4 僕は君を軽蔑します


 18年ぶりに恋人ができた。二人目の恋人といっても、前回はつきあい始めて一ヶ月もしないうちに、まだキスもしないうちに振られてしまったから、実際のところ私の初めての恋人は光夜だといっても間違いとは言えないだろう。

 お互いのことを何も知らない。ただの遊び相手なら知らないままでいいのだろう。でも光夜は私のことを知ろうとしてくれた。

 「今でもトラウマになってるという二十歳のときの恋愛の話を聞かせてくれませんか?」

 二度目のセックスのあとそう聞かれて私は悲しくなった。せっかく幸せな気持ちだったのに、一瞬にして涙があふれ出しそうになった。

 「嫌な気持ちにさせてすいません。興味本位で聞いたわけじゃないんです。ただ小百合さんとつきあっていくに当たって、あなたの苦しみを共有したいと考えました。僕はもっとあなたのことを知ることができるし、あなたとの距離も縮めることができるのではないかと考えました。今が無理ならいつかその気になったときでいいので教えてもらえたらありがたいです」

 そういうことなら話さなくてはならないだろう。でも私はまだ躊躇せざるを得なかった。

 「私だって本当は君に洗いざらい全部吐き出したいと思ってた。そうすれば気持ちが楽になれるだろうから。でもそれを打ち明ければ君に嫌われるに決まってる。だから自分から打ち明ける気にはなれなかった」

 「振られたそうだから小百合さんにも何か問題があったのでしょう。でもそれは過去の小百合さんであって今の小百合さんじゃない。僕だっていっぱい間違いを犯しました。間違った過去は乗り越えていけばいいんじゃないでしょうか」

 「私にとっては死にたくなるくらい恥ずかしい過去なんだ。教えるから、君も君自身のそういう話を今度でいいから私に教えてくれる?」

 「教えます」

 「ありがとう。じゃあ教えるね」


 そのとき私は大学二年生だった。11月に同じ大学の松本李久(りく)に告白されてつきあい始めたばかりだった。李久は私以上に真面目そうな人だったから、体目的ではないだろうと思えて私は即座に交際をOKした。数回のデートを経て、手をつなぐようにもなれた。今年のクリスマスは生まれて初めて彼氏と過ごせるんだなと私は浮かれていた。

 12月に入った頃、やはり同じ大学の学生で入学以来の親友の佐々木羽海が彼氏と別れたと泣いていた。

 「なんで別れたの?」

 「浮気がバレて」

 「ひどい! 浮気するような男なら別れて正解だよ」

 「違う。浮気がバレたのは私」

 目が点になった。

 「もう二度と浮気なんてしない。心を入れ替えるから彼氏とよりを戻す手助けをしてくれないかな」

 どうしようかなと思ったけど、内向的な私には羽海のほかに友達らしい人がいなかったから、断って疎遠になるのが嫌で協力してあげることにした。友達といっても、講義のノートを見せてあげたり、講義を欠席してるのに出席簿の羽海の欄にマルを書いてあげたり、私のギブばかりの関係だったけど。でも私に彼氏ができたことを話したとき、羽海は自分のことのように喜んでくれて、それは私も本当にうれしかった。

 私と羽海と羽海の彼氏の三人で会うに当たって、あらかじめ羽海と作戦を立てた。一度の浮気くらい許すべきだと私が主張し、いや許されないことしたんだよと羽海はしおらしく反省した姿勢を見せる。つまり私が悪者になり、羽海をよく見せる作戦。

 クリスマスイブのちょうど一週間前だったと思う。お昼頃、大学近くのカフェで羽海の彼氏と待ち合わせた。彼と会ったのはそのとき一回だけ。真面目そうな男だったような気がするが、名前もどんな顔だったかも覚えていない。

 私を見ていきなり聞かれた。

 「君は?」

 「彼氏さん、こんにちは。羽海の友達の藤川小百合といいます」

 「僕はもう羽海の彼氏じゃない。元カレでしかないから誤解しないでね」

 元カレさんは最初から戦闘モードだった。

 「本当は顔も見たくなかったんだ」

 と突き放す彼に、私は力説した。

 「一度や二度の浮気を許せないなんて心が狭いですよ」

 「淋しさに負けて浮気してしまったけど、羽海が愛してるのはあなただけです」

 「トラブルがあっても、羽海といて楽しかったときを思い出してそれを乗り越えていってほしい」

 元カレさんは無言のまま私をにらみつけるだけだった。

 「あの。言いたいことがあれば言ってください」

 それに対して返答があったが、答えたのは元カレさんではなかった。

 「ごめん。僕も心が狭いみたいで浮気を擁護する君の発言を許せそうもないよ」

 私の背中側のボックス席に座っていた男が立ち上がるなりそう言った。顔を見て呆然となった。その人は松本李久だった。

 「李久君、これはその……違うの!」

 「小百合さんは恋人がいても多少の浮気は許されるべきだという考えなんだね。僕は君の考え方を否定しないよ。ただ同じ考えの人と交際した方がいい。僕ではなくてね」

 李久は言うだけ言って私の弁解も聞かずすたすたと店外に出ていった。しばらくして李久からLINEが届いた。


 〈僕は君を軽蔑します。さようなら〉


 そのメッセージを最後に李久は私をブロックし、電話も着拒した。クリスマス目前、私の初恋は一ヶ月も経たずにあっけなく終わりを告げた。

 私は決して浮気を容認するような考えを持っていない。あくまで羽海をかばうために便宜上そう主張しただけだ。李久と別れたくなかった。でも今思えば友達のためとはいえ浮気を擁護するような屑は捨てられて当然だ。そんな屑は恋愛なんてしてはいけなかったのだ。屑は屑らしく誰にも愛されず淋しい人生を生きていけばいいんだ。李久に捨てられた私は、そのとき私自身も捨てたんだと思う。


 私の話を聞いていた光夜が言いにくそうにボソリと言った。

 「それはハメられたんじゃないですか?」

 「えっ、どういうこと?」

 「だって、友達の復縁話してるそばに関係ない小百合さんの彼氏がいるっておかしいですよね」

 「言われてみれば……」

 愚かな私はそういう角度からこの出来事を眺めたことがなかった。

 「でも誰が私をハメたと言うの?」

 「そりゃそのときその場所に小百合さんがいると知ってる人物ですよ」

 羽海? 友達なのに? と驚いてから私たちの今までの関係を振り返ると、羽海が本当に友達なのかどうか自信が持てなくなってきた。考えれば考えるほど私は羽海に利用されてきただけだった。

 「そのあと、小百合さんと彼氏さんは復縁できなかったんですね?」

 「うん。謝りに行ったら、なぜか李久君と羽海がつきあうことになってた。なんでもお互いの名前の読み方が陸と海ということで意気投合したんだって。羽海は元カレと復縁したがってたはずなのに。もう私の出る幕はどこにもなかった。大学を卒業してすぐ、李久君と羽海は結婚した。結婚式には呼んでもらえたよ。李久君に許されたと思って、そのときはうれしかった」

 「……………………」

 光夜は何も答えなかった。ただ気の毒そうに私の顔を見ているだけだった。

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