19 浮かれ女の修羅場


 羽海と会った翌日の日曜日――

 私の妊娠と結婚に触発されたわけではなくもっと前から、桜子が隣県の元夫宅に頻繁に通うようになっていた。桜子が産んで向こうが育てている翔に会いに行くというのは建前で進と再婚するつもりなのだろうと思ったら、今夜大事な報告があるという。夕方、進と翔もわが家にやって来た。やっぱりと思って、報告会に参加することを許された流星とともに、桜子による報告を待った。

 夕方六時、ダイニングに集まって四角いテーブルを囲むのは私たち三姉妹と進と翔と流星の計六人。翔を挟んで桜子と進。向き合う形で椿姫と私と流星。テーブルの上にはご馳走の数々。全部配達してもらったものか、買ってきたお惣菜。手作りの料理は用意されていない。今日の主役が桜子だから料理まで手が回らなかったようだ。

 「今日はおめでたい報告があります!」

 桜子がそう切り出すと、流星が宴会のノリで、

 「待ってました!」

 と叫び、大きな音をさせて繰り返し拍手した。

 「結婚報告です!」

 「来たああああ!」

 奇声を上げる流星。もうちょっと慎ましくと思ったが、そんなことを気にしてるのは私だけみたいだから放っておくことにした。

 「石橋進さんがうちの椿姫と三度目の結婚をすることになりました!」

 「うひょおおお!」

 また聞いたことない奇声が……。というか結婚後もこのテンションで行く気? おばさん、まったくついていけないんですけど!

 それにしても進の結婚は三度目か。一度目は桜子と、でも離婚。二度目は千夏と、でも死別。三度目は椿姫。――え? 椿姫? 桜子と再婚するんじゃなくて?

 一瞬脳がフリーズしたが、私はすぐにすべてを理解した。

 分かった! 私がびっくりしたのを見て、騙されたって笑い者にする気なのだろう。その手は食わない!

 「椿姫と進さんが? 前からお似合いだと思ってたんだよね」

 心にもないおべっかを言ってみたら、椿姫が即座に反応した。

 「ほんと!? うれしい! 百合ねえには反対されるかもって心配してたんだ!」

 「なんで私が反対するの?」

 「だって百合ねえ頭かたいから、やっぱり桜ねえが復縁するのが筋だとか、あんたにいきなり翔君の母親が務まるの? とか言いそうじゃん」

 「ちなみに、その質問にはどう答えるの?」

 「それは本人たちに聞いた方が早いよ」

 「じゃあ私から」

 桜子が桜子らしくサバサバと説明した。

 「そりゃあ悩んだよ。進さんが好きか嫌いかと言えば好きだからさ。でも無理なんだよ。一度追い出された家、しかもあの家は千夏さんの痕跡がそこら中に残っていて、もう私が暮らした当時の家じゃない。それに何より私が進さんと再婚したら、また千夏さんの思い通りなのが気に入らない。私が進さんと復縁しなかったことで天国の千夏さんがちょっとでもがっかりしてくれたらうれしいかな」

 次に翔君の回答。

 「結婚は二人でするもんなんだから本人同士がよければそれでいいんじゃない? 実のお母さんと縁が切れるわけでもないしね。おれは別に虐待とかされなければ、お父さんが誰と再婚しても気にしない。逆に、おれのためにお母さん以外とは再婚しないって言われる方が嫌だな。自分の人生の決断なのに、子どものおれに責任を押しつけるなよって正直思う」

 まだ七歳だよね、この子……。この妙に達観したドライさは間違いなく桜子譲り。二歳のときからもう五年も桜子と離れて暮らしてるのに。今さらだけど性格も親から子へと遺伝するんだなと知った。

 進と椿姫の結婚の残る障害は進本人の意思だけということか。いくら三度目の結婚でより好みできる立場ではないとはいえ、椿姫は淋しければ誰にでも股を開くビッチ。それを知ってて結婚してくれるとは思えないから、椿姫も桜子もその事実を隠して結婚話を進めたのだろう。私が今それを暴露したら私は椿姫に一生恨まれるに違いない。進には気の毒だが私には見て見ぬ振りをするという選択肢しか残されていないようだ。

 最後に新郎の進から話があった。

 「桜子さんから妹の椿姫さんとの結婚を考えてもらえないかと打診されたときは正直戸惑いました。椿姫さんとはそれまで何度か顔を合わせたことはあっても、ほとんど話したこともありませんでしたから。椿姫さんってどんな人なんですかと聞くと、淋しければ誰にでも股を開くビッチだと言うんです。謙遜するにしても言いすぎじゃないかと言うと、嘘を言って騙したのかと責められたくないと真顔で答えるんです。どうしてそんな人を僕と結婚させようとするのかと聞くと、桜子さんはこんなことを言いました。あの子は本当の愛を知らない。あの子に本当の愛を教えてあげてほしい。妻だった私を捨ててまで、難病で余命いくばくもない千夏さんの最期を看取る道を選択したあなたなら、あの子の生き方を変えることができると」

 話し続けてのどが渇いたタイミングを見計らって、椿姫が立ち上がり進のグラスにビールを注ぐ。進はありがとうと言って、それを一気に飲み干した。

 「とりあえず椿姫さんに会ってみた。千夏の遺言の動画を見て僕のことが好きになったと言ってくれた。君は一言で言うとどんな人なんですか? と聞いたら、淋しければ誰にでも股を開くビッチですと桜子さんと同じ答えが返ってきた。どんな男も私を性の対象としか見なかった。だから私もどんな男も性の対象としか見ないことにしている。そう言う椿姫さんに僕は一つの提案をしてみました。セックス抜きで僕と交際してみませんか、と。いつまでと聞かれたので、あなたが淋しさを感じなくなるまでと答えました。それから僕らは二人でデートして旅行にも行きました。もちろんセックスはしませんでした。僕と椿姫さんはいつしか愛し合うようになり、僕の方からプロポーズしました。ちょうど小百合さんの妊娠と結婚が決まった頃で、椿姫さんが私も子どもを産みたいとせがみ、もう淋しくないのですかと尋ねると、もう淋しくはないと答えたので、セックスなしの縛りもやめることにしました。これが僕らの馴れ初めです。ドラマティックな場面が一度たりともなかったので、聞いていて退屈されたなら申し訳ありません」

 「ブラボー!」

 流星が雄叫びの声を上げ、いつまでも手を叩き続けた。

 「私ね、実はあんまり椿姫の結婚は心配してないんだよね」

 突然桜子がそんなことを言い出した。てっきり進を安心させたくてそんなことを言い出したのかと思ったが、そうではなかった。

 「小百合の方がスピード離婚されないか心配で、夜も眠れないくらいだよ。本人は全然気にしてないみたいだけどね」

 「私の何が心配なの? 言いがかりはやめて!」

 「言いがかりじゃないよ。だってあんたずっと仕事一筋だったから家事まったくできないよね? 特に料理」

 確かに今まで家事は桜子におんぶに抱っこだった。桜子が結婚して県外にいた数年間の家事は椿姫と分担していたけど、料理は椿姫の担当だった。

 「じゃあ聞くけどさ、あんたご飯炊ける? みそ汁作れる?」

 「えっ! そのレベル?」

 椿姫も驚いてるが、私は実際そのレベルだった。

 「何もそれを今、しかも流星君の前で言わなくてもいいじゃない……」

 「妊娠して浮かれてるのはいいけど、結婚したら二人で住むの? 向こうの親と同居するの? どちらにしても結婚する前にある程度家事を覚えないと結婚早々離婚を切り出されてもおかしくないよ」

 みんなの前で恥をかかされて腹を立てたが、逆ギレして言い返せば流星をさらにがっかりさせてしまう、と自制できる程度の理性はあった。黙り込んだ私に流星が優しく声をかけた。

 「おれも料理得意じゃないんですけど、誰かに料理を作るのは好きなんですよ。主幹さえよければおれに料理を担当させてくれませんか?」

 彼が誰かに料理を作るのが好きなんて話は今まで聞いたことがない。たぶん私を傷つけずにこの場を丸く収めるためにとっさについてくれた嘘だ。これ幸いとお願いねと返事するほど、私は図々しい人間でもなかった。職場での流星の仕事ぶりを見て、子作りは上手なのに仕事の方はまだまだねと心の中で侮っていた自分が今猛烈に恥ずかしい。

 「教えて」

 「なんですか?」

 「私に料理を教えて下さい」

 「うれしいっす!」

 「何が?」

 「いつも職場では主幹に叱られてばかりだけど、逆におれから主幹に教えられることがあったなんて!」

 「たくさんあるよ。私は仕事しかできないダメな女だから」

 「主幹がダメな人じゃないのはおれが一番よく知ってます」

 光夜ほどではないが、流星も最近私を喜ばせその気にさせる言葉をかけるのがうまくなった。彼の気遣いのおかげで私も素直な気持ちになれた。

 「私もできる限り教えてあげる。その代わり優しくはできないけどね」

 「私も進さんの家で暮らし始めるまでなら力になるよ」

 桜子と椿姫も協力を申し出た。

 「みんなありがとう。よろしくお願いします」

 と頭を下げたとき、今日の報告会の本当の目的はこっちだったんじゃないかと今さらだけど気がついた。

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