12 あなたに恥じない人生を


 「登校する前に両親の寝室にボイスレコーダーを仕掛けて置いて、証拠集めしたものの一つです。聞いて下さい」

 詩がバッグの奥の方からボイスレコーダーを取り出しておもむろに再生した。


 〈ああっ、雄大!〉

 いきなり羽海の嬌声が耳に飛び込んできた。明らかに行為中。

 《いつも旦那相手にもそんなに乱れてるのか?》

 女の声は羽海だが、男の声は李久ではない。というかボイスレコーダーの声は柄が悪そうな感じ。真面目な李久とはまるで間逆。

 〈まさか。旦那、夜下手すぎだもん〉

 《旦那って羽海しか女知らないんだろ。それなら下手だって責めたらかわいそうだぜ》

 〈ふうん。なんで旦那に優しいの?〉

 《そりゃあ、おれの子どもをあんないい子に育ててくれたんだから感謝くらいするさ》

 〈あんまり気にしなくていいのに。詩は違うけど、雪は間違いなく旦那の子どもなんだから〉

 《おれがクズなせいで、好きでもない男の子どもを産ませてすまねえな》

 〈雄大はクズじゃない。ちょっと心が弱いだけだよ。仕事が続かないのも雄大が悪いんじゃない。雄大の性格や特性の理解が職場の人たちに足りないのが悪いんだよ〉

 《そう言ってくれるのは羽海だけだ。羽海がいなかったら、おれは今頃死んでるかムショにいるか、絶対どっちかだ》

 〈任せて! これからも羽海は雄大の味方だよ。なるべく雄大がお金でも困らないように協力するから〉

 《恩に着るぜ》

 〈ギブアンドテイクだよ。気にしないで〉

 《おれが羽海に与えてやれるもんなんてあるのか?》

 〈あるよ。旦那は私のお腹と財布を満たしてくれるけど、心と体を満たしてくれるのは雄大だから〉

 《今日も心と体は満たされたか?》

 〈まだ全然足りない!〉

 《羽海の性欲は底なしだもんな。おら、どうだ?》

 〈ああん!〉

 

 詩が再生を止めた。確かに羽海は長女の詩が夫の子どもではないと言い切っていた。羽海が好きで結婚したかった相手は李久ではなく、雄大という男だった。

 なんて声をかけていいか分からないなどと言ってる場合ではなかった。目の前で私たちの言葉を待ってる傷ついた少女がいるのだから。

 今聞いた不倫カップルの会話を聞いて分かったこと。


 ・この会話が録音されたのは三女の星奈が誕生する前。

 ・羽海と雄大の逢い引きの場所は夫と子どもが不在中の羽海の自宅。

 ・羽海と雄大の関係は羽海と夫の関係より長い。

 ・羽海は雄大を愛していたが、定職を持たず家族を養えない雄大は羽海をほかの男と結婚(というより寄生?)させた。

 ・羽海は夫の李久をATM扱いしている。

 ・長女の詩の遺伝上の父は雄大。

 ・羽海は雄大に金銭も貢いでいる。おそらく夫の稼ぎから。


 私はこんな女と友達だったのか。でも友達ならいい。縁を切ればそれで終わり。詩が羽海から生まれた事実はどうしても変えられない。大好きな父でなく汚らしい不倫相手の血を引いているという事実も――


 「去年の暮れに星奈ちゃんが生まれたよね。次女の雪ちゃんが生まれてから12年も経ってるのに。倦怠期なんて無縁の仲良し夫婦なんだなって勝手に思い込んでた」

 「星奈は私なんかよりずっと過酷な運命を背負って生まれてきた子。いつか自分が生まれてきた経緯を知ったら、あの子は自殺するかもしれない」

 「まさかあの子の父親も雄大という男?」

 「違います。でももちろんお父さんの血も引いていません。そうなったきっかけは二年前、父が母のお金の使い込みにようやく気づいたことでした。ただ父は母の不倫までは気づかず、母が買い物依存症だったと思い込んで、当分のあいだ家計の管理は父がやることになりました」

 そこまで説明してから、詩はふたたびボイスレコーダーを再生した。


 〈――というわけで、雄大にお金を援助できなくなっちゃった〉

 申し訳なさそうな羽海の声。申し訳ないと思う相手が違うんじゃないの? というツッコミはもはや何の意味もなさない。李久は羽海にとって寄生する宿主にすぎない。情はあっても愛はない。いや情さえなかったのかもしれない。

 《月に手取りで35万も稼いでるんだから、10万くらい羽海に好きに使わしてくれたっていいじゃねえか!》

 〈ほんと、しみったれたケチくさい男だよ。あんなキモい男でも金目当てだって割り切って結婚してやったのに、その金さえ自由にならないんじゃ結婚した意味がないじゃん! こうなったら学生だったときみたいにパパ活やって稼いで雄大に援助しようか?〉

 《その年でパパ活は厳しいかもな。それにパパ活相手から性病もらったせいで当時の彼氏に浮気がバレて振られたのを忘れるな》

 〈あいつにもさんざん貢がせたよね。ブランド物のバッグや財布を何個も買わせて〉

 《換金して何度もおれたち二人で海外旅行に行ったもんだよな。さんざん貢いであいつが羽海からもらえたものは性病だけか。とにかく不特定多数の男を相手するパパ活はそういうリスクがある。リスクに対するリターンもたいして大きくない。あんまりお勧めできねえな》

 〈じゃあどうすればいいの? 私は雄大の力になりたいんだよ〉

 《おれの知り合いに大金持ちの男がいる。その男は女に興味はないし、面倒だから子育てもしたくないが、自分の子孫は残したいそうだ。羽海、悪いがその男の子どもを生んで育ててくれないか》

 〈いくらもらえるの?〉

 《妊娠するまでの行為の報酬が500万、出産後にDNA鑑定して親子関係が証明されたら1500万、命名権が200万、養育費込みで面会一回につき100万》

 〈すごい! 私がその人の子どもを産めたら、雄大は一生安泰じゃん!〉

 《羽海、やってくれるか?》

 〈もちろん! 前から言ってるよね。私は旦那の妻である前に、雄大の女なんだ!〉

 《ありがとよ。本当に恩に着るぜ。それにしてもやっぱりおれは天才だな》

 〈なんで?〉

 《托卵で自分の子どもを他人の男に育てさせた男は星の数ほどいるだろうが、托卵をビジネスにしたのは世界でおれが初めてなんじゃねえか?》

 〈世界で初めて? かっこいい! 雄大の言うとおりにしてあげるから、私の気がすむまで抱いて!〉

 《任せとけ!》 

 〈ああん!〉


 詩は無表情で再生を止めた。二人の会話から分かった新事実を整理しようとしたが、胸が苦しくなってきてやめた。

 狂ってると思った。狂った二人が地獄に落ちたところで、狂ってるのだからさして苦しくないだろう。光夜はかつての浅はかな行動のせいで鬼畜と呼ばれたらしいが、光夜が鬼畜なら羽海と雄大は何と呼べばいいのだろう? 鬼畜や悪魔だって二人の所業を知れば震え上がるんじゃないだろうか?

 問題は狂った二人の悪意によってこの世に生を享けた詩と星奈の托卵児二人。星奈などまだ生後半年だ。二人は何も悪くないのに善良な李久から捨てられて、狂ってもいないのに地獄に落とされようとしている。

 「そうそう、あいつらの会話に小百合さんも出てきますよ」

 「私が?」

 羽海はともかく雄大という男とは今まで何の接点もなかったはず。というかどんな形であっても接点を持ちたくない!

 詩はまた別の音声データを再生した。途端に赤ちゃんの大きな泣き声が耳に飛び込んできた。星奈が生まれたあとのごく最近の会話らしい。


 《ったく、うっせえな!》

 〈ごめん、我慢して〉

 《詩が生まれたときに言ってあったよな。おれは子どもの泣き声聞いてると本気で殺意が芽生えるんだ。子どもを殺されたくなかったら、おれと会う前に必ず預けてこい!》

 悪魔二人はまた行為中のようだ。誰かが誰かを殴る音。雄大が赤ちゃんの代わりに羽海を殴ったらしい。

 〈詩が小さいときからいつも子どもを預かってくれてた女が最近全然預かってくれなくなってさ。彼氏ができて忙しいって言ってたけど絶対嘘に決まってる。そいつ旦那の元カノでさ、私が旦那奪ってから男っけまったくなかったから、私と同い年だけどたぶんまだ処女〉

 《38歳で処女? おもしれえ。今度おれに紹介しろよ》

 〈なんで?〉

 《羽海に嘘ついたお仕置きにおれが貫通さしてやる。そんで犯してるとこ撮影してそのまま奴隷にする》

 〈小百合が奴隷? おもしろそう。見てみたい!〉

 《見てみたいって、おまえだって……》

 〈私がどうかしたの?〉

 《いや何でもない。そいつ金は持ってんのか?》

 〈公務員で残業ばっかしてるって言ってたから貯め込んでるんじゃない〉

 《有り金残らず巻き上げてやるぜ! 中に出すぞ!》

 〈ああん!〉


 詩が再生を止める前から私は猛烈な吐き気に襲われていた。悪魔二人に悪意のターゲットにされたことが恐ろしかったのではない。詩が乳児のときから私はさんざん羽海の娘たちを預かって子守りしてきた。羽海は決まって急用を理由にしていたが、本当は雄大を刺激せず心置きなく不倫を楽しむために子どもが邪魔だったから預けたのだ。

 つまり、愚かな私は知らないうちに羽海に不倫の共犯者にされていた。

 「小百合さん……?」

 私の異変に気づいて、光夜が私の顔をのぞき込む。羽海の子どもたちを預からなければよかった。まあ、私が預からなかったところで、羽海が雄大との不倫をやめたとは思えないけど。

 「よかれと思って子どもたちを預かったのに、私はずっと羽海の不倫の手助けをしていたってことだよね。李久君や詩ちゃんたちになんて言って謝ればいいの……?」

 「小百合さんは人のよさにつけこまれて利用されただけです。自分を責めないでください」

 慰めてくれる光夜に甘えて、彼の胸に顔をうずめる。悲しみが込み上げて、涙となってあふれ出した。涙を流しながらも、詩になんて言葉をかけるべきか考えていたが、答えは一向に出ない。不倫は悪だが、それを李久に伝えれば、托卵児の詩は李久に捨てられるだろう――

 「小百合さん、光夜先生、お二人を見ていて自分で答えを出しました。もう迷いません。私はすべてを失ってもお二人に恥じない人生を生きます」

 一人で帰ろうとする詩を、光夜は車に乗せて彼女の自宅まで送っていった。

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