11 ギリギリ女の誕生日


 椿姫が結婚相談所に入会したという。入会金は桜子が払った。

 「淋しいからってすぐに男と寝ちゃう人生、もうそろそろ卒業したら?」

 そう言われて、椿姫も決断したそうだ。先日の18号の件で自分が男たちにどう見られてるかはっきりと思い知ってショックを受けていたところだから、椿姫の決断は早かった。髪も黒く染め、気合いの入った見合い写真も撮影した。

 なまじ顔がいいから見合いもすぐに決まった。相手は二歳年上の真面目そうな会社員。でも見合いが始まって三分で、男は怒って席を立って帰ってしまったそうだ。

 「椿姫さんほどの美しい方がどうして結婚相談所に入会されたんですか?」

 「淋しいからってすぐに男と寝ちゃう人生、もうそろそろ卒業したら? って姉に言われて」

 桜子もだけど、相談所の仲人さんも頭を抱えていたらしい。きっともうまともな人は紹介されないだろう。


 やっぱり真面目に生きるのが一番だ。38年真面目に生きてきたのを評価して、光夜は私を恋人にしてくれた。職場では嫌な顔せず人の仕事まで代わりにやってきたら、光夜の実姉の田所主事が私たちの交際を認めてくれた。羽海は本当に図々しいが、羽海の子どもたちを十年以上言われるままに預かってきたら、長女の詩が光夜のクラスの生徒で私たちの恋を応援してもらえることになった。

 あとは私が光夜の子を妊娠するだけだ。私の目は希望に満ちあふれていたと思う。怖いものなど何もなかった。


 「今年のあんたの誕生日は、プレゼント以外なんの準備もしなくていいんでしょ?」

 桜子にそう聞かれて、うんと答えた。毎年私の誕生日には桜子が腕をふるってごちそうを作ってくれていた。その上、椿姫と合作の手作りケーキまで用意されていた。桜子が結婚しているときもわざわざそのために駆けつけてくれたのだった。

 「そういえば今まであんたの誕生日って、必ずあんたうちにいたよね。半年後のクリスマスのときも。意外と今まで長く続いた彼氏がいなかったんだね」

 〈長く続いた彼氏〉がいなかったのではなく、〈彼氏〉自体がいなかったのだ。もちろん余計な反論はせず曖昧にうなずいておいた。


 39回目の誕生日が来て、私と光夜の年齢差は17歳差に広がった。そう考えると全然めでたくないが、その日はたまたま土曜日。光夜は部活の指導を副顧問の先生に代わってもらい、朝から一日私のために過ごせることになった。何もいらない。光夜の一日を私が独り占めできる。それが一番のプレゼントだと思えた。

 なるべく早く会いたいと言ったら朝八時に迎えに来るよと言ってくれた。前夜も夜中まで会っていたのに。光夜が高校の教師だと知ったあと、今日学校でどんなことがあったか話すようにせがむのが日課になった。新米体育教師の彼の奮闘記を聞くのが大好きになった。今まで似合ってないと決めつけていたジャージ姿も、体育の先生だと思えば誰よりもサマになって見えるのが不思議だ。

 「今まで全然聞いてこないから僕の仕事に興味ないのかと思ってました」

 「君が学校の先生、しかも正規雇用の安定した身分だったなんて知らなかったんだよ。とんでもないブラック企業の社畜さんだと思い込んでて、下手にそれに触れると君を傷つけることになるかもと心配して、怖くて君の仕事の話ができなかったんだ」

 「僕がなんの仕事してるのかも知らないのに、結婚前提の交際してたってよく考えたらすごいですね」

 「君が望むなら私が働いて専業主夫の君を養う形でもいいかって覚悟してた」

 「小百合さんはいつだって僕の想像を超えてくる人ですね。もちろんいい意味で」

 昨夜、そんな会話を交わした。ちなみにその頃もう午前0時を回っていたから、ベッドの上で彼に抱かれながら無我夢中のうちに私の誕生日は始まっていたのだった。

 その後、光夜に指輪をプレゼントした。ピンクゴールドのペアリングの片方。それぞれのリングにお互いのイニシャルが刻まれている。

 「小百合さんの誕生日に僕があなたからプレゼントをもらうわけには……」

 「気にしないで! もし気にするなら、今日の誕生日が素敵な一日になるように気にかけてくれればそれでいいから」

 「今日があなたにとって最高の誕生日になるように全力を尽くします」

 そう言って光夜は私に一通の白い封筒を差し出した。誕生日プレゼントらしい。封筒に入る誕生日プレゼント? まさか金券のたぐい? いくらなんでも光夜がそんな無粋なことをするわけが……と思いながら封筒から中身を取り出した。一枚の紙切れだった。

 「ペアリングのお返しになってるかどうか分かりませんが……」

 紙切れを広げると婚姻届だった。私が書くべき欄以外すべて記入されている。

 「これって……」

 「小百合さんが出したいときに役場に提出して下さい。妊娠の有無は気にしなくていいです」

 「ありがとう!」

 泣き出した私は泣いてるのをごまかすように光夜に抱きついた。

 「うれしいけど勝手に出したりしないよ。これはお守りだと思って大事にしまっとくね」

 私たちはホテルを出る前にもう一度行為した。幸せだった。そのときこの幸せに終わりが来るなんて夢にも思っていなかった――


 朝早く迎えに来てもらって、それから海を見に行くことになっていた。今日は学校帰りではないからジャージ姿ではなかった。当然のようで実はジャージを着ていない光夜を見るのは初めてだった。

 毎日体育の授業で生徒たちとグラウンドを駆け回っていたから、会えばいつもジャージが汚れていた。そうとは知らず土ぼこりで汚れたジャージ姿の光夜を見ては、イケメンのくせに清潔感に欠けるなって少し残念に思っていた過去の自分を思い切り引っぱたきたい。

 そういえば私が高校生のときの体育の先生もみんなジャージ姿だった気がする。彼らも土日休みのほとんどを返上して部活指導に当たっていたが、まさか最低賃金の半分にも満たない報酬で休日労働させられていたことまでは知らなかった。学校の教師の仕事がブラックだというのは最近よく聞く話だが、そこまでとは知らなかったし、自分の家族になるかもしれない人の話だと思うともう無関心ではいられない。

 ドライブしながらいろいろなことを話した。海が見えてきて私たちは子どもみたいにワクワクして、そしてはしゃいだ。

 そのとき私のスマホが鳴った。松本詩からだった。三日前、偶然再会したとき私たちはLINEの友達登録をし合っていた。

 「詩ちゃん、おはよう。元気だった?」

 「小百合さん、私もうダメかもしれない……」

 詩は声を押し殺して泣いていた。その瞬間、せっかくの誕生日デートだがお開きになることを覚悟した。詩は彼女がおむつの頃から世話してきた家族同然の存在であるが、それだけでなく光夜が担任する生徒でもある。受け持ちの生徒に何かあれば、彼は時間に関係なく家を飛び出していくことだろう。光夜と交際、結婚するということはそれを当たり前だと思わなければならないということなのだ。

 「光夜君、詩ちゃんが聞いてほしい話があるんだって。私に電話かかってきたけど、そばに光夜君がいるって伝えたら君にもぜひ同席してほしいって」

 「分かりました」

 光夜は瞬時に引き締まった顔になった。これが教師としての彼の顔か。そう思うと、光夜とは反対に私の顔はデレデレになった。

 私たちは海岸線沿いの道路を離れ、また元の道を引き返していった。海がどこかに逃げるわけじゃない。今日は残念だったけど、その気になればいつだってまた来れる。


 詩は三日前にも相談があると学校で光夜に持ちかけた。別に秘かに片想いしていたから、二人きりで会う口実に相談をでっち上げたわけではなく、彼女は確かに深刻そうな表情をしていたそうだ。結局詩は何も悩みを打ち明けられないうちに気分が悪くなり、光夜に車で自宅まで送られる途中で私に見つかり、光夜の姉の田所主事の大暴れを招く結果となり、三日前はすべてがうやむやのままになってしまった。もし詩の相談事が急を要することだったら彼女に悪いことしてしまった。

 「相談があると僕に言ってきたとき、詩さんは心配になるくらい落ち込んでいました。結局泣き出してしまい、話を続けられそうになかったので、自宅まで送っていくことにしました。途中、元気づけるためにコンビニに寄って買ったソフトクリームは姉の凶器にされてしまいましたけどね」

 そうだったのか。仲良く並んで車に乗ってるように見えたのは、ショックと嫉妬と恐怖から私が見間違ってしまったものらしい。光夜に捨てられてまた一人ぼっちに戻るのか、とあのときは本当に怖くて怖くて仕方なかった。そのときは光夜の隣に座る女子高生が羽海の娘の詩だとは思いもしなかったけどね。

 光夜に隠し事したくないから、恥を忍んで正直に伝えてみた。

 「前に私の初恋の話をしたよね。私を振ったその人が、実は詩ちゃんのお父さんなんだ」

 「え? じゃあ、小百合さんは自分をこっぴどく振った男の子どもたちをしょっちゅう預かっていたわけですか? 彼に誤解されなければ、彼の子どもはあなたが生んでいるはずだったのに。つらくなかったですか?」

 「つらかった。だから私の心の闇をあの子たちに悟らせないように、何をされても絶対に怒らないと決めていつも笑顔で接した」

 「小百合さんのそういうところ、僕は好きですよ」

 嫉妬されることはないだろうが、不快な思いにはさせるかもしれないと覚悟していたが、逆に好きだと言われた。

 「君が私を好きだと思う気持ちの何倍も私は君が好きだよ!」

 突然大声を張り上げた私の頭を軽く撫でて、

 「あなたと交際することができて本当によかったです」

 と光夜はささやいた。ぐつぐつと煮えたぎる鍋の中のお湯のように、私の心も体も光夜に抱かれたがっていた。いや、すでにどちらも光夜の所有物になっていた。私のそばにいてくれるなら、君は私に何をしてもいいんだ。


 羽海は子どもたちを預けにしょっちゅう私の家に来ていたが、私は羽海の家を知らなかった。昔からの住宅街にある白い一軒家に住んでいると詩が教えてくれた。自宅近所に小さな公園があり、詩はそこで待っていた。土曜日だから私服。白い長袖シャツに細いジーンズ。かわいい系ではないが、熱心にバスケットボールをやってると言うだけあってスタイルはいい。今日の青空によく似合うと思った。

 私服なのに、なぜか大きなスクールバッグを大事そうに手に持っている。今日の相談と何か関係あるのだろうか?

 ここで話していて家族に見られたくないと言うから、とりあえず車に乗せた。

 「すいません。小百合さん、デート中だったんですね。三日前に光夜先生と恋人同士だと聞いても正直ピンと来なかったですけど、実際お二人でデートしてるのを目の当たりにすると、私が好きだった光夜先生は小百合さんのものだったんだなって今さらながらちょっとショックを受けました」

 年の差がありすぎてどう見てもお似合いのカップルには見えないから、話に聞いたくらいでは信じられなかったということか。まあ、私自身、ときどきこれは夢じゃないのかって不安になることがあるから、第三者から本気にされなくても仕方ないかなって気はしている。

 「聞いてほしい音声データがあるから屋内の静かな場所で話したい」

 と詩が言うので、私の家に行くことにした。初め、光夜は学校に向かおうとしていたけど、

 「部外者の私が校舎に立ち入って、あとで問題にならないの?」

 と疑問を口にしたら、それもそうですねということになって、そういうことになった。

 こういうときに限って、桜子も椿姫も自宅にいた。突然連れて帰ってきた若い男と女子高生を見て、二人とも何事かと怪訝な顔をしていた。椿姫など大騒ぎして、イケメンが来た! と連呼している。

 「桜子さん、椿姫さん、お久しぶりです。小さい頃よくこのうちに預けられていた松本詩です」

 詩にそう挨拶されて、二人は思い出したようだった。

 「詩ちゃんは分かったけど、隣の若い男性は?」

 「詩ちゃんの通う高校の担任の先生。詩ちゃんが悩みがあると言うから、三人でうちで話すことになってね……」

 私がそう答えると、桜子が心底呆れたようなため息をついた。

 「誕生日に出かけるって言うから当然デートだと思ったら、詩ちゃんの悩み相談? まだヤリモク男に遊ばれてる方がマシだよ。今日で39歳、子どもがほしいならギリギリの年齢のくせに、あんた何を考えてるの?」

 「今日って小百合さんの誕生日だったんですか!?」

 それは質問というより悲鳴に近かった。

 「すいません。私、今日が小百合さんの誕生日だったなんて知らなくて、先生とのデートを邪魔するようなことをしてしまって……」

 「先生とのデート!?」

 桜子と椿姫の声がきれいにハモっていたが、とりあえずそっちは後回し。

 「詩ちゃん、気にしなくていいよ。学校の教師がプライベートより受け持ちの生徒の問題を優先するのは当然だと思ってるから」

 そこで光夜が桜子と椿姫に頭を下げた。

 「小百合さんのお姉さんと妹さんですよね。お話はかねがね伺ってます。小百合さんと交際させていただいてる村瀬光夜と申します。詩さんの件が済んだらまたご挨拶させていただきますので」

 「ええと、あなた何歳なの?」

 「22歳です」

 「17歳差!? 淫行じゃん!」

 と椿姫が目を丸くしている。

 「違うよ。淫行は相手が18歳未満の場合で……」

 真面目に答えてる途中で馬鹿らしくなってやめた。一方、桜子は光夜の方に食ってかかる。

 「22歳の高校教師!? あなた騙されてるんじゃないの!」

 光夜が騙されてるなら私が騙してることになるんですけど! 今までずっと私がヤリモク男にたぶらかされてるって決めつけてたくせに、光夜の年齢と職業を聞いた途端私の方が悪いことになるのか? 恋愛経験のほとんどない私に男を騙すスキルなんてあるわけないのに……

 「私は誰も騙してない。そんな言い方されるんなら、お姉ちゃんとはもう絶交する」

 「ごめん……」

 私は桜子を無視して、光夜と詩を二階の自分の部屋に案内した。

 「懐かしい! 全然変わってない」

 今日初めて詩の笑顔を見た。深刻な悩みがあるようだけど、少しでも気分が晴れたなら私もうれしい。

 ただ、詩がいなければ今からここで光夜に抱いてもらうのにと思ってしまったのは事実。処女を失って体が汚れたとは思わないけど、心はかなり汚れてしまったようだ。

 部屋は和室。畳の上に座布団を敷いて、詩と向き合うように私と光夜が並んで座る。

 「詩さん、さっそくだけど、悩みの方は話せるかな」

 「はい。実は母が不倫しています。相手の名前は西雄大。うちの近所のアパートで一人暮らししてる無職の男です」

 てっきり学校生活のことかと思ってた。もしかしたらいじめかも、と。いかにも活発そうな詩がいじめを受けるタイプには見えないが、世の中には嫉妬からいじめが始まるケースもあるらしいのでもしかしたら、なんて考えていた。

 「羽海が? 信じられない……」

 「小百合さんは母とのつきあいが長いんですよね。本当に信じられませんか?」

 そう言われると、羽海は当時の彼氏に浮気がバレて私に弁護を頼んできたのだった。その浮気の弁護がなぜか当時の私の彼氏の李久に聞かれて、私は李久に軽蔑されて振られたのだった。そしてなぜか李久は羽海とつきあうようになり、二人は結婚し詩が生まれた――

 「羽海が不倫してるというのは本当なの?」

 「事実です。しかも不倫相手とは私が生まれる前からの関係です。でもそれはいいんです。七夕になると決まって学校で短冊を書くんですけど、ママが早く死にますようにって毎年書いてたくらい私はあの人が嫌いだったので。母の浮気の証拠を集めて父に突きつけて離婚してもらって、もちろん私は父についていこうって、ずっとその日が来るのを楽しみにしてました」

 私もそうだけど、光夜もなんと答えていいか分からず無言。

 「でもそれが無理だと分かったんです。父は離婚したら私を捨てるでしょう。そうすると私は今の家を離れて母と、もしかしたら不倫相手とも暮らさなければいけなくなる。優しい父や仲良しの雪と離れて、あんな汚らしい連中に囲まれて暮らさなければならないなんて、死んだ方がマシです」

 「羽海と李久君が離婚したとして、どうして李久君が詩ちゃんを捨てるって分かるの?」

 詩は一瞬迷う素振りを見せたが、すぐに気を取り直し一気に言い切った。

 「それは私がお父さんの子どもではないからです」

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