔は真っ赤に染まった。

 殿下の顔も赤いようだけど。


 卒業パーティが始まる──。



  ***



「殿下、手を洗いましょう」

 俺の婚約者になった女はうるさい。

 少しでも隙を見せると、その丸い顔をさらに膨らませて俺にガミガミいう。

「いいですか、手洗いは基本です」

 ちょっとでも咳をすれば水が差し出される。

「うがいをしましょう」

 何なんだこの女は。


「父上、母上。私はどうしてあんな女と結婚しなくてはならないのです」

 思い余って国王陛下に談判するも首を横に振って追い払われてしまう。

 世間には綺麗な女の子が沢山いるのに、俺には何であんなブスが!


「さあ、殿下。手を洗って下さい」

 彼女の白い手が俺の手を掴んで、水魔法が発動される。


 その夜、夢を見た。

 白い手が俺の手を取る。頬やあごに触れる。もっと下にのびる。

「わぁぁーー」

 起きたら寝汗を掻いていた。

 寝汗だけでなく、変なものを排出していた。

「おめでとうございます」

 俺の侍従は喜んだ。

「これで立派な男の子でございます」

 白い手に誘われて精通したとか、俺は断じて自分が許せない。


 しばらくはお茶の時間に口もきかなかった。手も洗わなかった。

 彼女は首を傾けて溜め息をついただけだ。


 そして俺はお腹を壊して、ベッドで苦しんでいる。

「殿下、お休みのところを失礼します」

 彼女はベッドで唸っている俺のところにやって来て、見たことも無い黒くて丸くて見るからに苦そうな薬を飲めと押し付けた。

「苦いですよ、すぐに飲み込んで下さい」

 いやがる俺の口に無理やり捻じ込んでニヤリと笑う。

「うっ、ぐっ」

 俺に何が出来ただろう。すぐに彼女の出してくれた水で飲み込んだ。

「ちゃんと飲みましたね。毎食後、飲んで下さい」

 彼女は薬を置いて帰って行った。

 それから数日でオレの腹痛は治まった。


 彼女はそれから余計にうるさくなった。

「手を洗いましたか? うがいをして下さい」

「歯を磨きましたか?」

 ある日見慣れぬ布切れを出した。

「これは何だ?」

「今は風邪が流行っております。マスクをして下さい」

「こんなものは邪魔だ。何も食べられぬ」

「食事の時は外してください。しばらくの間でございます」

 彼女は無理やり俺の顔に付けた。

「こうするのでございます」

 白い指が俺の耳に触れる。間近に伏せたまつ毛の思いがけない長さ、まだ柔らかい頬の線、おとがい、喉、……。


 その晩オレは夢精をしてしまった。


 許せん。許せん。許せん。

 何であんな女に──。


「よく食べるな」

 あの白い手がポンポンと菓子を口に運ぶ。

 ピンクの唇が開いて、白い歯とピンクの舌が覗く。


 いかん、いかん、いかんーー!

 何で、何であんな女に、

 欲情するんだ!?


 心なしか顔も可愛く見える……。

 何でだあぁぁぁーー!!


 貴族学園に入ったらよりどりみどりだ。

 そうしたら可愛い女の子と恋に落ちて、

 絶対、絶対、婚約破棄してやる!


 だが先手を取られた。

 夢とか──。


 彼女に言われて俺の方がショックを受けた。

 その福々とした顔でずっと俺の側から離れないだろうと、何なら足にしがみ付いてでも縋り付いて来るだろうと思っていたのに──、

 こんなに儚げに笑う女だったか?

 消えそうな女だったか?


 俺は彼女の何を見ていたんだろう──。


 彼女の化身のような菓子が、

 優しく甘いその味が心に沁み込む。



  ***


 カランコロンと鐘が鳴る。


 姉上は白いドレスに身を包み、幸せそうに笑う。

 くそう、僕の大事な姉上をこんな奴に渡すなんて。

 怖いけどブスだけど、温かくて優しくて可愛くて、

 何でこんな無愛想なむっつりスケベな奴に嫁くんだよ~!

 殿下なんか、殿下なんか──、



 幸せに……。


  ***


 その後、その国は衛生観念が行き渡り、子供の死亡率が減ったと聞く。



 終

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そんな女が異世界転生したお話 綾南みか @398Konohana

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