第七章 呆然
冬休みは一月六日まで。七日の一時間目は体育館で三学期の始業式、二時間目以降は通常授業。
市立図書館は三日まで閉館日。四日から通常営業。
私が高校生になる前はお父さんの実家に家族四人で帰省して年末年始をだらだら過ごすというのが冬休みの恒例になっていた。私が高校生になり沙羅たちと遊びたいから帰省に行けないと言うと、姉ちゃんが行かないならおれも行かないと雄太も言い出して、さらには大人だけで行っても仕方ないわねとお母さんまでお父さんに反旗を翻し、家族総出の帰省は夏のお盆のときだけとなった。
一月四日、三日ぶりに和馬君と会った。朝からいっしょに図書館で勉強して、公園で私が作っていったサンドイッチをいっしょに食べて、少し早く勉強を切り上げて、帰る途中ホテルに誘った。私は彼を求め、そして私が彼に必要とされている存在なのだと確認した。
前回も今回もホテル代は和馬君が払ってくれた。お金大丈夫なの? と聞いたら、親からお年玉をもらったからと澄ました顔で答えた。
私のせいで和馬君のピュアな心がどんどん失われていくような気がする。ちょっとだけ和馬君の両親に申し訳ない気分になった。
ホテルで三時間すごしたあと、私の家まで送ってくれた。あと何日かしたら学校が始まる。少なくともクラス替えのある三月いっぱいまでは、私とセックスした人と同じ教室ですごさなければならない。仕方ないとはいえ照れくさいし不思議な気分だった。
でもそんな心配は無用だった。それから私が和馬君と同じ教室で過ごしたのはほんの数日のことでしかなかったのだから――
五日と六日も和馬君といっしょに図書館で勉強した。ホテルには行かなかった。
学校には途中で待ち合わせして、毎日そこから二人で登校することになっていた。
一月七日、長い冬休みが終わり、久々の学校。和馬君とつきあう前と同じように、七時半に家を出た。寒いから紺のブレザーの制服では隠せない首元には白いマフラーを巻いて。
手袋はしなかった。彼と手をつなぐことで温めてもらうつもりだったから。手をつないでるのを見られれば、私たちの交際が学校の生徒たちに知れ渡る。それでもいいと思った。沙羅のグループ全員から絶交されている。友達のいない私に気を使う相手なんていない。
もうすぐ和馬君との待ち合わせ場所。きっと彼は先に来て私を待ってるだろう。気がついたら小走りになっていた。どれだけ彼を好きになってるの? それでも走ることをやめられない私自身に少しあきれた。
「君が好きだ」
どうせ君と会えたら口にするのに、今口にせずにはいられなかった。君がそれを聞いていなくてもよかった。私は君のことが好きだけど、それと同じくらい君のことを好きになった私自身が好きなのだから。
思ったとおり和馬君は私より先に来て待っていた。親しくなってから私服姿しか見てなかったから、ブレザーの制服姿が新鮮だった。すぐに見慣れてしまうんだろうけど。
どちらからともなく手をつなぎ合った。
手をつなぐのは校門までね
手をつないでない右手だけでスマホを器用に操作して、そうメモして私に見せた。
「分かってるよ」
と口を尖らせたけど、内心少し残念だった。
和馬君は話せないから一方的に私が話して、君はときどき相づちを打ちながら、どんなにくだらない話も真剣に聞いてくれる。
途中、ひそひそ笑い声が聞こえたと思ったら、沙羅のグループの広河隆子たちだった。四人いてその全員が大晦日に会った連中。ただ沙羅はいなかった。
四人とも大晦日に会ったときみたいに私たちを見てニタニタと嫌らしく笑っている。
和馬君を馬鹿にしてるんじゃない。悠樹にフラれたあと次の彼氏に和馬君を選んだ私を笑っているのだ。普通の男に相手にされなかったから緘黙の和馬君で妥協したのだと思い込んでいる。
和馬君の手の握り方が強くなった。行くなと言っているんだ。分かってるよ。私は君が馬鹿にされたら怒るけど、自分が馬鹿にされるのは我慢する。私が馬鹿なのは事実だしね……
二人で見て見ぬふりして通りすぎた。私も馬鹿だけどあんたたちも馬鹿だと思うよ、と心の中でつぶやきながら。だって緘黙という点だけにとらわれて和馬君の魅力に全然気がつかないんだから。まあ魅力に気づいて彼を好きになられても困るんだけどね。
放課後、いっしょに帰ろうとはあらかじめ決めてなかったけど、帰宅部同士だし当然いっしょに帰るもんだと思いこんでいた。
でも帰りのホームルームが終わってすぐ和馬君は男子たちに連れられて教室を出ていった。男子たちといっしょに帰るのだろうかと思ったけど、和馬君の荷物は彼の席に置きっぱなしだったから帰ったわけではなさそうだ。
夕方四時。和馬君たちが出て行って二十分もすると教室に残っているのは私一人になった。和馬君が教室に戻るまで待っていようと思ったのに、教室に入ってきたのは隆子たちだった。
相変わらずニヤニヤしている。四人はまっすぐこっちに向かってきて、席に座る私を取り囲んだ。
「沙羅から聞いてないの? 私ももうそっちのグループには話しかけないから、そっちももう私に絡んでこないで!」
「あたしがあんたに絡んでるのは沙羅と関係ないよ。あんたの元カレの悠樹さんってあたしのバイト先の先輩で、ふだん世話になっててさ。その悠樹さんがあんたとカンちゃんにひどい目に遭わされたって言ってたから、代わりに仕返ししてやろうと思ってさ」
やっと悠樹の魔の手から解放されたと思ったのに、そう思ったのは私の思い込みにすぎなかったのだろうか?
この狭い町に住んでいる限り、私は永遠にあの男の呪縛から逃れることができないのだろうか?
いや、悲しみに沈んでる場合じゃない。ということは、さっき和馬君が連れて行かれたのは……
「やっと気がついたみたいだね。カンちゃんは今頃男子たちにリンチされてるはずさ。そうするようにあたしがお願いした男子たちは、カンちゃんの恥ずかしい動画を撮ってあたしに送ってくれるってさ。送信されてきたら、あんたにも見せてやるよ」
悠樹といい和馬君を連れ去った男子たちといい、卑劣な男はどうして卑劣な写真やら動画やらを撮ることにこだわるのだろう?
はっきりいって隆子なんてどうでもよかった。そんなことより、私のせいでまた和馬君に迷惑かけてしまったことが心苦しかった。
私のせいでみんなからひどい目に遭わされたと知れば、優しい和馬君もさすがに私に愛想をつかすのではないか。今度こそ私は一人ぼっちになってしまう。
ひどい目に遭わされてるはずの和馬君でなく、この期に及んでも私は自分の心配ばかりしてることに気づいた。
こんな身勝手な女は一人ぼっちになって当然だと思った。
「とりあえずトイレにでも行こっか?」
「トイレ?」
「男子があたしらの喜ぶ動画を送ってくれるって言ってるんだよ。あたしらも男子の喜ぶ動画を送ってやらないと不公平だろ?」
撮影対象は私ということね? 知ってたけど。
私はいきなり立ち上がり、無言で包囲網を突破しようとして、すぐに両サイドにいた二人に取り押さえられた。
「彼氏だけひどい目に遭うのを申し訳ないと思わないの? 恋人ならあんたもおとなしく彼氏と同じくらいひどい目に遭って、同じくらい恥ずかしい動画も撮らせないとね」
隆子たちは勝ち誇ったように笑い、無理やり私の体を引きずって教室から連れ出そうとする。
「和馬君!」
無我夢中で私が叫んだ直後だった。
がらっと教室の前側の出入口の戸が開けられて、そこに立っていたのは和馬君だった。ブレザーを脱いだワイシャツ姿。ワイシャツの袖の手首の辺りが血で赤くなっていたけど、内側からにじみ出たようなものではないから返り血だろう。
和馬君を連れ去った男子たちの姿はない。和馬君が全員倒したのだとすぐ理解した。
一方、隆子たちは何がどうなっているのかなかなか理解できなかったようだ。動きを止めただけで、何の言葉も発するわけではない。私の体も相変わらず二人からつかまれたまま。
和馬君はすたすたとこっちに近寄ってきて、私たちの目の前にある教卓のそばまで来ると、突然その木製の教卓の天板に片方の拳を振り下ろした。すごい音がした。厚い天板はぶち抜かれ、教卓は一瞬にしてただの粗大ゴミと化した。
和馬君の顔は悠樹と対決したときと同じくらい怒っていた。
二人が私の体から手を離し、私はようやく自由の身となった。
「ゆ、許して……」
「私たちはただ隆子に頼まれただけで……」
「うん。こんなことやめようってあたしたちは言ったんだけど……」
「あんたたち!」
あっけなく三人の仲間に裏切られて顔を真っ赤にして怒る隆子。醜い内輪もめが始まった。ちょっと前まで私もこの子たちの仲間だった。今となっては黒歴史でしかないけど。
私は和馬君の隣に移動した。どんなに怒っていても和馬君が復讐心でわれを失うような愚かな人でないことは知っている。
「もう私たちにかまわないで!」
四人は内輪もめをやめて、こくこくと何度もうなずいてみせた。
「それで許してもらえるなら……」
「それだけじゃ困る」
私はやれやれという気分で四人に指示した。
「教卓を破壊したのはあんたたちだって先生に報告して、弁償もあんたたちですること。分かった?」
壊れたぜんまい仕掛けの人形みたいになって、四人はいつまでもこくこくとうなずき続けたのだった。
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