16 それなら私の夢も叶えて
いつも休まないんだからこんなときくらいゆっくり休めと上司(課長)が言ってくれたから五日間休ませて下さいと言ったら、たったそれだけでいいのかとかえって呆れられてしまった。
先週土曜日に入院してちょうど一週間後の今日退院。わが家はみんな運転免許は持っているが誰も車を持ってない。タクシーを呼んで三人で帰ろうと桜子が言ってくれたが、彼氏が車で送ってくれるからと断った。
退院は午前11時。土曜日で休日だから流星が自家用車で病院まで迎えに来てくれた。実は流星に迎えに来てもらえるように退院日を土曜日にしてもらったのは内緒。荷物を詰め込み、すぐに出発。
「このまま主幹の家に行きますか?」
「えっ?」
「えっ?」
「君との初めてのデートだから楽しみにしてたのに……」
「すいません。気が利かないやつで……」
どうしても光夜と比べてしまう。光夜と比べてスマートさにかなり欠ける流星を物足りなく思った。
行きたい場所はあるかと聞かれて、海と答えた。先日、光夜と海にドライブに行った。詩からの電話でデートは中断。海がなくなるわけじゃない、また来ればいいとそのとき自分に言い聞かせたが、海は変わらずそこにあるのに光夜が私の前からいなくなった。光夜との未完のデートを流星で完結させるつもりだった。
流星は海の見えるレストランに私を連れていった。レストランでは流星は饒舌だったが、話題は主に私が一週間不在だった職場の様子。そんなのはあさって出勤すれば分かる。私は君のことが知りたいのに。
食後は浜辺に車を止めて、波打ち際に並んで座った。猛烈な陽射し。水着姿で遊ぶ若者たちの姿もちらほら見える。そういえばもう七月になっていた。
「日焼けしても大丈夫ですか?」
「かまわない。私は君と話したいんだ」
「おれももっと主幹のことが知りたいです」
私は光夜のときと同じような説明をした。自分がギリギリの年齢であること。どうしても自分の子どもがほしいこと。預金が3000万円あること。結婚できるならそれを全額生活費として差し出すこと。結婚できないときも妊活に協力してくれたお礼として君にあげてもいいこと。何年か妊活して結果が出なければあきらめること。そのときは君はほかの女性と結婚して子どもを持てばいい――
「子どもができなくても、おれは主幹のそばにいたいです」
「子どもができなくても若い君がギリギリの年齢を越えた私と結婚してくれるということ? そうは言っても、きっといつか後悔すると思うよ」
「後悔? おれは主幹が今後悔してるんじゃないかと思って不安です」
「私が何を後悔するの?」
「光夜と別れておれとつきあいだしたこと」
「そんなこと……」
図星だったからしどろもどろになった。私は何様なのだろう? 流星が光夜と比べてスマートさにかなり欠けるのが物足りない? じゃあ自分はどうなの? スマートな振る舞いのできる光夜と交際していたからって、私自身がスマートに振る舞えていたわけじゃない。年下の彼のスマートさに私は劣等感さえ感じて、言いたいことも言えずに黙り込む場面も多かった。
「今思えば光夜君と私の関係は全然対等じゃなかった。嫌われたらどうしようとか、浮気されても許すしかないかとか、そんなふうに悩んでばかりいた。三年以内に私が妊娠したら結婚するというのが彼との交際のルール。だから生理になるたびに絶望した。有紗さんの件がなくても光夜君との交際は遅かれ早かれどこかでダメになっていたと思う」
「おれは主幹と何でも言い合える対等な関係を築きたいです」
「ありがとう。今心から、君との子どもを産みたいなって思えたよ。逆に子どもができなかったらって思うと、胸が本当に苦しくなる」
「さっきも言ったけど、子どもができなくてもおれは主幹のそばにいたいです。おれ、女の人を好きになったのが主幹で二人目だから愛とか恋とかたぶんまだよく分かってないけど、子どもができなくて傷ついてる人を見捨てるような男にはなりたくないです」
「流星君、勢いだけで言った言葉だとしてもすごくうれしいよ」
「勢いだけじゃないです。おれのこれからの人生のすべてを主幹に捧げると誓います」
我慢できなくなって自分から流星にキスした。病室と違って時間を気にする必要もないし、誰かに見られることを気にする必要もなかった。流星も私を求めてきた。心置きなくお互いの唇を堪能し合ったあと、私の言いたいことを彼の方から言ってくれた。
「違う場所で少し休んでいきますか?」
「うん。君はしたいことを何でもすればいいし、してほしいことは何でもしてあげる」
何も心配しなかった。生理なら入院中に終わっている。それから一時間もしないうちに、海辺に建つラブホテルの海がよく見える部屋で私たちは結ばれていた。初めて私の裸を見たとき、初めて私の敏感な場所に触れたとき、初めて一つになったとき、彼は「夢みたいです」とか「夢が叶ってうれしいです」などといちいち口にしては、私を喜ばせた。
「それなら私の夢も叶えて」とせがむと「全力を尽くします」と答え、その答え通りの行動をしてくれた。私も積極的に、光夜にはしたかったけどできなかったことを流星にはしてあげた。流星も喜んでくれたようでよかった。
三時間ほど部屋で過ごし、スマホをチェックすると桜子からメッセージが届いていた。
《退院祝いに椿姫とご馳走を用意したよ。彼氏の車でうちまで送ってもらうんだよね。食事は彼氏の分も用意してるから、夕食一緒にどうですかって聞いてみて》
スマホの画面を見せて聞いてみた。
「私の家族が君と話したいって。まだ心の準備がというなら無理は言わないよ」
「心の準備なら今できました」
ひとしきり笑い合ったあと、〈彼氏も食べてくってよ〉と桜子に返信して、私たちはホテルをあとにした。
そういえば、光夜と別れて流星とつきあい始めたことを、まだ桜子と椿姫には言ってなかった。
二週間前の私の誕生日には光夜を恋人として紹介したばかりなのに、いきなり流星を連れ帰ったら驚くに違いない。
もっとも一番驚いてるのは私自身だ。あさっての月曜日、職場でどんな顔して部下の流星と接すればいいのだろう? そのことの打ち合わせも流星としなければいけないな、と彼の車の中で海に沈む夕日を見ながら考えていた。
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